第21話  蒲生家の武

文字数 2,662文字

「トノ!」
勝成はこれまでの生涯で最高潮を迎えた武魂の高まりが欲するまま槍を振るった。聖ヨハネ騎士団に所属していた時に身に着けた武技であった。
大身槍の長い穂先が勝成の強靭な両腕によってうなりを生じて忽ちの内に荒木の騎馬武者二名をなぎ倒した。
「!」
荒木方の武者達は衝撃に立ちすくんだ。蒲生武士の豪勇にもだが、何よりもその武士が燃ゆる炎の如き赤き髪と神秘的な光彩の緑の瞳を有していたからである。
彼の者は単なる武者なのではなく、遠き天から降り立った神兵ではあるまいかと迷信的な畏怖の念を覚えたことだろう。
だが勝成は敵のそのような様子など気にも留めなかった。一刻も早く主君の元に行き、肩を並べて戦いたかったからである。
愛馬、飛焔は主君の躍動する心を察したのか、猛々しく嘶き、その雄大な馬体を躍らせ、疾走を始める。邪魔な敵は体当たりで弾き飛ばし、さらには頭突きを喰らわせる。
猛き南蛮の武者と赤毛の馬は人馬一体、さらには一つの巨大な火の玉となって飛ぶように大地を駆け、主君の元に到達した。
「おお、山科よ、やっておるな」
蒲生賦秀は破顔した。一体何人の武者を屠ったのだろうか、その銀の兜も甲冑も返り血に染まり、まだらと化していた。
「トノ、一軍の将たる者が弾丸飛び交う戦場の先頭を駆け、自ら槍を振るって戦うなどと、余りに軽率でしょう」
勝成はかつてない歓喜と興奮をあえて強靭な理性で抑え込み、家臣として、そして年長者として諫言を試みた。あまりに無鉄砲な若き主君に流石に危ういものを感じたからである。
「はっはっは、我が父や老臣共と同じことを申しおる。だが無駄なことよ。この蒲生忠三郎の最大の生きがいを止めることは何人にも出来ぬ」
蒲生賦秀は哄笑しながら斬りつけるように言った為、勝成は絶句した。
常日頃の賦秀はその若さに似ず透徹なまでに思慮深く春風のように穏やかである為、
「まるで古典に精通する大学者、象牙の塔にこもる賢者の如き風貌よ」
と勝成は感嘆していたのである。
だが今この時修羅の巣窟と化した有岡の戦場で全身返り血を浴びながら笑みを浮かべる賦秀は、まるで別人と言うしかない蛮勇ぶりであった。
かつてキリスト教に駆逐された北欧の伝承に登場する熊や狼の毛皮を被って絶命するその瞬間まで狂ったように戦うという狂戦士(ベルセルク)とはこのような存在ではないのかとすら思わせた。
「!」
勝成は瞬時に槍を構え、馬腹を蹴った。一人の荒木武士が我が主君に大太刀で斬りかかっていったからである。
勝成の大身槍の穂先が銀色の大蛇の牙のように敵の喉元を喰らいつかんと伸びる。
だが面頬で顔面を覆った黒糸縅の甲冑の荒木武者は大太刀を振るって易々と勝成の刺突を払いのけた。
「むう!」
勝成は手に痺れを感じ、思わず唸った。敵手が凄まじい剛力と卓越した剣技の持ち主であることがその一太刀でいやがおうにも理解させられた。
(これはかつてない雄敵かも知れん)
一対一で武勇を競い合えば、勝敗は五分五分だろう。勝成は秘かに主君、蒲生賦秀の様子を窺った。
賦秀は相変わらず笑みを浮かべているが、その眼には戦の愉悦を貪る狂熱と人の死などに微塵も心を動かすことの無い恐るべき冷酷さが等しく宿っていた。
勝成に加勢する気など毛頭ないのだろう。勝成と敵武者の堂々たる一騎打ちを存分に見物して楽しみたい、その結果勝成が敗れて討たれたとしても、所詮はその程度の男だったのだから特に惜しくはないとあっさり見切ってしまうのが明白であった。
(決して寛容なだけではない。こと戦にあっては恐ろしいまでに厳しく、容赦のない御方らしい)
だが勝成は全く主君に失望を感じなかった。それどころか、何としてもこの主君に我が武勇を認めてもらいたい、真の意味で主従の絆を結びたいと狂おしいまでの欲求に駆られた。
勝成が再び刺突を繰り出す。だが敵武者の分厚い刃が槍の穂先を弾き返し、そのまま勢いを減ぜず勝成の首を刎ねんと横なぎの一撃を送る。
疾風のような必殺の斬撃を勝成は馬上で伏せることによってかろうじて躱した。
大身槍の穂先と大太刀の刃が激しくぶつかり合い、両者の瞳に火花が鮮やかに映り、怪鳥の叫びのような刃鳴りが鼓膜に響く。
(もっと強く、もっと早く技を繰り出さなければ!)
勝成は先程目にした主君、蒲生忠三郎賦秀の苛烈にして華麗な武技を脳裏に思い描いた。
天稟の武才と文字通り血がにじむ程であったろう鍛錬によって身に着けた凄まじい技。
(あの技を己のものとしなければ)
勝成はその瞬間、精神を極限まで集中して賦秀の体の使い方を完璧に模倣し、蒲生忠三郎賦秀その人となりきって刺突を繰り出した。
槍の穂先はかつてない程の威力が込められ、神速の速さとなって飛び、面頬の武者の首を貫かんと向かった。
面頬の武者は身を捻って躱そうとしたものの躱し切ることが出来ず、勝成の槍先に首筋を切り裂かれた。
鮮血の噴水が上がり空中で弧を描きながら勝成の朱色の甲冑に勢いよく注がれ、荒木武者はゆっくりと馬上から大地へと沈んだ。
「よし、いいぞ山科!」
主君の賛辞の声が戦場に鳴り響き、勝成は笑顔で応じた。
その時、二人の荒木武者が討たれた仲間の仇を討つべく、赤髪緑眼の武士に殺到する。
勝成は再び槍を構えようとしたが、思うように体が動かなかった。先程の一騎打ちで心身が著しく消耗していたのである。
すると弦音が鋭く鳴り響き、二人の荒木武者はくぐもった悲鳴を上げながら落馬した。
その首筋は見事に矢によって貫かれていた。
振り返って見れば、勝虫であるとんぼの前立ての兜を被った武者が長大な弓を構えていた。
「キナイ!」
勝成は朋友の名を歓喜と畏敬の念が混じった声で叫ばずにはいられなかった。
一瞬で二名もの敵の命を奪った恐るべき正確さと威力。サムライの表芸である弓馬の技の凄まじさを思い知らされたからである。
「見事だ、二人とも」
槍を振るって新たな敵を屠りながら賦秀は我が家臣を褒めた。
「山科よ、先程は我が槍の技を模倣したな。それでよい。これからも合戦にあってはこの蒲生忠三郎になったつもりで槍を突き、太刀を振るえ。弓を放ち、鉄砲を撃て。蒲生忠三郎ならばどうやって戦うかと常に考えながら戦に臨め。そうすれば天下無双の武者働きが出来ようぞ」
蒲生忠三郎賦秀は堂々と言い放った。だが不思議と尊大さや不遜は全く感じられなかった。それは己の武の天稟を確信している故の余裕だからであり、その武を家臣と分かち合いたい、蒲生家の主従が真に一体となってこの乱世を戦い抜きたいという一片の邪気の無い純粋な願い故なのだろうと勝成は理解した。






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