第24話  夜討ち

文字数 2,757文字

十二月八日における総攻めが失敗した後、織田軍はそれまでの猛火のような兵威が水を打ったように静まり返った。
織田の兵卒共は黙々と二重三重に堀をほり、柵を植え並べた。長期戦を覚悟し、有岡城を檻の中に閉じ込めようと意図しているのは明らかであった。
「ふん、信長め。力攻めでは我が縄張りした有岡城を、我が率いる軍勢を下すことが出来ぬと判断して兵糧攻めに切り替えたか」
豪刀を振るって天稟の武勇を大いに発揮し、殺戮を欲しいままにした興奮が未だ冷めやらぬ村重が猛々しい口ぶりで吐き捨てた。
「厄介だな。未だ毛利家や本願寺から増援がやって来ぬし、食料の備蓄も多くは無い。兵共の士気が持たぬやも知れぬ」
天下屈指の猛将を自負する村重であるが、我が武勇は余り持続力が無いことを自覚している。それは手塩にかけて育てた将兵共も同様であろう。
「いたずらに城に籠っていては士気が打ち沈むだけだ。時々打って出て敵に一撃を加え、素早く帰着する。そうやって軍を勢いづけて活力を維持することが籠城戦の心得である」
村重は自室で座禅を組み、精神を研ぎ澄ませながら思案に耽った。時は師走になっていた。
「夜討ちをかけてみようか。いっそのこと元旦に。敵も油断しておろう。荒木摂津守からの新年の祝儀がわりじゃ」
まなじりを決して村重は座禅を解き、胴間声を張り上げて諸将を呼び集めて軍議を開いた。
年が明けた天正七年、キリスト紀元一五七九年の元旦。籠城中のはずの有岡城であったが、城内は正月気分に満たされていた。
「昨年は大変であったな。籠城はまだ続くが、心配せぬでよい。先程皆も知ったように、織田の軍勢など恐れるに足りぬ。必ず打ち破ってくれよう。さあ、せっかくの正月である、皆存分に騒いで日頃の鬱屈を発散せよ。町人百姓も遠慮はいらぬで」
城主荒木摂津守村重がそう高らかに触れ回った為、有岡本城もそれぞれの砦も、また侍屋敷や民家のあちこちでにぎやかな宴が開かれた。
圧倒的大軍に包囲された孤立した城とは到底思えぬ陽気な歌声、笑い声が有岡の地に満たされていた。
「織田の兵共め、籠城中とはとても思えぬあの浮かれ騒いだ声を聞いてさぞ呆れ、油断しているであろう」
再びその巨体に甲冑を纏った村重がほくそ笑んだ。夜討ち部隊は約五百人。特に選りすぐられた精鋭ぞろいである。
彼らは主将村重自身が夜討ちの指揮を取ると聞かされ、その五体には鋭気と闘気に満ち満ちていた。
「皆の者、良く聞け。我らがこれより攻めるは加茂(かも)砦である。そこにいるのは近江衆、美濃衆合わせて三千。そしてそれを率いるのは、信長の嫡男、秋田城介(あきたじょうのすけ)信忠(のぶただ)である」
おお、という騒めきが五百の精鋭達から沸き起こった。
「嫡男を失えば、信長めもさぞや悲嘆し、落ち込むであろう。当然、織田軍は天下に面目を失うは必定。いずれは包囲を解き、すごすごと撤退するであろう。よって必ず城介を討ち取れ。よいな」
空を見上げれば、雲が月や星々を覆い隠しており、地上は闇に満たされている。
「ふふ、夜襲にもってこいの夜よ。天は我らに味方しておるわ。行くぞ」
村重率いる五百の武者は全員騎乗せず、徒歩で砦から出た。
彼らは冷風吹き荒れる有岡の地を音も無く静かに進む。一人の猛将と五百の精鋭は闇に紛れて餌を求める群狼のように無人の原野を踏み歩き、目指す加茂砦の付近に辿り着いた。
加茂砦の周りは柵と逆茂木がびっしりと囲まれ、いたるところで大焚火が燃え盛っている。
