第22話  抗戦

文字数 2,398文字

その時、突撃をうながす法螺貝の音が有岡の天地を震わせた。蒲生家の物ではない。共に塚口から出陣した蜂谷出羽守頼隆(はちやでわのかみよりたか)の軍勢である。
蜂谷頼隆はこの時四十代半ば、かつては黒母衣衆(くろほろしゅう)の一員であった。
黒母衣衆とはノブナガの護衛、伝令などを担当する側近中の側近であり、当然文武に卓越した俊英のみが選ばれる織田軍団の最精鋭集団と言って良いだろう。
その一員に若くして選ばれ、現在では一軍を任されているのだからノブナガからの信頼の厚さがうかがえる。
その人柄は口数少なく沈毅そのものであるため目立つことは無いが、主君の命を堅実な手腕で確実に果たす武人であった。
蜂谷頼隆は有岡城の防備の手薄の所を正確に見抜いたらしく、鉄砲隊で援護させながら騎馬隊と槍隊を見事な采配で運用し、たちまちの内に土塁へとたどり着かせた。
蜂谷麾下の武者達は梯子を使って土塁に取り付き、一気に駆け上がろうと体を動かす。
将である蜂谷頼隆による厳しい訓練と訓示の賜物であろうか、その動きは俊敏にして無駄が無く、武者達も武功に逸る気色はない。
ただ着々と確実に己の任務を果たそうとする沈毅重厚な趣のみがあった。
しかしそこに一斉に銃声が鳴り響き、蜂谷麾下の武者達は血煙を上げながら堀の中へと落ちて行った。
慌てて援護射撃を行おうと種子島を構えた蜂谷鉄砲隊だが、彼らは発砲する前にことごとく顔面を撃ち抜かれて無惨な骸へと姿を変えた。
一発の空弾もない。この場に山科勝成がいたら、この迅速にして精密極まる一斉射撃を目にして言葉を失っていただろう。
雑賀(さいか)鉄砲衆だ!雑賀(さいか)の者共がいるぞ」
戦慄に満ちた声が上がり、沈着果断を持ち味とする蜂谷麾下の武者達も冷たい汗が背中を伝わっていた。
雑賀衆とは衆目の一致するところジャッポーネ最強の鉄砲傭兵団であり、剽悍(ひょうかん)極まりない地侍集団として知られていた。
彼らは現在においてノブナガの最大の敵手と言うべき本願寺に与しており、これまでに幾度もノブナガの軍団を敗退させてその恐るべき武勇、卓越した鉄砲戦術でもって天下に雷名を轟かせていた。
荒木村重は本願寺に要請して雑賀衆の手練の一部を借り受け、防備の手薄な場所に配置していたのである。
一瞬ひるんだ蜂谷武者達であったが、文字通りそれは一瞬に過ぎなかった。
彼らは蜂谷麾下の誇りにかけて、怯むことなく己の任務を遂行せねばならなかったのである。
銃弾を浴びて骸と化した同胞を盾として彼らはひたむきに進んだ。そんな同胞達の決死の覚悟を支えるべく後方の鉄砲隊の銃士達も決死の覚悟で援護射撃を行う。
己達を遥かに上回る正確無比な射撃にさらされ、次々と射ち殺されていきながらも、同胞を先に進ませるべく間断なく弾丸を放ち続ける。
そんな彼らの死をも恐れない一糸乱れぬ侵攻が遂に功を奏し、蜂谷武者の先頭が次々と土塁や土塀を乗り越えて行った。
しかしそんな彼らを待ち構えていた荒木武者達が一斉に乱刃を浴びせかける。蜂谷武者達は一人また一人と討ち取られて行ったが、一歩も引かず太刀をかざして死にもの狂いで戦った。
「一人も逃がすな。皆殺しにせよ!」
荒木武者達にそう発破をかけたのは、六尺を超す巨漢であった。その顔貌は憤怒と殺意で紅潮し、まるで古の伝説に登場する大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)の如きであった。
「あれは……!あ奴こそが荒木村重だ!謀反人の頭目の荒木村重ぞ。討ち取れ!」
常に沈着に任務を果たすことを心掛ける蜂谷武者達も流石にこの時ばかりは功名心と怒りで我を忘れた。
これまで受けた大恩を忘れて謀反を起こした破廉恥漢(はれんちかん)を断罪すべく、またのこのこと前線に出て来たその軽率を思い知らせるべく、四人の蜂谷麾下の武者が一斉に荒木村重に斬りかかって行った。
恥知らずの謀反人はその大罪の報いに寄ってたかって切り刻まれ、無残な肉塊になり果てるに違いないと蜂谷軍の精鋭達は思ったことだろう。
だがそんな彼らの夢想は一瞬で破られた。
豪刀が一閃して蜂谷武士の首が血の尾を引きながら勢いよく飛び、城外へと落ちて行ったのである。
二人目の武士は真っ向から振り下ろされた一撃を剣をかざして受け止めたものの、そのまま村重の剛力によって押し切られ、顔面を断ち割られた。
三人目は素早く村重の背後に回り、斬撃を浴びせかけようとしたが、その両腕は太刀を握りしめたまま鮮血を振りまいて地面に投げ出されていた。
剣勢といい、膂力(りょりょく)といい、凄まじいというしかなかった。
村重はその巨体にふさわしい熊虎の如き剛力の持ち主というだけではなく、正統な剣術を極めているのは明らかであった。
四人目の同胞が村重の諸手突きによって頸部を貫かれ、ごぼごぼと血泡を吹きながら両ひざを着くのを見て蜂谷武士達は戦慄し、浮足立った。
それとは対照的に、有岡武士達の戦意は一気に高まった。
荒木軍の両翼と言うべき高山右近と中川清秀が一戦もすることなく早々に降伏することによって孤立し、敗北は時間の問題なのではないかと半ば諦めていたのだが、雑賀衆の天下に比類ないであろう正確無比な狙撃術と、何より主将の人間離れした猛勇を目の当たりにし、勝機は十分に残されていると確信出来たのである。
打ち沈んでいたはずの配下の戦意の高まりを抜け目なく察した村重は胴間声を張り上げながら彼らを鼓舞し、あるいは叱咤しながらもいよいよ苛烈に、縦横に豪刀を振るった。
蜂谷頼隆によって鍛えあげられたはずの精鋭達がまるで従順な家畜のように次々と屠られて行く。
蜂谷頼隆は新手を繰り出して間断なく攻めかかるが、村重率いる有岡城兵の頑強極まりない抵抗を崩すことが出来ずにいたずらに犠牲者を増やし続けていった。
有岡の城壁に屍が累々と積み上げられ、凄まじい死臭が風に乗って後方で指揮を執る蜂谷頼隆の元まで漂って来るようである。
常は感情を表に表さない蜂谷頼隆であったが、この時ばかりは無念の歯噛みを抑えることが出来なかった。そしてついに側近に命じて引き鉦を鳴らせた。





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