第50話  フランシスコ・ザビエルの布教

文字数 2,799文字

こうしてヤスフェとイエズス会士一行は最初の目的地であるマレー半島の港湾都市マラッカに到着した。そこで約九か月過ごすと、次は東洋最大の国であるシーナの南岸に位置するマカオを目指した。そこでもやはり約十か月過ごした。
この国際都市にはジャポネーゼの船員も多くいて、ヤスフェは彼らから彼の国の言語、歴史、風習を学ぶことが出来た。
そして遂に旅の最終目的地であるジャッポーネに到着したのである。
しかし長い月日を経て待望の地に第一歩を踏んだ彼らを迎えたのはジャポネーゼ達の嫌悪と軽蔑の視線であった。
(マカオで知り合ったジャポネーゼ、日本人は皆気の良い人々ばかりだったのだがな)
ヤスフェは日本人に対して最大限の好意を持っていた。
印象としては彼らは非常に恥ずかしがりやで警戒心が強いが、一度心を許すと驚く程親切で優しかった。
また知的で洗練されおり、極めて礼儀正しかった。ヤスフェはこれまでの人生、旅路で多くの外国人、異民族と出会ったが、日本人は抜きん出ていると言うしかない。ヴァリニャーノも
「礼節に関しては東洋の他の諸民族のみならず、我らヨーロッパ人よりも優れている」
と評したほどである。
しかしこの肥前国 口ノ津港の人々からそのような礼節でもって出迎えられることはなかった。
その原因が日本布教区の責任者であるイエズス会士フランシスコ・カブラルにあるのではないかと考えたヴァリニャーノは直ちに彼と会うことにした。
「カブラルとはかなりの学識の持ち主だと聞いたが」
ヤスフェはヴァリニャーノに語り掛けた。
「うむ……」
ヴァリニャーノは不機嫌な表情で頷いた。カブラルの人柄に嫌悪を感じているが、その学識は認めるしかないということなのだろう。
「……彼はプルトゥガルの貴族として生まれ、インディアで軍人として働いた後、イエズス会に入会したのだ。その為軍人としての気質が未だ濃厚で、極めて気性が激しい」
「ああ……」
ヴァリニャーノの言葉を聞いて、ヤスフェはおおよそ察しがついた。
ヤスフェは実際にインディアに赴任してきたヨーロッパ人の軍人を幾人も見たが、彼らはほとんど例外なく白人至上主義を掲げる筋金入りの差別主義者だった。
新大陸で悪逆非道の限りを尽くしたコンキスタドールとはまさにこのような者共だったのだろう。
白色人種のみが神に選ばれた人種であり、異教を信じる有色人種は人間では無いのだから、人間として扱う必要は無いと信じて疑わないのである。
そのような精神構造を持つ人間がこのカミとホトケという多神教を信じる黄色人種の国であるジャッポーネで布教を行っているのだ。
カブラルがジャポネーゼから嫌悪と軽蔑の的になっているのは確実だろう。
カブラルと同類と見なされたイエズス会一行が歓迎されないとは当然と言える。
(実際、この者達のほとんどはカブラルと同類だからな)
ヤスフェはヴァリニャーノに付き従う他のイエズス会士を見ながら思った。
異教徒、有色人種に対してもある程度公平に、好意的に接することが出来るヴァリニャーノのような人物はヨーロッパ人の中ではむしろ例外なのだろう。
カブラルのような有色人種を人間と見なさない者の方が圧倒的多数であり常識なのだ。
「そのような人物を何故、イエズス会はジャッポーネに派遣したのだ。布教が成功しないのは明らかではないか」
「フランシスコ・ザビエル師からジャッポーネに派遣する宣教師は、学識ある人物でなければ務まらないと報告を受けていたからだ」
フランシスコ・ザビエルはエスパーニャのナバラ王国生まれのバスク人で、イエズス会の創設者の一人である。
地方貴族の子として生まれた彼は長ずると名門パリ大学に入学。哲学を学んでいたが、イグナチオ・デ・ロヨラに出会い、彼に影響を受けて聖職者を目指すことになった。
そして同様にロヨラに感化を受けた若者達、総勢七名でモンマルトルの聖堂に誓いを立てた。
その誓いとは「生涯を神に捧げ清貧・貞潔を貫きエルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく」というものだった。
そしてカトリックの教えを広めることに情熱を燃やすザビエルはインディア各地で布教し、訪れたマラッカでヤジロウという名の日本人と出会う。
薩摩という国出身のヤジロウは若い頃に殺人を犯してしまった為に日本を出てマラッカに逃亡していたのであり、その罪を告白するためにザビエルを訪れたらしい。
ヤジロウに洗礼を与えたザビエルは日本に強い関心を抱き、彼と共に1549年(天文18年)8月15日に薩摩の地に上陸した。
ザビエルはまさに全身全霊を捧げてキリスト教カトリックの布教に邁進した。
ザビエルは日本人を
「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます」
と記した程高く評価したが、布教そのものは困難を極めたようである。
ザビエルはこれまでゴアやマカオでそうしたように、唯一絶対のデウスのみが神であり、神の子キリストの教えを信じなければ救われない、地獄に落ちるであろうと諄々と説いた。
すると日本人からは
「何故そんなありがたい教えが今までこの国に来なかったのだ」
「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は今、どこでどうしているのか。地獄に落ちてしまったのか」
と返ってきた。
予想だにしなかった問いに困惑したザビエルはつい、
「残念ながら、その方々は地獄に落ちてしまっているでしょう」
と答えてしまった。
すると日本人達は
「俺たちだけ救われてもご先祖様に申し訳が立たないから、俺は救われなくていい」
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
と非難してきたのである。
その後もザビエルは各地でキリスト教カトリックの教えを説くのだが、素直に感動してその場で入信する者はなかなか現れず、カトリックの教え、ザビエルの説法の矛盾を的確につき、ザビエルは答えに窮するという事態が度々生じた。
ザビエルはやむを得ずイエズス会本部に
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本での布教は苦労するであろう」
と手紙を送った程であった。
「ザビエル師は人格的には非常に立派な方だが、神学の理解そのものは残念ながら浅かったようだ。デウスを「ダイニチ」というホトケの最高神に訳した為、カトリックの教えがホトケの一派だと勘違いされたこともあったらしい。そのような轍を二度と踏まない為、カブラルが派遣されたのだ。彼の学問の深さは本物だし、ザビエル師のように妥協してカトリックの教えをジャポネーゼに合わせるようなことは決してしないであろうとな」





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