第35話  勝成と喜内

文字数 2,083文字

「何、荒木の人質数百名が処刑されるだと?!」
朋友の横内喜内から衝撃的な知らせを聞いて山科勝成は我が耳を疑った。
「その人質は女子供がほとんどではなかったのか?それを全員処刑する気なのか」
喜内は沈鬱な表情で頷いた。
「馬鹿な、何故……」
「見せしめであろう」
喜内は女子供への憐れみよりも、この悲劇を招いた荒木村重、荒木久左衛門への怒りと蔑みを込めながら言った。
「織田弾正忠様は極めて厳格で潔癖な御方故な。村重と久左衛門の恥知らずな行いがどうしても許せぬのであろう。そして我が配下からあのような者共が二度と現れぬよう、あえて厳しく罰する必要があると考えたのであろう」
喜内はノブナガの仕打ちが過酷ながらも、やむを得ないと考えているようである。
しかし勝成は到底受け入れることは出来なかった。
「罰するというなら、村重と久左衛門の近親者に限るべきだろう。他の家臣の妻子も皆殺しにする必要がどこにあるというのだ。ノブナガ殿は正気とは思えぬ。何が天下布武だ。抗う力など無い女子供を殺すのがサムライの行いなのか?」
勝成は眼も眩むような激情に駆られて叫ぶように言った。このジャッポーネに来て心から望んでいた真に魂を燃焼させる戦いを得ることが出来、サムライになって本当に良かったと思っていた。
ヨハネ騎士団の騎士としてのかつての己と未練なく決別し、身も心もサムライとなって生き、命果てるまで戦いぬこうと覚悟が決まったというのに、手酷く裏切られた思いであった。
所詮サムライも堕落した西洋の騎士と同じ、いやそれ以下の存在に過ぎないのではないか。
「天下に静謐をもたらす為、武の道に背く者を罰する為ならばあえて非情にも鬼もなる。それこそが真の武士の為すべきことよ」
喜内は勝成の若さ、あるいはサムライとしての覚悟の不足を叱責するように言った。
だがその喜内の厳格な表情と声は結果として勝成の激情をさらに増幅させるだけであった。
「黙れ。俺はこんなことは断じて許せぬ。何としてもノブナガ殿の愚行を止めてみせるぞ」
「どこへ行く気だ」
喜内が厳しい声色で勝成を制止した。
「無論、トノの所だ。ノブナガ殿の義理の息子にあたるトノの御言葉ならば、ノブナガ殿も無下には出来ぬであろうからな」
「馬鹿なことを申すな!」
常は気のいい喜内が怒号した。喜内がここまで怒りを露わにするのを見るのは勝成にとっては初めてであった。
「もしお主の言葉に惑わされ、殿が弾正忠様への諫言を試みたら、どうなると思う。弾正忠様から御不興を買い、御立場が悪くなる結果となるのは明らかではないか。主君と御家を危うくするような真似を武士たる者が成すことは許されぬ。もはやそれが分からぬお主ではあるまい」
「いや、俺は行く。トノならば分かってくださるはずだ」
「ならぬ!」
喜内は再び怒号した。
「断じて殿の元へは行かせぬぞ。どうしても行くと言うのなら、わしはお主を斬らねばならぬ」
喜内は太刀に手を掛けながら堂々と言い放った。その双眸には怒りと殺意が充満し、決して虚言でも恫喝でもないのは明らかであった。
「……」
勝成は金縛りにあったように動けなくなった。喜内とのこれまでの友誼、その武勇への畏敬の念、そして剣技で渡り合えば十中八九こちらが斬られるという明白な事実が勝成の心を折った。
しばし両者は睨み合っていたが、やがて勝成は踵を返した。
「……どこへ行く気だ?」
喜内が先程までとは別人のような穏やかな声で再び勝成に問うた。
「人質が処刑される七つ松とかいう場所へ」
勝成は決然として言った。
「俺に出来ることなど何一つ無いのかも知れない。だがヨハネ騎士団を辞したとは言え、俺はキリストへの信仰を捨ててはおらぬ。何の罪も無い人間が処刑されるのを黙って見ていることなど断じて出来ぬのだ」
「……そうか」
喜内は穏やかな表情で頷いた。主君である蒲生忠三郎賦秀(やすひで)への愚直なまでの忠義心から勝成へ怒りを露わにしたが、ここに来て朋友への友愛の念がまた蘇ったようであった。
「ならば行くがよい。殿へはわしが言っておこう。ただし無茶な真似だけはするなよ。お主はまだまだこの蒲生家に必要な男なのだ」
「……」
勝成はこみ上げてくる思いをどう表現したらいいか分からず、ただ無言で頷くしかなかった。

「さて……」
勝成は陣中でいつでも甲冑を纏える状態のままくつろぐ際にとる形態である小具足(こぐそく)姿を解いた。
そしてこの時代のジャッポーネの普段着というべき小袖(こそで)を着て(はかま)をはき、肩衣(かたぎぬ)と呼ばれる袖を省いた上衣を纏った。
「問題はこの髪だな」
勝成は己の燃ゆるが如き赤い髪を掻きながら思案した。この髪は黒髪しかいないジャポネーゼの間ではとりわけ目立つ。処刑場で大騒ぎになると非常に厄介である。
やむを得ず勝成は頭巾を被った。頭部をすっぽりと布帛で覆う防寒用の被り物である。
一般にはホトケに仕える僧侶が被るものであるから勝成にとってはいささか不快であるが、やむを得ない。
そして大小を佩くと愛馬飛焔に跨った。飛焔は戦場で無い平時にも関わらず、逸る主の心を鋭敏に察したのだろう。
かつて有岡武士相手と戦った戦場と違わぬ速度の勇ましい勢いで駆けた。



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