火の側には哨兵達が立ち並んでいるが、いずれも正月だからといって気を抜いている様子は無い。
(成程、城介信忠は中々謹厳な性格と聞いた。兵卒共にも常日頃から油断するなと言い聞かしているのであろうな)
正月だから油断しているだろうという考えはいささか甘かったらしい。無論だからといってここまで来て夜討ちを中止するなどあり得ぬ事である。
村重は手はず通り行うよう合図した。
やがて砦の隅から火が上がり、真冬で空気が乾燥している為にすぐに燃え広がって行った。
さらにそこに風が吹いたために煽られた火炎と煙が砦と周囲を覆い尽くす。
加茂砦は驚き騒ぐ悲鳴、火を消せという怒号が鳴り響いた。
煙で目と喉を傷めた兵士、つい先ほどまで眠っていた為に未だ状況を呑め込めていない武士が転がるように飛び出て来た。
そこに風上から約二百名の切り込み隊が闇から放たれた矢のように突進していった。
さらに村重率いる本隊が雄たけびを上げながら刃を連ねて襲い掛かる。
村重の分厚い刃の豪刀が再びうなりを生じて血風を巻き起こす。村重は正確に首だけを狙って斬撃を繰り出した。
兜首が宙を舞い、首の骨が割砕かれる不快な音が鳴り響き、勢いよく吹きだす鮮血が加茂砦を紅に染め上げていく。
闇夜の中、炎に赤々と照らされた全身返り血に塗れた村重の姿はまさに人の肉を喰らう狒々の怪物か、あるいは地獄の獄卒としか思えぬ凄まじいものであった。加茂砦の守備兵は正月早々悪夢を見ている気分だっただろう。
織田家嫡男、秋田城介信忠(あきたじょうのすけのぶただ)に仕える精鋭揃いのはずであったが、火と煙と奇襲、さらに魔性の如き村重の猛勇によって恐怖にかられ、完全に戦意を失っていた。
さらにそこに
「美濃衆が逃げたぞ!」
「近江衆が敵と内通して夜襲を手引きしたんだ!」
「御大将、秋田城介様が討ち死になされた!」
などといった声が沸き起こった。
無論、敵の混乱を煽り立てる為に村重の配下がわめいているのである。
加茂砦の守備兵は恐怖にかられて我先にと逃げ始めた。馬を奪う為、逃げ道を得る為に同士討ちすら始める始末である。
彼らはその刃を敵の奇襲部隊ではなく、同胞に向けた。そうやって必死の思いで逃げて来た兵士に再び敵の刃が降りかかって来た。村重は予測される逃走経路に百の兵を待ち伏せさせていたのである。
守備兵は抵抗する気力は最早なく、(なます)のように切り刻まれ、血泥に沈んでいった。
「城介殿はどこじゃ、御首頂戴いたす」
「出会え、城介!尋常に勝負致せ!」
快勝を確信した村重麾下の精鋭部隊は高らかにわめきながら砦内を荒れ狂ってなおも殺戮を欲しいままにしていたが、大将たる村重本人は、
(そろそろ潮時じゃな。すぐに引かねばならぬ)
と血に酔うことなく冷静に判断していた。
加茂砦にに隣接している付城の将は細川藤孝(ほそかわふじたか)であるという。かつては文雅の友でもあった彼のことは良く知っている。けれんみの無い戦いぶりをする知将である。
あの者ならば加茂砦の炎上を見て救援に駆け付けるまで左程時間を有しないだろう。
信忠の首は獲れなかったようだが、潔く諦めるしかない。
村重は配下に殺戮の手を止めて砦に残された馬、兵糧、鉄砲弾薬を奪う事を命じた。そして配下にほとんど損害が出ていないことを確認すると人を存分に貪り喰らい、満足した狒々の如く吼えるように哄笑し、炎上する加茂砦から風の様に去って行った。






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