第7話  荒木村重

文字数 3,489文字

天正七年、キリスト紀元1578年の夏。ジョバンニ、ロルテスこと山科勝成がジャッポーネに初めて来てから早くも一年近くが経とうとしていた。
当初は勝成の存在を疑問に思い、また見世物の如きものと軽く見ていた蒲生家家臣団であったが、この頃にはそのほとんどは認識を改めていただろう。
勝成のオスマン帝国との戦をかいくぐることによって磨かれた武魂と武勇は戦国乱世を生きる荒武者共も充分に認めせるものがあった。また勝成の陽気さ快活さ、その巧みな機知と諧謔(かいぎゃく)、それにその爽やかな笑みは多くの人を引き付けてやまなかった。
「お主は何やら、我が殿と似ているな」
そう言って殊の外勝成に親しみを見せるのは横山喜内である。元は信長に滅ぼされた六角家の家臣であったが、その後蒲生家に仕えることになった。
やや小柄であるが鍛え抜かれた鋼のような五体を持ち、いかにも勇猛で俊敏な印象を与える武士である。
「生まれた国や外見は異なれど、勇者という者の性質は共通なのやも知れんなあ」
世辞などではなく、心からそう言っているらしい喜内に勝成もまた親しみを覚え、二人は朋友と言って良い間柄になっていた。
そんな二人が揃って主君蒲生賦秀(やすひで)に呼び出された。
「また殿のお好きな武辺談義であろうな。わしもお主の語る南蛮の戦の話は何度聞いても飽きぬよ」
喜内が言うように賦秀は殊の外話好きで、特に武辺談義、それに怪談を好んだ。
勝成もサムライ共が語るジャッポーネで行われる戦の様子、武勇自慢は無論楽しく大いに学ぶところがあったが、怪談と呼ばれるこの国の伝承、神話、伝説もまた非常に興味深かった。当初は異教徒の下らぬ迷信と軽蔑していたのだが、やがてこの国の豊穣な文化、歴史、価値観を知る格好の材料と知ったのである。
だが常はその秀麗な顔貌に微笑を絶やさぬ若き主君の様子が憂い顔を浮かべていた。
明らかに家臣と談義に花を咲かそうという気配ではない。
「殿、何かあったのですか?」
「……荒木摂津守(せっつのかみ)殿の様子がおかしいらしい。謀反を起こす気配があるというもっぱらの噂なのだ」
「何と、あの荒木殿が……」
勝成もアラキという武人についてはよく耳にしていた。荒木摂津守村重は元の主家から織田家に鞍替えしてからほんの数年という新参の身でありながら、その卓越した武勇を信長に見込まれて摂津一国を任される程の大身となった。
その威勢、権限は織田家の柱石と目される六人の武将、すなわち柴田勝家、丹羽長秀、佐久間信盛、滝川一益、明智光秀、そして羽柴秀吉に伍するというから、まさに出世頭と言って良い。
だが播州三木城攻めの任に就きながら突如陣を放棄し、自身の居城である有岡城に籠ったのだという。
「あれ程信長様より寵愛を受けて誰もが羨む栄達を遂げながら、一体何が不満で……」
「毛利家、あるいは本願寺から調略を受けたやも知れぬな」
毛利家はジャッポーネの中国地方を支配する大諸侯であり、本願寺は浄土真宗というホトケの教えを奉じる一大宗教勢力である。この二つの勢力こそがジャッポーネ統一を目指すノブナガにとって現在における最大の敵であると言えるだろう。
当然、ノブナガの戦力を削る為にその配下を裏切らせるよう、あらゆる謀略を仕掛けているに違いなかった。
「信長様は荒木が裏切るなど信じられぬし、今からでも遅くはないと翻意させるべく使者を送る意向のようだ」

