第42話  黒い肌の偉丈夫

文字数 2,671文字

山科勝成ことジョバンニ・ロルテスが織田信長と初めて対面した時より遡ること約四か月前。
九州の肥前国 口ノ津港に一艘の船が碇を下ろした。
その船は南蛮国、プルトゥガルの領土となっていたマカオから来た帆船であり、一般的にはキャラック船、プルトゥガル語ではナウと呼ばれている。
防水の為船体が黒色で塗装している為、肥前の人々は黒船と呼んでいた。
その船から降りて来たのは黒い装束を纏い、首からは十字架を下げた宣教師、この国の人々からは伴天連と呼ばれる南蛮人達である。
彼らに墨を塗ったかのような漆黒の肌の男が従っていた。
南蛮貿易が盛んなこの肥前国 口ノ津港いおいては特に新奇な存在という訳ではない。
黒い肌の人間がアフリカという遠い異国の人間であり、エスパーニャ、プルトゥガルなどの南蛮国から来た人々の従者、あるいは奴隷として付き従っているのをこれまで幾度も眼にしてきたからである。
しかしこの時口ノ津港を力強い足取りで闊歩する黒い肌の巨漢はこれまでのアフリカ人と明らかに別種の存在であった。
これまで南蛮人に付き従っていたアフリカ人のほとんどは過酷な労働と粗末な食事の為であろう、その体は痛々しいまでにやつれており、眼には光と言うものが全く無かった。
それは奴隷として自由を奪われ酷使される屈辱と何ら希望の無い未来への絶望からであることは
容易に想像が出来た。
だがこのアフリカ人はずば抜けて背が高いのみならず、鍛え抜かれた鋼のような隆々とした筋肉を有しており、その表情は自信と威厳にあふれ、黒曜石のような眼にはまばゆいばかりの生命の光が溢れていた。
何より目を引いたのは、このアフリカ人が異国の剣を腰に佩き、その手には槍が握られていたことであった。
これは南蛮貿易が行われて以来、この国にやって来たアフリカ人において、初めての存在であることは間違いないだろう。
単純な肉体労働のみを課せられる従者、奴隷に武器など必要はなく、また反抗の恐れがある以上、武器の保持など尊大でそのくせ用心深い南蛮人が許すはずがないからである。
またこのアフリカ人は単に鍛え抜かれた雄偉な肉体を有しているのみならず、その眼付は常に油断なく周囲を警戒しており、またその歩みも肩が全くぶれず滑るような足取りであった。
これは相当武器の扱いに習熟し、また実際に命のやり取りを幾度も経験している証である。
この黒い肌の偉丈夫は単なる従者、奴隷などではなく手練れの護衛として南蛮人たちの命を守る任務を帯びた存在であることは明白であった。
「……どうにも妙だな」
黒い肌の偉丈夫が独り言ちると、四十代と思われる南蛮人が鋭く反応した。
「どうした、ヤスフェよ」
ヤスフェと呼ばれた偉丈夫は周囲への警戒を解かぬまま答えた。
「我らを遠巻きから眺めるジャポネーゼ、この国の人々の目つきがだ」
その口調には奴隷特有のおどおどとした卑屈な響きはない。あくまで我らは対等な存在であるという無言の主張が力強く込められていた。
周囲の白い肌の宣教師の幾人かは不快気な表情を浮かべ、怒りで眉を吊り上げる者もいたが、ヤスフェに語りかけた年長の宣教師は特に気にしている様子は無い。
「それは仕方がないことだろう。いくらこの港がヨーロッパとの貿易が盛んで異国人を見慣れているとはいえ、やはり黒い肌のアフリカ人はどうしても目立つ。それにお前ほど立派な体格の者はそうはいないからな」
「そう言う事ではない」
ヤスフェは首を振った。
「確かにこの私に注がれる視線は極めて珍しい者を見る目であり、幾分かは恐ろしいといった思いもあるのだろう。だが少なくとも嫌悪の感情は無いようだ」
そう言ってヤスフェは他の宣教師に厳しい視線を向けた。ヤスフェに対して嫌悪と軽蔑を露わにしていた他の宣教師達だが、ヤスフェの視線を受け止める胆力は無いらしく慌てて視線を逸らした。
「だが貴方達宣教師には明らかに嫌悪と軽蔑を向けているぞ。余程この国、この地域の人々から疎まれているようだな」
「何を馬鹿な事を!」
「適当なことを言うな。お前などに何が分かる。この九州、この地域の多くの人々は既にカトリックに改宗していると聞いている。我ら宣教師には敬意が向けられるのが当然ではないか」
「ヴァリニャーノ様、このような奴隷上がりの者などに好きなように発言をさせては……」
宣教師の幾人かは怒りを露わにしてヤスフェを罵倒したが、ヴァリニャーノと呼ばれた四十代と思われるダークブロンドの髪の宣教師は彼らの言葉には耳を貸さず用心深く周囲の様子を窺った。
「……確かにヤスフェの言う通りのようだ」
ヴァリニャーノの重々しい言葉を聞き、他の宣教師達は口をつぐんだ。
「彼らは明らかに私たちに不信と嫌悪の念を抱いているようだ。私たちを見るあの目を見て見ろ」
「そんなはずは……」
信じられぬとばかりに他の宣教師達は港で働くジャポネーゼ達に視線を向けた。愛想よく笑みを浮かべ、あるいは威厳を込めて見つめてみたが、帰って来るのは冷然たる無視か、非難する表情のいずれかであった。
「そんな、どうして……」
「こんなはずでは……」
失意を露わにする他の宣教師達以上に苦悩する表情を浮かべていたヴァリニャーノであったが、ふと何かに思い至ったようであった。
「カブラル師。そう、この地区での布教活動の責任者は彼であったな」
「カブラル師……」
ヤスフェもその人物の噂は聞いていた。その評価は賛否両論、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物であるらしい。
元軍人で強固な意志を有しており、イエズス会において屈指の学識の持ち主と高い評価を受ける一方で、極めて尊大で頑迷な気性の為、周囲の者と衝突が絶えないと言う。
ヴァリニャーノも彼に好意を抱いていないのは明白であった。
「まずは彼に会って話をせねばならないな。カブラル師がジャポネーゼにどのような感情を抱き、どのようなやり方で布教してきたのか。我らは彼のどの部分を引き継ぎ、どの部分を改めねばならないのか。よく吟味せねばならない」
今後の方針を素早く立てて述べたヴァリニャーノの思慮深く威厳溢れる態度に打たれ、失望のあまり膝を折りそうになっていた他の宣教師達は何とか立ち直ったようである。
ヴァリニャーノはヤスフェの逞しい肩に手を置いた。
「お前も聞いているだろうがこのジャッポーネは百年近く内戦に明け暮れている危険な国だ。その上この国のサムライと呼ばれる戦士階級の者共は極めて剽悍で、恐ろしい存在だという。我らの安全はお前にかかっている。インディアの戦場をくぐり抜けたハブシの戦士であったヤスフェの経験と実力が頼りだ。よろしく頼むぞ」






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