第52話  宣教師フランシスコ・カブラル

文字数 2,191文字

こうなっては直接対決してカブラルの誤った布教方針、露骨と言うしかないジャッポーネ、有色人種に対する差別を改めさせねばならない。
ヴァリニャーノの決意は定まったようである。
「ヤスフェ、お前はしばらく休んでくれ」
ヴァリニャーノはヤスフェにしばしの休暇を与えた。
ヤスフェを有色人種への差別を露わにするカブラルと会わせるべきではないと判断したのだろう。
カブラルがヤスフェに対してどのような酷い侮辱的な言葉を吐くかおおよそ想像がついたからに違いない。
そしてヤスフェは既に奴隷ではなく自力で自由を勝ち取ったことに強い自尊心を持ち、白人に対して卑屈になることもなく、侮辱に対して毅然と立ち向かう気性であることも知っている。
万が一ヤスフェが激昂し、カブラルに対して暴力を振るうようなことがあれば、彼を護衛として雇ったヴァリニャーノ自身の立場が悪くなることを慮ったのだろう。
「……」
そのような配慮は無用だとヤスフェは言うべきか一瞬迷った。
例えカブラルがどれ程酷い差別的な罵倒をしようとも、己はぐっとこらえて感情を爆発させるような真似は決してしないと誓ってもよい。
護衛として、依頼主の立場を悪くするような真似は死んでもしないという絶対の自負と誇りがヤスフェにはあったからである。
しかしヴァリニャーノは己の立場が悪くならない為の打算よりも、ヤスフェの誇り高い心を傷つけたくないという優しさが勝って言っているのだとヤスフェは解釈し、素直に従うことにした。

「これはヴァリニャーノ師。久しぶりですな。ゴアよりこのハポン国への旅路、さぞご苦労されたことでしょう」
フランシスコ・カブラルはそう言ってヴァリニャーノ達イエズス会士の同胞をうやうやしく迎えた。
その振る舞いはエスパーニャ貴族の生まれに恥じぬ高貴さと軍人として厳しい鍛錬を積んだ剛毅さが渾然一体となった見事なものであった。
カブラルは 1529年 生まれであるからヴァリニャーノより丁度十歳年長であり、すでに五十路を迎えて、本来は漆のように漆黒だったであろう髪は半ば白くなっている。
何より印象的なのは、カブラルが眼鏡を手でもってかけていることである。
先にヴァリニャーノが他のイエズス会士と会った時に聞いた話では、カブラルがこの国の中央、畿内と呼ばれる地に出向いた際にこの眼鏡をかけていた為、その地の人々の間で
「伴天連は目が四つある」
と噂が広まり、四つ目の異人を見ようと群衆が集まり大騒ぎになったらしい。
そして痩せたその体には粗末な麻の衣を纏っている。
カブラルより先にこのハポン国、ジャッポーネに赴任してきた宣教師は、         「この国の人々は身なりがきとんとしていない、粗末な服装な者は軽蔑されるから、清潔で高価な絹の衣を纏うべし」
と推奨した為、ヴァリニャーノ達はあえて絹製の良い衣を纏っているのだが、カブラルからすれば許しがたいことらしい。
イエズス会士の清貧の教えに反している、と言う事なのだろう。
確かにそれはカブラルのあくまでキリスト教カトリックの教えを遵守するという高潔な姿勢を露わしているのかも知れないが、同時にこの国の人々の価値観や感情などには一切配慮しなくても構わないという傲慢で頑固な姿勢も露呈していると言えるだろう。
「カブラル師、貴方のこの国での布教方針はいささか問題があると言わざるを得ない」
あいさつもそこそこに、ヴァリニャーノは単刀直入に言った。
「ほう、一体どこがですか?」
いかにも心外と言った表情のカブラルである。イエズス会屈指の学識を誇り極めて自尊心が高く、己の価値観、手法を否定されることを病的にまで嫌うカブラルであったが、激高を抑えたのは一応はヴァリニャーノに一目置いているからだろう。
「貴方は他の宣教師にこの国の言語を学ばせず、ジャポネーゼの信徒にラテン語やプルトゥガル語を学ばせないと聞きました。これでは我らイエズス会宣教師とこの国の信徒の間で溝が出来てしまうでしょう」
「ああ、そのことですか」
カブラルは失笑を露わにした。
「あのよう不可解な言語を学ぶなど、全く無意味で無駄な事です。そのようなことに時間を割くなど愚かな行為と言わざるを得ない」
「……」
「そしてこのハポン国の人間は極めて低級な民族です。高貴なラテン語、我らヨーロッパの言葉を解することは不可能でしょう」
ヴァリニャーノは愕然となった。カブラルが有色人種、異教徒に対して強い嫌悪と侮蔑を感じているのは分かっていたが、ここまで堂々と口にするとは流石に予想していはいなかったからである。
「私はそうは思わない」
ヴァリニャーノは反論せねばならなかった。
「貴方も知っているでしょう。最初にこの国に訪れたザビエル師がジャポネーゼ、この国の人々を異教徒の中では最高の優れた民族だと評したことを。私も実際に会ってそのように感じました。貴方だって目にしているでしょう、この国の優れた文明を。ヨーロッパにも全く引けを取らない。この国の人々は極めて賢明だと言って良いはずです」
「真の神に背いた悪魔への信仰によって生み出された汚らわしい文明です」
カブラルは胸を張って宣言するように言った。
「私はこの国の人間、ハポネスほど傲慢、貪欲、不安定で、偽装的な国民は見たことがない。ヴァリニャーノ師も聞いているでしょう、ハポネスはキリストの教えに背く重大な罪である男色を公然と行っていることを」







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