第41話  対面

文字数 4,217文字

「よく来たな、お冬、忠三郎。それにオルガンティノ殿。そしてそちが噂の赤い髪の南蛮武士か。一度会ってみたいと思っていたところだ」
快活で鋭気に満ちた声が鳴り響いた。勝成が予想していたよりも幾分甲高い声である。
「初めて御意を得ます、オオトノ様。私はかつて聖ヨハネ騎士団に所属していた騎士ジョバンニ・ロルテス、只今は蒲生家にお仕えする山科勝成と申します」
勝成は丁重に礼をしつつ、意志を奮い起こして必死に己の感情を鎮めた。そうでなければ到底許すことのできない七つ松の大量処刑の命令者へ掴みかかるかもしれなかったからである。無論そうなったら賦秀と蘭丸にたちまち取り押さえられるだろう。
そして天下布武を掲げて争乱のジャッポーネの半ばを既に支配しつつある覇王へその鮮やかな緑の瞳を向けた。
(成程、オダ家の一族は皆美形と名高いそうだが、そう言われるだけはある。特に眼や鼻筋の辺りは冬姫に似ている)
その顔立ちはやや面長で髭は薄い。そして体格はすっきりと痩せてはいるが、鍛えられ研ぎ澄まされた太刀のような筋骨を有しているのが見て取れた。
ノブナガは若い頃は馬術の訓練を欠かさず冬以外の季節は水練に励み、師について剣術、弓術、砲術を熱心に学んでいたという。
四十歳を過ぎた現在でも酒食に耽って怠惰に過ごすことなく激務の合間を縫って武芸の鍛錬に励んでいるのは明白であった。
(もしかしたら、いざ剣を取って戦えば俺より強いのでは……)
だが娘である冬姫と義理の息子である賦秀の挨拶に応じるその穏健な態度からは猛々しい武人、大量虐殺も厭わない恐るべき暴君の片鱗は全く見られなかった。
「どうかセミナリヨを建設することをお許しになってください」
イエズス会による司祭、修道士育成の為の学校を造らせて欲しいというオルガンティノの嘆願にもノブナガは笑顔を浮かべながら快諾した。
この寛大さ、そして接する人々を魅了して止まない人間的魅力。やはりそれはかのユリウス・カエサルを彷彿させずにはいられなかった。
「そちは南蛮で起きた名高い大戦で見事な武勲を立てたそうであるな。その様相を聞かせてくれぬか」
勝成は一礼してこれまでの生涯で最大の激戦となった西暦1571年のレパントの海戦を語った。
客人たちにはくつろいで酒を飲むことを勧めながらノブナガ自身はほとんど酒に手を付けない。もとより酒を好まないらしいが、重要で価値のある話を聞くのに酔いで判断を鈍らす訳にはいかないという判断もあるのだろう。
ノブナガは勝成の話を食い入るように聞いている。その瞳には凄まじい気が雷火のように煌めいており、勝成はとてつもない圧迫感を覚えた。戦場で死と隣り合わせで戦っている時に勝る緊張である。
勝成は数百年に一人現れ、人類の歴史に例えそれが悪名であっても不滅の名を残すことになる破格の英雄と対峙しているのだと今更ながら実感した。
「オスマンとやらの兵数はどれ程だったのだ。武装はどのようなものだったのだ」
「その時そちら聖ヨハネ騎士団はどのような戦術を選んだのだ。具体的には何人の兵をそこに向かわせたのだ。風はどれ程の強さだった」
ノブナガはただ話を聞くだけではなく幾度も質問をし、勝成に詳細に答えることを要求した。
勝成が思い出すのに時間がかかると露骨に苛立たし気な表情を浮かべ、記憶違いから誤った答えをすると、
「それはおかしい。その状況でそのような動きはしないはずだ。正確にはこうだったのではないか」
とまるでその時その場で見ていたかのように勝成の誤りを正した。
ノブナガという人物が極めて性急な気性であり、なおかつ恐ろしいほど精密な頭脳と遠い異国の戦を話に聞くだけで鮮明に思い描くことが出来る豊かな想像力を有しているのが明らかであった。
「そちらが取った戦術は過ちであったな。こうすればもっと味方の被害が少なく、より敵に損害を与えることが出来たはずだ」
ノブナガの発言を受けて、勝成は衝撃を受けた。
(この人はただ話を聞くだけでなく、頭の中でオスマン帝国と戦っているのではないか……?)
