第45話  解放

文字数 2,887文字

こうしてヤスフェの軍事奴隷ハブシとしての生活が始まった。ヤスフェをここへと導いた奴隷商人が言ったように、与えられた仕事は簡単な雑用であった。
武具や食料の運搬、料理の仕込み、成人し任務に就いているハブシの身の回りの世話などが主な仕事である。
そしてそれらの仕事をこなす合間に戦場に出て戦う為の技術を厳しく仕込まれる。剣術、槍術、弓術、馬術が主であったがさらに棍棒や戦斧、短剣と様々な武具の扱いを教えられた。
訓練場にてインディア伝統の剣であるタルワールと呼ばれる片刃の曲刀を構えたヤスフェの眼前に、あの日両親と祖父、祖母の命を奪った奴隷狩りの男達が現れる。
彼らは我が家族の血に塗れた武器をかざし、殺戮の喜びに酔いしれ、飢えを満たした獣の如き醜悪極まりない笑みを浮かべていた。
「……!!」 
ヤスフェは満腔の憎悪と怒り、さらには自由への渇望を込めながら渾身の力で片刃の曲刀を振り下ろした。
その斬撃はうなりを生じて空気を切り裂き、鉄兜をも叩き割るのではないかと疑われる程の凄まじい勢いと速さであった。
共に修練に励んでいた他の少年たちは息を飲み、彼らを指導する教官達も目を見張った。
天稟(てんぴん)がある」
教官の一人が呟いた声をヤスフェの鋭敏な耳が捉えた。
(俺には戦いの才能が有ると言う事か)
そう信じたヤスフェはいよいよ武術の鍛錬に邁進した。教官たちが課す修練だけでは到底足りず、睡眠時間を削ってまで一人武器術の会得と身体能力の向上に励んだ。
戦場で武勲を得ることが出来る一流の戦士となるまで、そして世に跋扈する人の心を持ち合わせていない奴隷商人、獣欲に満ちた殺戮者共を討ち滅ぼす力を得る為には、いくら努力しても足りない思いであった。
こうして何かに憑かれた如く武技を磨き続けたヤスフェは、五年後には幾度も戦場を駆け抜けて来たベテランの戦士たる教官達をも凌ぐ程の技量の持ち主となっていた。
「お前の見習いとしての時間は終わりだ。もう戦場に出てよかろう。手柄を立てて来るがいい」
教官の許しを得たヤスフェは勇躍して戦場へと赴いた。
当然騎乗の資格は与えられず、与えらえた武器、甲冑もいたって粗末なものであった。しかし十七歳にしてずば抜けた長身と鍛え抜かれた鋼の如き筋骨を持つヤスフェが武装した姿は神秘的なまでに雄壮であり、一軍を率いる将軍かと見紛うほどの威を放って他の兵士達を圧倒していた。
(ついにこの時が来た。訓練ではない、殺すか殺されるかの本当の戦いが……)
殺人という人として最も罪深い行いをせねばならず、また己自身が何事も成さぬまま空しく屍となるやも知れない.
そう思えば心に怯むものを感じたが、それ以上に自由への希求の念、そして胸中を焦がす炎の如き闘志を存分に解放し、世の醜く悪しきものを悉く焼き尽くしたいという渇望で狂わんばかりになっていた。
ヤスフェの初陣は数百人同志の小規模の戦であった。敵が何者で、どういう目的の戦であるか、ヤスフェは聞かされていない。
戦争に従事する奴隷に過ぎないハブシが知る必要は無いと言う事だろう。
ヤスフェも特に知りたいとは思わなかった。
そして遂に戦いが始まった。褐色の肌に鎧を纏った戦士達が武器をかざして突進してくる。
だがヤスフェの獅子の如き眼には不思議とその動きは緩慢に映った。
(遅い……)
緊張で固くなっていた五体が一瞬にしてしなやかになった事を感じたヤスフェはタルワールを大上段に構えて大きく踏み込み、眼前の敵に斬撃を見舞った。
鈍い音が鳴って敵の両腕が武器を持ったまま地に落ち、そのまま速度を落とさず横に振るわれ、兜を被っていない隣の敵の側頭部に叩き込まれた。