ノブナガは側近である万見重元(まんみしげもと)松井友閑(まついゆうかん)、そして織田軍が誇る方面軍司令官の一人であり、自身の娘を村重の嫡男に嫁がせている明智光秀を糾問の使者として有岡城に派遣した。
「いや、それがしが上様に謀反などとは、根も葉もなき浮説流言にござる」
三人の使者を迎えた荒木摂津守村重は弱弱しい声でそう答えた。
村重は六尺をゆうに超す巨漢であり、
「まるで人を喰らう猿の妖怪、狒々(ひひ)の如き面よ」
と悪口を叩かれる程魁偉な風貌であるのだが、この時は休むことなく戦陣で過ごした疲労故か両眼が落ち込み、黒いくまが出来て頬の肉が削げ落ちた痛々しいと言うしかない様子であった。
「根も葉もなき浮説流言……。それは真にございまするな。上様に背く意志は毛頭ないと断言出来るのですな」
万見重元が強い調子で訊ねた。ノブナガの寵童として知られるだけあって類まれと言って良い秀麗な美貌の持ち主である。
その濡れた双眸には虚言やごまかしは断じて見逃さぬという鮮烈な理知の光と同時に、ノブナガの寵愛を誇る驕慢さと、わずかな年月で誰もが羨む栄達を遂げたはずの武人が今まさに転落しようとする様を心地良げに思っているらしい底意地悪さが秘められていた。
「断言出来まする」
万見の斬りつけるような視線を跳ね返すように村重は言った。
「戦国策という唐土の古書に、市に虎あり、三人市虎をなすと申しますな。事実無根の風説もいう者が多ければ、ついつい真実と信じてしまうと。上様は神の如き英明さを持つ御方なれど、側近の者共より日々誣告(ぶこく)、中傷を受ければ、ついつい疑念が生じるのも無理なきものと存ずる」
言外に、お前もノブナガの耳に浮説や中傷を入れた一人なのではないかという疑念と怒りが含まれていた。
「いや、摂津殿のお気持ち、拙者にはよく分かる」
村重と万見の間で生じた緊張を瞬時に鎮める深沈とした声で言ったのは、明智日向守光秀である。
「拙者も立場的には摂津殿とよく似ておりまするからな。上様の英武、御器量に惚れぬいた故心ならずもかつての主に後ろ足で砂をかけることになってしまった。にも拘らず上様の深い寵遇(ちょうぐう)を賜り、身に余る栄達を遂げることになってしまった。そのような者には世間は何かとうるさい。拙者も心無い中傷、悪罵を散々浴びせられ、また何とかして上様の恩に報いたいと五体に鞭打ちながら働くうちに疲れ果て、ついつい心迷って己の持ち場を放棄したくなったことは一度や二度ではござらぬ」
明智光秀はかつてはサムライの棟梁と言うべき存在、ショーグンに仕える身であったが、すぐに軽躁浮薄な人柄であったらしいショーグン足利義昭を見限りノブナガに鞍替えした。
光秀は古典に通暁した深い学識の持ち主でありながら古い権威をものともしない剛毅果断な気性の持ち主で、武将としては戦術に優れているのは勿論、特に敵を欺く計略、謀略に天才的な手腕を有していたことをノブナガに認められ、丹波国攻略の司令官に抜擢されていた。
丹波のみならず各地へ往復しながら転戦を繰り返している為その疲労の度合いは村重をも上回っているはずだが、その顔貌も声も本人の言葉とは裏腹にまるで疲労の色は無く、艶やかで精力的そのものである。
西洋人との混血なのではないかと疑われる程彫りの深い顔立ちで、特にその盛り上がった鷲鼻は見る者に強烈な印象を与えずにはいられなかった。
年齢は既に五十歳に達しているはずだが、まだ三十代の若さにしか見えない。
村重は光秀とは姻戚関係であり、なおかつ茶の湯と連歌に通ずる同好の士でもある。
にも拘わらず村重は明智光秀という男が苦手でたまらなかった。
(この男と相対すると、いつも心が圧迫される……。何なのだ、この男が発する得体の知れない気配は……)
村重はノブナガの寵臣、万見重元を相手に激発して危うく取り返しのつかない事態に陥ることから危うく光秀によって救われたのだが、少しも感謝の念は起きなかった。
それどころか、人の皮を被った妖魔に魂の一部を呪縛されたような恐怖と不快感を味わった。
「そうでござろう、摂津守殿。貴殿は疲れ果てた心身で合戦に臨んでは思わぬ不覚をとるやも知れぬと悟った故、一度我が城に戻って鋭気を養おうと考えたのでござろう。そうに違いない」
「……」
「で、あろう、摂津殿」
光秀の双眸に異常な光が灯った。その光はこの世のものとは思えない、人間が発するものとも思えない禍々しさであった。
心身共に疲れきり、感情の動きが鈍くなっていた村重であったが、これまで感じたことの無い恐怖を味わった。
かつてノブナガに拝謁した時、ノブナガは刀の切っ先に五個ほどの饅頭を突き刺して
「食ってみろ」
と、村重の前に突き出した。
万見重元ら側近たちは等しく顔貌を蒼白とさせていたが、村重は眉一つ動かさず
「ありがたく頂戴します」
とその狒々の如き巨大な口を開けて一口で飲み込んで見せた。
それ程の傑出した胆力を持った村重でありながら、この時は哀れなほどにうろたえ、狼狽を露わにした。
村重に反感を持ち、このまま滅びてしまえばよいと小気味よく思っていた万見重元も、一切私情を挟まず冷徹に事の推移を見極めようととしていた松井友閑も、かつて威勢を天下に誇った猛将荒木村重とは思えぬ消耗ぶりに流石に哀れみを覚えた。









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