第51話  傲慢と偏狭

文字数 2,311文字

「成程。日本人はカトリックの教えの矛盾を突き、宣教師を論破したりしたのか」
常に無表情で己の感情を表に出さないヤスフェであったが、この時ばかりはその厳めしい顔に笑みを浮かべた。
(宣教師は有色人種、異教徒を無知蒙昧で哀れな存在と頭から決めつけているからな。当初は見下していたでろう日本人にことごとく論破されたフランシスコ・ザビエルの動揺ぶりが目に浮かぶようだ)
何と痛快な事だろう。ヤスフェの日本人への好意と敬意はさらに高まり、最高域にまで達しようとしていた。
「何がおかしいのだ」
流石のヴァリニャーノも憤然となって言った。
「いや、失礼……。日本人はカミとホトケという二種類の神々を信じているとマラッカで親しくなった者から聞いた。いささか変わっているな」
「カミというジャッポーネ古来の悪魔とホトケというインディアから伝来してきた悪魔の教えが共存しているらしい」
ヴァリニャーノは悪魔という言葉を強調して言った。
「ホトケの教えはインディアで生まれたが、既にヒンドゥーとイスラームによってほとんど滅んでしまったようだ。所詮はその程度に過ぎん。そのような滅ぶべき教えをこのジャッポーネでは国教同然に崇めているのだ。何と哀れなことよ。一刻も早く我らの手でこの国の人々を偶像崇拝の罪から救い出し、唯一絶対の真理、貴きデウスへの信仰に導かねばならない。その為にこの命を捧げよう」
「……」
ヤスフェはヴァリニャーノの決意表明に異を唱えることはしなかった。
所詮は護衛に過ぎない己に宣教師としての純然たる使命感に燃えるヴァリニャーノの言葉を否定する資格は無いであろう。
それに信仰の点でヴァリニャーノとの溝を埋め、真に認め合うことは不可能であると諦めているが、それでもヴァリニャーノという一人の人間に対しての敬意が消え失せた訳ではないし、彼を我が身を盾にして守るという決意は揺らいではいない。
(ヴァリニャーノには済まないが、この国の人々がカミとホトケの教えを捨て去って、デウスに帰依することは恐らくあるまい)
ヤスフェは確信した。ジャッポーネ、日本は四方を海に囲まれ、山岳が多く、森林と湧水が豊富な非常に美しい国である。
日本の人々は国土の至る所、あらゆる現象に神々が宿ると考え、八百万、つまり無数の神々を信仰しているのだという。
そして同時にホトケというインディア伝来の教えをこの国の風習に適合するよう作り変え、八百万の神々の中に取り入れたらしい。
そのような国民が神は唯一絶対の存在であるというキリスト教カトリックを受け入れることは無いのではないか。
そしてこの国の人々は宣教師の説教の矛盾を突く程賢明であり、サムライのいう戦士はかつて世界を恐怖と混乱に陥れた悪魔の軍団、モンゴルの侵略をも撃退したほどの勇猛さを誇っているのである。
例えデウスの威光を広める為と称してエスパーニャ、プルトゥガルの軍勢が攻めて来たとしても、この国が屈することはあるまい。
(そしてもしエスパーニャ、プルトゥガルが侵略の兵を向ける時が来れば、私はサムライの側について戦いたい)
ヤスフェはそのように考えていた。
(全く不思議なことだ。まだこの国に着いたばかりだというのに。未だ直接サムライと見えた訳でもないのに……。だが私の運命はそう決まっているように思える。私の命は、私の力はその為に使われるべきものなのだという強い確信があるのだ。これ程強い確信はかつて感じたことはない。まだ見ぬ神が私にそう命じている。そんな気がしてならない)

「すぐにカブラル師と直接会う前に、他の宣教師やジャポネーゼの信徒に話を聞いていた方が良いな」
とヴァリニャーノはヤスフェや他のイエズス会士に語った。
ヴァリニャーノは果断な性格であるが、用意周到な一面も持ち合わせている。
特にカブラルは頭脳明晰で雄弁な男であるから、彼と対峙するためには詳細な情報を集め、充分に準備せねばならないと考えたのだろう。
同時に自分がこの地で布教活動を成功させるためにこの国の人々、文化をよく知りたいという欲求もあるに違いない。
「この国の人々の風習や性格は、我々ヨーロッパ人とははなはだ異なり、相反しているな」
現地を調べているうち、ヴァリニャーノはそう言って慨嘆した。
特に使用される文字、言語体系の違いはいちじるしいと言うしかない。
ヨーロッパ人であるイエズス会士もアフリカ人であるがインディアの言語、文化に馴染んでいるヤスフェも日本語の読み書きを習得するのはとてつもなく困難であろう。
「だがそれでも何としてでもこの国の言語を身に着け、文化に習熟せねばならぬ」
ヴァリニャーノは言った。当然だろう。そうでなければこの国の人々の信頼を得ることが出来ず、布教が成功するはずも無いのだから。
だがヤスフェとヴァリニャーノ一行が日本で建てられた教会で先に来日していたイエズス会士や日本人信徒と接触すると、驚くべき事実が判明した。
それはイエズス会士、宣教師達が全く日本語を習得しておらず、また日本人信徒にキリスト教カトリックの教えを真に理解する為に必須のラテン語、それに宣教師と意思疎通する為に必要なプルトガル語も全く教えていないということだった。
「カブラル師の方針なのです」
宣教師の一人がヴァリニャーノにそう釈明した。
「カブラル師が仰るには、ジャポネーゼがラテン語やプルトゥガル語を習得し、我ら宣教師たちが話している内容を理解出来るようになると、宣教師を尊敬しなくなるであろうと」
「あの愚か者めが……」
これまでカブラルへの直接的な批判、悪口は口に出さぬよう抑えていたヴァリニャーノであったが、この時ばかりは流石にその傲慢と偏狭を罵らずにはいられなかった。




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