第53話  悪徳の王

文字数 2,470文字

この国で男色行為が公然と行われていることはヴァリニャーノも知っていた。
フランシスコザビエルが書簡にて報告しているからである。
「すべての(仏僧には)破戒の相手となる少年がいて、そのことを認めたうえに、それは罪ではないと言い張るのです。世俗の人たちは僧侶の例にならって、ボンズ(坊主)がそうするのだから、我々もまたそうするのだと言っています」
と書いているように、特にホトケに仕えるボンズ、僧侶の間では男色、少年愛が当然のように行われ、それを見て庶民も真似をするようになったらしい。
そしてそれはこの国の支配階級であり、戦士階級であるサムライも例外ではない。
ザビエルが謁見した高貴なサムライに大内義隆(おおうちよしたか)という人物がいた。彼は周防(すぼう)長門(ながと)石見(いわみ)豊前(ぶぜん)筑前(ちくぜん)という五か国を治める強大な勢力を誇る太守であり、文治主義で領土を治め、学芸、貴族文化を好む人物であったが、男色行為に耽溺していることでも知られていた。
ザビエルは彼にカトリックの布教の許可を求めて謁見が叶ったのだが、大内義隆の行き過ぎた放蕩、仏教の保護、そして男色への耽溺に我慢がならず、それらの罪を声高に非難した。
「このようないやらしいことを行なう人間は豚よりも穢らわしく、犬やその他の道理を弁えない禽獣よりも下劣であります」
と。
憤激した義隆によって立ち去るようにザビエルが命じられたのは言うまでもない。
「全く救いがたい、汚れた者共め……」
カブラルは男色に耽るジャポネーゼは全て地獄に落ちよと言わんばかりに罵ったが、ヴァリニャーノは左程深刻には受け取らなかった。
何故なら、古代イスラエルを起源とする一神教であるユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム教以外の多神教世界では男色行為はごく普通に行われていたことを知っていたからである。
ヴァリニャーノは若い頃、西洋文明の濫觴(らんしょう)とも言うべきギリシアの学問を熱心に学んでいた。
古代ギリシアはキリスト教神学に甚大な影響を与える偉大な哲学を生んだが、男色行為、少年愛を公然と行っていたことでも知られている。
かの偉大なるプラトンも不完全な劣った存在である女性との愛は繁殖を目的とした不純な愛であり、子供を得ることを目的としない同性との愛こそが純粋な本当の愛であると説いている。
また古代ギリシアの都市国家の一つテーバイに神聖隊(ヒエロス・ロコス)と呼ばれる精鋭歩兵部隊が存在していたが、彼らは男性の恋人同士によって編成されていたのである。
何故そのような編成がされたかと言えばお互い決して怯懦な振る舞いをすることもなく良い所を見せようと勇猛に振る舞い、また愛する者を守る為に死にもの狂いで戦うであろうと期待されたからであろう。
事実、テーバイ神聖隊は当時ギリシア最強を謳われたスパルタの軍勢をレウクトラにて破っている。
サムライが同性愛を公然と行っているのもやはり戦場での結束と士気の向上が本来の目的であることは疑いない。
ある意味では合理的で実利的な考え方だと言えるだろう。
(だが真の神に背いた汚れた考え方には違いない。ジャポネーゼが真の神の教えに目覚めれば、そのような悪習は自然と廃れるだろう)
この点ではヴァリニャーノは楽観的に考えていた。
またヴァリニャーノもそしてカブラルも口が裂けても話題にはしないが、カトリックの聖職者の中には表向きでは男性行為を非難しながら、その影で無抵抗な少年に手を出す不届き者がいることを知っていた。
デウスを信仰し男色行為が悪だと承知しながら隠れて罪に耽る彼らこそが真に地獄に落ちるべき呪われた存在であり、男色は罪では無いと公言してこれを公然と行うジャッポーネのボンズはまだデウスに許される余地があるかも知れない。
「カブラル師」
話題を切り替えるべきだとヴァリニャーノは判断して次の問いかけをした。
「貴方は豊後の王である大友宗麟(おおともそうりん)という人物に洗礼を授けたのでしょう。イエズス会の歴史に刻まれ、後世に伝えられる素晴らしい功績です。これほど布教が上手く行っているのに、何故この国の人々に対してそこまで懐疑的なのです」
大友宗麟は今ヴァリニャーノとカブラルがいる九州と呼ばれるジャッポーネ南西の巨大な島に割拠する王の中で最も強大な力を持つ存在だろう。
彼はその若き日にフランシスコザビエルと出会っており、その追憶から洗礼名をフランシスコに選んだ。
「あの者はカトリックの教えを真に理解などしておりませんよ」
カブラルは自身が洗礼を授けたはずの高貴な王に対する軽蔑と嫌悪を露わにして言った。
「あれ程姦淫は罪だと私が口を極めて言ったにも関わらず、あの男は度を過ぎた漁色を改めよとせず、遂には己の家臣の妻にまで手を出すまでになっているそうです。完全に倫理観が欠落していると言わざるを得ません」
「……」
「あの男は我らイエズス会を利用したいだけなのです。我らを通してプルトゥガル王国と貿易を行い、鉄砲を撃つ為に必要な硝石を手に入れたいだけなのでしょう」
大友宗麟は一時はこの九州を統一する目前まで達するほどの威勢を誇ったが、ヴァリニャーノがやって来る少し前に薩摩国を治める島津氏に大敗し、多くの重臣を失ったらしい。
その後も島津氏のみならず肥前の龍造寺にまで領土を侵食されている為、軍事力を増強してこの苦境を打破しようと必死なのだろう。
「この国の者共とはそういう連中なのです。貪欲極まりなく、目的を果たす為ならばどんなことも平然と行う極めて偽装的な民族なのです」
「むう……」
ヴァリニャーノは言うべき言葉が見つからなかった。元々有色人種を頭から見下し、嫌悪するカブラルであったが、大友宗麟という悪徳の王によってこの国の人々に対する不信感は不動のものになってしまったらしい。
「全く救いがたい愚かな者達ですよ。特に貧弱な土地を統べながら飽きもせず戦に明け暮れる大友宗麟を始めとするこの国の王たちは。我らを利用しようなどと、低級な民族の分際で、身の程知らずも甚だしい。利用されるのはお前たちの方だと言う事をいずれ必ず思い知らせてやりましょう」
カブラルの眼鏡の奥の瞳に剣呑な光が灯った。


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