勝成はそう疑いつつ話を続けた。すると徐々にノブナガの質問の内容が変わっていった。
レパント海戦の話から聖ヨハネ騎士団以外のヨーロッパの国々持つ戦力、武装、戦術へと。
特に欧州の、世界の覇者たらんとするエスパーニャ、プルトゥガル両国の戦力の詳細を聞くことを欲した。
そしてその問いを発するノブナガの眼付、表情も先程とは明らかに違っていた。
一人の武人からこのジャッポーネの戦乱を収め、この国とそこに息づく全ての人々を守り統治せねばならない統治者のそれへと。
(この男は明らかにイエズス会とその後ろ盾になっているエスパーニャ、プルトゥガルの両国を警戒しているな)
そしてその警戒は正しい。ノブナガはオルガンティノ、そしてルイス・フロイスの信仰によって磨かれた清廉な人柄を認め、彼らがもたらすヨーロッパの知識、そして貿易には大いに興味を持ち、イエズス会と親しく交流しているうちに、彼らの背後にいるエスパーニャ、プルトゥガルの強大な軍事力とその不逞な野心を嗅ぎ取ったのではないのか。
無論、オルガンティノやルイス・フロイスがエスパーニャ、プルトゥガルによる世界征服事業と植民地政策を正直に語っているとは思えない。
ノブナガの気性からすれば、そのような事実を知ればたちまちこの国に広まりつつあるキリスト教カトリックへ恐るべき弾圧を加えるに違いないからである。
かつて高山ジュスト右近が荒木村重に加担すれば彼の領国に存在する全ての教会を破壊し、宣教師と信者を悉く磔にかけると脅迫したが、それ以上の破壊と殺戮が全国規模で行われることが火を見るよりも明らかである。
勝成はそっとオルガンティノの表情を窺った。
(ああ、今ようやくはっきりと分かった。彼も辛い立場であり、余程苦しい思いをしていたのだろうな)
邪心の無い子供のように人の良いオルガンティノが時々深刻な憂い顔を浮かべていることを奇異に思っていたが、その理由がようやく理解出来た。
オルガンティノはジャッポーネがキリスト教カトリックの国になることを心から熱望し、その為には命を懸けることに寸毫の迷いも無い。
この優れた国民の全てがキリスト教徒になれば、かつて歴史上世界のどこにも存在しなかった理想的なキリスト教の王国が誕生すると確信しているのだろう。
かといってこの国がエスパーニャ、プルトゥガルの植民地となることだけは断固として反対なのだ。
その気持ちは勝成も全く同じである。
勝成とオルガンティノの祖国イターリャは現在その国土のほとんどをエスパーニャ帝国に支配されている。
そのような屈辱と苦しみを心から愛するこの国の人々に味会わせたくはない。その気持ちに偽りは無い。
しかしオルガンティノはイエズス会士の司祭としての立場からも、また一人のキリスト教徒としてもエスパーニャ、プルトゥガルの脅威をノブナガに伝えることは出来ないのだろう。
この国の乱世が終結し、真にキリストの教えが浸透して確立するまでは。
(これではノブナガ殿を騙し、利用しているのも同じではないか……)
オルガンティノは忸怩たる思いに違いない。だが勝成の思いは違った。この男は大いに利用すべきではないのか。
(確かにこの男は必要な存在なのかも知れない。この国が真のキリスト教の王国となり、一つとなってエスパーニャとプルトゥガルの脅威に立ち向かえるようになるためには……)
ならば己はブルトゥスとしての使命を断念し、一人のサムライとしてこの人物が掲げる天下布武の理念の為に戦うべきなのではないか。
しかし勝成の脳裏に七つ松で行われた残忍極まる大量処刑の光景が、罪なき女子供達の死の様子が鮮明に蘇った。彼らの悲惨極まる悲鳴が耳朶に鳴り響き、人間が生きたまま焼かれるおぞましい異臭が鼻孔にただよって来る。
(やはり俺はどうしてもこの男を許すことが出来ない……)
そして救いを求めるような表情で我が主君、蒲生忠三郎賦秀の顔貌を見つめた。
(それに俺はノブナガではなくこの御方が真の王者としてこの国に君臨する姿をどうしても見てみたい。俺の命はその為にこそ捧げるべきなのだ)
勝成の迷いは消えた。
(ノブナガよ、俺はオルガンティノと違って後ろめたさや、良心の痛みは感じぬぞ。我が主君の為、キリストの教えの為にお前を大いに利用してやる。もうしばらくこのまま覇道を突き進め。まだこの国の争乱は終わっておらぬし、まだ強大な力を持つ諸侯が各地に存在している。彼らを討ち滅ぼして行け。エスパーニャとプルトゥガルの侵略をはねのけるだけの武力を蓄えよ。そしてその時が来たらお前には退場してもらう。その後を継ぐのは我がトノだ。俺が必ずそうさせてみせる)
胸に恐るべき企み、野心を抱きながら毛ほども表情には出さず勝成は丁重で快活な態度でノブナガと談笑した。
そしてそのような己に驚きと喜びを感じていた。
(かつての俺はここまでしたたかに振る舞えなかったはずだ。この国で得た体験が、戦が、そして真の主君を得て己が成すべき使命を悟ったことが俺を強くしたのだ)
「いや、今日は特に興味深い話が聞けた。礼を申すぞ、山科勝成よ」
ノブナガは親しみやすい表情でありながら、君主としての威厳も完全に備わった声で言った為、勝成は居ずまいを正した。賦秀、冬姫、オルガンティノも同様である。
「お前の話は色々参考ににすべきところがある。また聞かせてもらおう」
そう語るノブナガの眼には恐ろしい程怜悧な光が灯っていた。
その光を目の当たりにし、勝成は己の目論見が成功したことを確信した。
(俺は宣教師によるキリストの教えの伝道と結び付けずにエスパーニャ、プルトゥガルの脅威を語った。ノブナガはジャッポーネの諸侯と戦いながら海外の敵に備える必要を充分感じ取ったことだろう。そしてこれから先もこの俺から情報を得ようとし、側に呼ぶことだろう。オルガンティノやフロイスからは軍事的な話は聞けないだろうからな。俺は求められるまま話をし、正確に情報を伝えてやろう。ヨーロッパやあるいはイスラームがこの国に攻めて来た時に必要なことを。そうやって俺はノブナガの信用を得る。そして……)
「会わねばならぬ客が他にいるのだ。ここらで失礼をする。お前たちはゆっくり寛いでいけ」
ノブナガはその端正な顔貌に魅力的な笑みを浮かべながらそう言い、蘭丸を連れて軽やかに身を翻して去って行った。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み