第9話  中川清秀と高山右近

文字数 2,697文字

翌日、村重は本心を秘めながら安土へ釈明に行くと称して出立、その途中腹心であり母方の従兄弟である中川清秀の居城、茨木城に立ち寄った。
「釈明など無駄じゃ。無駄に決まっておる。失礼ながら、殿はお甘い。この清秀、体を張ってお止めしますぞ」
清秀はその見事な顎鬚を震わせながら言った。清秀の気性を知り尽くしている村重はこの男なら必ずそう言うであろうと内心ほくそ笑んだが、無論表情には表さない。
「ならばどうせよと?」
いかにも苦悩に打ち沈んでいるという顔付で気弱げに尋ねた。
「無論、一戦あるのみ」
清秀は憤然として言い放った。
「信長公は我らを牛馬の如く酷使しておきながら、側近共の讒言中傷を真に受けて猜疑の眼を向け、挙句の果てに我らが主君を釈明に呼び寄せるとは言語道断。これが我らの必死の奉公に対する報いなどとは到底許す訳には参らぬ。これまで討ち死にした者達に何と申し開きすればよいのじゃ」
周囲の中川麾下の兵も、村重に随身する側近達も熱心に賛同する。
中川清秀瀬兵衛の人柄は狷介固陋で何かにつけ口やかましい男故、普段は家中で全く人気の無い男である。
だが武将としては大軍を指揮する器量は無いが、一万程の兵を己の手足のように縦横に操ることに関しては真に見事であり、この芸に関しては天下に二人といないと断言してよい程である。
また兵を叱咤し、軍の士気を鼓舞することにかけても魔術的と言って良い程巧みであった。
村重は清秀によって将兵を謀反へと駆り立て、また己自身も従兄弟の猛き気炎を浴びることによってともすれば萎えんとする心を奮い立たせようと企んでいたのであった。
「我らが立ち上がれば、必ずや毛利家も本願寺も後ろ盾となってくれるであろう。さらに現在は毛利家に身を寄せておられる征夷大将軍、足利義昭公も。さすれば、我らにも充分に勝ち目はあると思われる。如何か?」
「ふむ……」
村重は今改めて己が置かれた状況について考えてみた、というような表情を浮かべた。無論、清秀に言われるまでもなく、この程度の計算、戦略は既に立てている。
問題なのは、我が将兵共なのだ。果たしてこの者共は本当にあの織田信長に反旗を翻し、最後まで戦い抜く覚悟と気概はあるのだろうか。
天下の群雄のみならず絶大な武力と神聖な権威を持つ仏教勢力、さらには武家の棟梁たる足利将軍までも敵に回しながら卓越した智勇と不屈の闘志で戦い抜いた史上稀なる覇王と。
武田信玄や上杉謙信と言った武略においては自身を上回るであろう強敵と直接干戈(かんか)を交える直前に彼らが死ぬなど、明らかに天運に恵まれているとしか思えない幸運児と。
「右近はどういうであろうな」
村重は中川清秀の従兄弟の名を出した。。高山右近は武将として並々ならぬ力量を持ち、清秀と共に我が双翼と言って良い存在である。
合戦場における兵の指揮も巧みだが、その上広い視野でもって軍略を立てることが出来る為、参謀役として得難い存在であるのだが……。
(元々あ奴は清廉篤実(せいれんとくじつ)を売りにしているようなところがあったからな。その上近頃は切支丹の信仰に凝り固まって、ますます鼻持ちならぬ男になりおった。大恩ある主君に弓を引くなどとんでもない、と正義面で反対するのではないか)
「右近は反対するでしょうな。デウスとやら申す南蛮の神の教えに背くとやら申して」
清秀はそっぽを向きながら吐き捨てるように言った。自身と同格の将であり、また血のつながりのある従兄弟なのだが、水と油と言うしかない性格の違いの為に仲は険悪そのものであった。
「だがもし信長公に反旗を翻すのであれば、真っ先に攻められるのは京に一番近い高槻を居城とする右近じゃ。一応意見は聞かねばならぬ」
翌日、密書を受け取った高山右近が高槻から馬を飛ばしてやって来た。
「殿……」
そう言って右近は言葉を失い、じっと村重を睨んでいる。その眼に宿る清冽(せいれつ)な光から、右近が何を言いたいのか充分すぎる程伝わった。
右近は透けるように色が白く、また無髭である為かなり若々しく見える。
その白くのっぺりとした顔貌と、また襟元で耀く銀色の十字架がこの時村重にはひどく憎々しく思えた。
「書状は読んだな?お前の意見を聞かせよ」
村重は常日頃は家臣に丁寧に接するように心がけているのだが、あえて高圧的に言った。
右近は一瞬鼻白んだが、すぐに襟元の十字架を握りしめて決然とした表情を浮かべた。
「信長公に謀反など、正気とは思えませぬ。何とぞお考え直し下され。あれ程目をかけられ、厚く遇されながら、恩を仇で返すなど武士としても人としても到底許されぬ所業にございましょう」
「……」
「ましてや天におられる我らが主、デウスは……」
「やめよ!切支丹の教えなど聞きたくないわ!したり顔でこのわしに説教などするな」
村重は怒号した。その魁偉な顔は怒りで朱に染め上がり、かの大江山の酒呑童子を思わせる凄まじいものへと変貌した。
この時、村重の心に残っていた謀反へのためらいが完全に消失した。己は常に正しい道を歩んでいるのだと信じて疑わないらしい高山右近への反感、そして彼が奉じる得体の知れない南蛮人の宗教への生理的な嫌悪が灼熱の嵐となって吹き荒れ、村重を駆り立てたのである。
(そう言えば、信長は伴天連(ばてれん)とやら申す切支丹の教えを広めようと企む南蛮人共を随分と気に入り、近づけているらしいな。まとめて葬り去ってくれるわ)
「分かりました。では一人の武士として、殿の重臣として諫言いたす」
村重の嚇怒(かくど)と猛気を受けても、右近は怯まなかった。
「はっきりと申して、信長公に反旗を翻しても、勝ち目などありませぬ。かつて信長公の妹君を娶りながらも朝倉家と通じ兵をあげた浅井長政、そして二年前の松永久秀がどうなったかお忘れか?彼らと同様に滅亡の道を歩むことになるのは必定ですぞ」
「わしはそうはならぬ」
村重は断言した。もはや迷いや恐れは寸毫(すんごう)も無かった。
「右近、随分賢しらな口を聞くが、お主は信長の家臣ではなくわしの家臣であろうが。武士としての忠義を貫くと言うのならば、わしの決定に黙って従い、わしの為に戦うのが筋ではないのか」
「……」
「わしへの恩を忘れるのお主の武士の道か?主君に逆らうのがデウスとやらの教えなのか」
「それは……!」
血の気を失い、絶句する右近は見て村重は小気味よく思った。何としてもこの男を己と共に天下の謀反人に、共犯者へと追いやらねば気が済まなくなっていた。
「右近、わしの覚悟は定まったぞ。我が野心の為ならず天下万民の為、そして神仏の為に信長を討つ。そう心得よ」
「……」
「お前の妹と嫡男を人質に差し出せ。よいな」
がっくりと肩を落とす右近を見て、村重は嗜虐(しぎゃく)の笑みを浮かべた。






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