耳が両断されるのみならず頭部も半ば断ち割られ、鮮やかな紅血が灼熱の大地に勢いよく降り注がれる。
一瞬で二人を戦闘不能に追いやったヤスフェは、怯む敵に容赦なく斬りかった。
ヤスフェの凄まじい膂力によって長大なタルワールが獣を調教する鞭のように軽々しく振るわれ、閃光となって走る。殆んどの者は武器で防ぐことも出来ず、次々と討ち斃されて行った。
我が手に肉と骨が断ち切られる感覚が鋭敏に伝わり、生命が失われ単なる肉の塊へと変貌する瞬間が我が目に鮮明に映る。
殺戮という人間として最も深い罪業を犯しているのだという現実を改めて受け止めざるを得ないかったが、ヤスフェは微塵も動揺せず、その戦場で躍動する五体の動きが鈍ることは一瞬たりともなかった。
「俺は戦士となるべく生まれた人間なのだ」
その自覚がヤスフェの荒ぶる魂を、活力に燃え立つ五体をさらに昂らせた。
こうしてヤスフェは初陣を見事に飾ることが出来た。
早くもその天稟の武勇と鋼鉄の精神を発揮し、その名を轟かせたヤスフェには休息する暇も与えられず、インディアの戦場から戦場へと渡り歩くことを余儀なくされる。
当然ヤスフェが所属する軍団が常に勝利するとは限らず、手ひどい敗戦を経験することも度々あったが、ヤスフェが深手を負うことは一度も無かった。
剣槍の技に優れていながら運悪く流れ矢に当たって落命する戦士は数え切れない程いる。戦場で死ぬ一番の原因は矢によるものなのである。                          だがどういう訳かヤスフェの身にはこれまで一度たりとも矢はかすることすらなかった。
「戦士にとって一番重要なのは武勇ではない。それは幸運だ。どれ程武勇に優れていても運に見放されている者は早々に戦場で屍をさらすことになる。だがヤスフェは武勇備わっているだけではなく運にも恵まれている。そう言う意味ではヤスフェは紛れも無く本当の戦士なのだろう」
そう評されたヤスフェに早くも奴隷身分から解放される時がやって来た。
「次の戦で手柄を立てれば、ハブシの身分から解放してやろう。お前を護衛として雇いたいという貴族や富豪からの声が多く寄せられているのだ」
ヤスフェがハブシとして初陣を飾ってから四年しか経っていない。これは異例の速さと言っていいだろう。
ヤスフェがこれまで着実に武勲を重ねていたのも当然だが、それ以上にヤスフェの人格、行いが
認められていたからである。
戦場では常に先頭に立って戦うのみならず、撤退する時は進んで殿を志願する。そして深手を負った仲間を我が身を顧みず救うことも幾たびかあった。
「あれ程の男を、いつまでも奴隷身分にしておく訳にはいくまい」
そのような声が自然と湧き上がったのは当然と言えた。
こうしてハブシとしての最後の戦に臨んだヤスフェはその魂を炎のように燃え上がらせ、かつてない程勇猛に戦った。
その神がかりなまでの武勇は敵からも味方からも灼熱の炎によって世界を焼き尽くすという破壊神シヴァの化身かとすら思われたことだろう。
ヤスフェは剣が折れると敵の剣を奪って戦い、さらに戦斧を拾ってそれを使い潰すまで戦い抜いた。
この日ヤスフェのインディアの神々の威力が宿った鉄腕によって葬られた名の有る戦士の数は数え切れない程であった。
こうしてヤスフェは誰も異議を唱えることなど出来ようはずのない赫々(かくかく)たる武勲を打ち立てたことによって、ハブシの身分から解放され、自由の身となった。



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