第30話  総攻撃

文字数 2,278文字

天正七年、キリスト紀元1579年十月七日、ノブナガは有岡城への総攻撃を命じた。
長い包囲にいい加減厭いていた織田軍の将兵は遂にこの時が来たかとその猛き武魂を大いに震わせた。
そして彼らは得物に群がる群狼のように有岡城に押し寄せ、全てを焼き尽くす猛火の如き勢いで戦い、その良く研がれた剣槍の刃に鮮血を吸わせていく。
一方の迎え撃つ有岡武士達にはかつて織田軍相手に互角以上に戦った勢いは無く、全く精彩を欠いていた。
主将である村重が城外へ脱出したという噂が既に広まっていたからである。荒木家の重臣達は必至に隠匿しようと努めていたが、織田家の忍び達が有岡武士に変装して巧みに事実を広めていた。
「嘘だ!御館様は天下無双の猛者にして、慈悲深い御方でもあるのだぞ。我らを見捨てることなど絶対にあり得ぬ。これは敵の流言だ、惑わされるな」
村重に心酔する一部の兵は必死になって噂を打ち消そうとしたが、
「ならば何故、織田軍が攻めて来たこの時になっても御館様は我らの前に姿を現さぬのだ!これこそ既に城外に逃れた証拠ではないか」
こう反論されては一言も無い。有岡武士達の戦意は急速に衰えていった。
さらにそこに
上臈塚(じょうろうづか)砦から敵が侵入したぞ!」
「砦を守っていた者共が寝返って織田の者共を手引きしたんだ」
という声が上がった。
上臈塚砦の守将である中西新八郎とその副将の宮脇平四郎への調略に成功し、無抵抗で有岡城内に突入した滝川一益の部隊は建物に火をつけまわり、混乱の極みに達した有岡武士に無慈悲に刃を振り下ろして殺戮を欲しいままにしていく。
総構えの城であり、その強固な造りでこれまで織田軍の怒涛の侵攻を完全に弾き返して来た有岡城であったが、内側からの攻撃には全く脆かった。
最早これまでと悟った北乃砦の渡辺勘太郎、そして村重の妹婿でもある鵯塚砦の野村丹後は降伏を申し出た。
だが勝利への確信を得て驕り、また元々敵への慈悲など持ち合わせていない滝川一益はにべも無くこれをはねつける。砦を守る両将は観念して潔く腹を切った。
「この城が陥落するのは最早時間の問題か。あれ程手こずったのに、こうなるとあっけないものだ」
返り血でその朱色の甲冑をさらに赤く染め上げた勝成がぽつりと言った。
勝成は日野鉄砲で三人の敵を射殺し、二人の敵を太刀を振るって仕留めている。しかし敗北を悟って戦意が砕け散った有岡武士を相手にこれ以上武勇を振るう気にはなれなかった。
決して慈悲の心などではない。かつて面貌を着けた黒い甲冑の武者相手に全てを尽くして戦ったことにより得た魂が震えるような心の高揚。それが今日のこの時の戦場では得られることは無いと分かって急速に心が冷めてしまったのである。
「そうだ、確か雑賀衆とか言ったな。このジャッポーネにおける最強の鉄砲傭兵集団。彼らと戦わなくては」
その恐るべき精密な狙撃術でこれまでおびただしい数の織田の将兵を討ち取ってきたという魔弾の射手達。彼らと狙撃の腕を競い合い、堂々と戦いたい。
勝成は再び闘志でその胸中を焦がしながら雄敵を求めて有岡城を力強い足取りで駆けまわった。
だがこの勝成の意志が遂げられることは無かった。
確かに雑賀衆はこのジャッポーネはおろか、ヨーロッパにも比肩する存在は無いであろう最高の狙撃術、鉄砲戦術の使い手達であるかも知れない。
だが自身も鉄砲の名手である滝川一益は鉄砲戦術の恐ろしさと同時にその弱点も知り尽くしている。精密な鉄砲戦術も既に城内に潜入してしまった敵相手では存分にその効果は発揮できない。
彼はさらに配下の手練れに火をつけさせて気を逸らせていると一気に雑賀衆の懐に飛び込ませた。
そうなると最早鉄砲を撃つことは出来ない。狙撃の腕を磨くことにのみ執心し、太刀術や組討ちの術などの白兵戦の戦技を全く軽視してきた雑賀衆である。
間合いを詰められての格闘では武士の武芸に加えて甲賀の流儀の忍びの体術を会得した独特の武技の持ち主である滝川配下の精鋭にはまるで歯が立たなかった。
「小癪な雑賀の者共が、これまで散々な目に合わせてくれたな。その報いを今こそ受けよ!」
滝川武者は憎悪と怒りを込めて太刀を振り下ろして手足を切断し、あるいその眼をえぐり、口を
耳まで切り裂く。
雑賀衆の武者達は泣き叫びながらに命乞いをするが、滝川武士達は一切耳を貸さなかった。
これまで本願寺勢力に与し、さらに謀反人荒木村重の助っ人となって数多の同胞達を無慈悲に射殺してきた雑賀衆は織田軍の武士達にとって到底許すことなど出来ないこの世で最も憎い敵だったのである。
こうして本願寺より有岡に助勢に駆け付けた雑賀衆の鉄砲の名手たち百人は一人残らず惨殺された。
雑賀衆を全滅させた滝川武者達はいよいよ昂り、有岡城内の侍屋敷から百姓、町人の居住区まで恐ろしい程手際よく火をつけて回った。
織田軍は火攻めを多用するが、その中にあって最も炎を用いた戦術に習熟しているのが滝川の軍勢であったと言って良い。
かつて延暦寺を炎上させたのも、伊勢長島にて二万人もの一向門徒を焼き殺したのも、滝川一益とその配下が中心となっての所業であった。
砦は紅蓮の炎に飲み込まれて次々と陥落し、有岡武士と非戦闘員である住民達は二の丸に逃れる。
だが織田方も怒涛の勢いで二の丸に攻め込んできた為、再びなだれをうって本丸へと避難した。
本丸は東西北の三方を濠で囲まれ、南も空堀をへだてて二の丸に面している。
ここまでほとんど損害が出ず、勝利の確信を得て天に届かんばかりにまで意気上がる織田の軍勢であったが、本丸への突入は不可能であるため、無念の歯軋りをするしかなかった。


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