第55話  ヴァリニャーノの決意

文字数 1,670文字

「この国が我がプルトゥガル王国の領土であることは貴きデウスとローマ教皇によって決定された以上、最早覆されることはありません。これは運命なのです。そしてプルトゥガル王国によってこの国の汚らわしく愚かな伝統、文化、信仰を根こそぎ破壊され、支配されることでしかこの国の人々の歪んだ性根は変われないでしょう。これは慈悲なのです。真にこの国の人々の為なのです」
カブラルの眼鏡の奥の瞳に宿る光の強さは尋常ではなかった。この国の人々への憎悪と嫌悪が明らかであったがそれと同時に、破壊と殺戮を乗り越えることによって生まれ変わり、真の救済へと至って欲しいという純粋にして切なる願いも確かにそこにはあったからである。
カブラルがプルトゥガル王国の支配を受けることがジャポネーゼへの慈悲だというのは憎悪と殺意を正当化するための虚言なのではなく、真実心の底からそう信じているのだろう。
「……」
「進んだ優れた国に支配されることによって多くの恩恵を受ける。それは他ならぬナポリ王国の出身であるヴァリニャーノ師もよくお分かりなのではありませんか?」
カブラルは嘲りと優越感をむき出しにしながら、ヴァリニャーノに言い放った。
「……!!」
先程まではカブラルの言い分に一定の理を認めていたヴァリニャーノであったが、カブラルの言葉で憤激し、我を忘れそうになった。
ヴァリニャーノの祖国、ナポリ王国は西暦1442年にエスパーニャの前身であるアラゴン王国に征服されて以来、エスパーニャの属領となっていたからである。
アラゴン王国はカスティーリャ王国と連合されることによってエスパーニャ王国になり、その力はより強大となって、プルトゥガル王国と並び称される覇権国家となったのである。
(この男、イエズス会士の同士でありながら、この私を被征服国の人間として見下していたのか……!)
許されざる性根と言うしかない。デウスに身を捧げ、真の信仰を遍く伝え哀れな異教徒たちの迷妄を晴らし彼らの魂を救う使命を帯びたイエズス会士は血はつながっていなくても真の兄弟のはずである。
己の出自や育ちなどは清貧、貞潔の誓いと共に忘れたはずではなかったのか。
あろうことか覇権国プルトゥガルの貴族の生まれであることを鼻にかけ、同志に対して征服された敗北者として侮蔑を露わにするとは……。
(この男だけは絶対に許せん。何としてもこの国から、ジャッポーネから追い出してやる)
ヴァリニャーノの心に沸々と、とっくに断ち切ったはずの無慈悲な収奪を受ける祖国への思い、そして傲慢無慈悲な征服国エスパーニャ、プルトゥガルへの怒りが湧き起こった。
(いや、これは単なる私情であってはいけない。このような男をジャッポーネへの伝道の責任者にしておくのは断じて間違っている。私のやり方でなければこの国の人々を真の神への信仰に導いていくことは出来ない)
決意を新たにしたヴァリニャーノは昂った心を強靭な理性でねじ伏せた。
「まあ、私はまだこの国に来たばかりです。もっとこの国の実情、人々の気性をもっと知らねばなりません」
侮蔑など歯牙にもかけぬヴァリニャーノの平静な態度を前にして、カブラルは明らかに鼻白んだ。
「……時間の無駄でしょう。知れば知る程、この国の者共の悪徳に染まった歪んだ性根が嫌になるだけです。私の言葉を信じた方が賢明ですよ」
「あいにく、私は自分の眼で見た物、耳で聞いたことしか信じられぬ気性なのです。まあ、貴方の言う事が正しいと納得できれば、私も貴方の方針に従いましょう」
「そうですか。まあ、ヴァリニャーノ師であればすぐにお分かりになると思いますよ」
カブラルはまたも優越感と侮蔑が露わとなった冷笑を浮かべたが、最早ヴァリニャーノの心に激情が沸き立つことはなかった。
(精々今の内に勝ち誇っておけ。必ず布教責任者の立場から解任してやる。この国にいられないようにしてやる。この国に真の神の福音をもたらすのはこのヴァリニャーノだ)
ヴァリニャーノは確固たる決意を胸にしながらその秀麗な顔に微笑を浮かべ、カブラルに典雅で洗練された礼を施して教会を後にした。


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