第18話 恋愛のユートピア i

文字数 2,519文字

「『野菊の如き君なりき』という映画の試写を見た。その後の座談会で、司会のひとが突然私へたずねた。
『椎名さん、この恋愛をどう思いますか』
 それは十七になる少女と、十五になる少年の初恋をえがいた映画で、二人は封建的なひとびとの嘲笑と反感によってその仲を引き裂かれ、少女は他の男と結婚するが、しかもなお少年を思いつづけ、遂に病んで死んで行くという悲恋物語なのである。
 私は、質問の意味がよく分からずに、こう答えた。
『これはこれでいいんじゃないですか』
 すると司会のひとはびっくりした顔をした。で、私は私で、その顔にさらにびっくりしてしまったのである。
『いや』と司会のひとは私をなぐさめるように言った。『椎名さんは、猛烈に反対されると思っていたんですよ』
 私は、とんでもない不始末を仕出かしたようにシュンとしてしまった。その私は、司会のひとは、こんなあまっちょろい恋愛なんか現代では何の意味もない、というような勇ましい発言を私に期待していたのかも知れないことに思いあたっていたのである。」

「もちろん、その幼い恋愛は、周囲の人々の封建的な感情に、何の積極的な反抗もなく支配され屈服されて、あまりにも素直に滅びていくのであるから、たよりないといえばものすごくたよりない映画である。
 しかし私の見ていたものは別のことであった。恋愛というものは、本人どうしの間に何の矛盾がなくても社会との関係において矛盾を生じて来ることがあるということであった。
 だがもし私に恋愛のユートピアを描かせば、自分と相手との間に、何の矛盾もなく、しかもその二人の恋愛が、社会全体との間に何の矛盾もないという状態だろうと思う。
 私は、この恋愛のユートピアを思い描く時、私の眼の前にあらわれてくるのは、母親が幼児に乳房をふくませている場面である。それは私に情けない体験があるからだ。」

「それは私が、まだ三十にならない時だった。私は、一人の少女を愛していたのである。彼女は、当時流行していたコーヒー店の娘だったが、夫と別れてその店へかえり、時々は、奥から出てきて店を手伝っていた。夫と別れたというのに、べつにそのことで悩んでいるようには見えなかった。二十四、五だったが、顔も丸く、身体も丸いといった太り気味の娘で、その笑い声は、高くて朗らかだった。暗い絶望的な生活を送っていた私は、その何の影もない明るいその彼女の笑い声に、ひどく悩まされたものである。
 もちろん最初は、私はその笑い声を軽蔑していたが、やがて嫉妬しはじめ、そして順調にその笑い声がなくては生きて行けないようになってしまったのだった。
 私は、誰も店にいない機会をとらえて、彼女へどんなに愛しているかを告白した。そして彼女も、どんな誤解からか知らないが、かわいそうにも私のようなくだらない男の告白を受け入れたのである。」

「だが、その時、彼女は、店のカウンターの前にある椅子に腰を下ろしながら、赤ん坊を抱いていたのだ。生後、五ヵ月ぐらいではなかったかと思う。赤ん坊がぐずり始めたので、彼女は、ゆたかな胸をひらいてかたく張った乳房を出した。赤ん坊は、真っ赤な健康そうな小さな口をひらいて、いそいでその乳首に吸いついた。
 そして私はその傍にぼんやり立ったまま、乞食のように羨ましげにその赤ん坊の吸いっぷりを見ていただけだったのである。赤ん坊は、まもなく満腹になったらしく乳房をはなした。すると彼女は、その赤ん坊を抱きあげて、たまらなそうに、その赤ん坊の柔らかい頬へ何度も唇をあてながら、夢中な声で赤ん坊へ呟き始めたのだった。
『コウちゃん、ほんとにいい子ね、ほんとに好きよ、ほんとうに食べてしまいたいほど大好きよ!』」

「私は打ちのめされたようになり、用をかまえて急いで店を出た。彼女の不審そうに私を見送っているのを感じていたが、何か仕方のない気がしていたのである。
 いわば他人に介入することのできない、ぴったりして何の隙間もない愛の完璧さが、その彼女と赤ん坊との間に感じられたからであり、その愛に私の愛の見すぼらしさを思い知らされたからだった。」

 ── 椎名さんの「ユートピア」には、この乳呑児と、その乳を与える母の「母子像」がよく描かれる。他のエッセイでも、胸をはだけて乳をやる女をじっと見つめ、「何見てんのよ、スケベ!」と怒鳴られたりしている。
 おそらく、本能として赤子は乳を求め、本能として母が乳を与える… その「一致」に、椎名さんはユートピアを見ていたのだと思う。そしてそれを「当然」とする、社会も、この「一致」には欠かせぬ要素なのだ。
 また椎名さんの文体の特徴として、個人的で身近な具体例を挙げ、そこから普遍的な、人間として、という方向へ話を発展させる傾向が強いと思われる。それが読者に伝わりやすい書き方で、僕もこの手法でずいぶん書いていた。もちろん、その足元にも及ばないが、そのエッセイの書き方は、たいへん参考になった。

 椎名さんの生き方、それはその文学そのものに表れているが、その基調、土台は常に「耐えること」にあると思う。全く、耐えること… 椎名さんから浮かぶ僕のイメージは、これに尽きる。
 全く、耐えるしかなかったのだ。
「深夜の酒宴」の頃は精神的に(精神的には常に追い詰められているかのようだったが)、そして晩年は心臓病に、ながく苦しめられることになった。
 せっかく見つけたキリスト教にも、「お前はそれでもクリスチャンか」と、糾弾するような読者からの手紙も、少なくなかったのではなかったか。

「どうして貧乏で、救われないような、極端な物語ばかり書くのですか」というような質問に、「ぼくは裕福を知らないし、それしか書けないんです」と答えていた椎名さんも、どこかで見た。
 かえすがえす、椎名麟三の死は、単なる一人の人間の死というより、一つの文学の死だった、という気がしてならない。
 そしてそれは、文学というような世界に留まらず、一つの何か、重い(この重さこそ、椎名さんがずっと耐え続けたものだったと思うが)、しかしどうしても避けることのできない、人の生きる上でどうしても大切な何かであったことを、僕は疑いようもない。
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