第47話  イエズス会からの依頼

文字数 2,587文字

ヤスフェが新たなる雇用主を探しているという話はすぐに広まった。
またも雇いたいという声が殺到したが、その中で目を引いたのは、キリスト教カトリックの宣教師から海外布教の為の護衛の任についてもらいたいという依頼であった。
「キリスト教徒か……」
ヤスフェは顔をしかめた。キリスト教徒は好きではない。いや、はっきりと嫌悪感を抱いていると言っていい。
彼らは布教の為ならば命を顧みず危険な航海をし、清貧と貞節などを誓ってキリストの愛を説くことをその理念としている。
しかし実際そのような真に信仰を守って清く正しく生きている者などほんの一部に過ぎないのではないか。
特に今の時代における世界の覇者、エスパーニャとプルトゥガルの所業はどうであろうか。
彼らは「神の威光を遍く世界に耀かせる」ことを大義名分とし、他国を侵略して大虐殺を行い、植民地とする。
そして人々を奴隷として酷使して富を収奪し、その地の伝統、文化、信仰を徹底的に破壊した上でキリスト教への信仰を強制するのである。
そのような征服事業を先導した征服者(コンキスタドール)の中で最も悪名高い存在がフランシスコ・ピサロだろう。
彼はわずかな手勢を率いて新大陸の南部で繁栄していたインカ帝国に侵入し、その地を統べていた皇帝アタワルパと臣民達にキリスト教への改宗を要求した。
太陽神を信仰していた皇帝が改宗を拒否して手渡された聖書を放り投げると、ピサロは神への冒涜だと叫び、銃と騎兵を用いてインカの人々を虐殺し、皇帝を生け捕りにした。
そして皇帝の身代金として莫大な黄金を要求し、それを受け取ると当然のように約束を反故にして皇帝を火あぶりにすることを命じたのである。
インカの信仰では焼死した魂は転生することが出来ない為、皇帝は絞首刑になることを条件にキリスト教への改宗、洗礼を受け入れた。
そしてインカ帝国皇帝アタワルパは洗礼名フランシスコ・アタワルパを与えられ、キリスト教徒として処刑され、キリスト教の方式により埋葬されたのである。
「信じられん悪辣さだ。これが人間のすることか」
皇帝アタワルパの無念はいかばかりであったろうか。それを思うとヤスフェは心が切り裂かれるような悲しみを感じる。
そして唯一絶対の神の名の元に残虐極まりない殺戮と収奪を繰り返し、他国の文化、信仰を破壊するコンキスタドールには全身の血が沸騰するほどの怒りと憎しみを感じるのである。
「奴らこそ私が倒すべき敵だ」
ヤスフェは名を聞くのみで未だ見えたことのないコンキスタドールへ深甚な殺意を抱いた。
「貴方に護衛を依頼してきたのはイエズス会です。彼らはそのようなコンキスタドールとは全く別の存在ですよ。彼らは清貧を貫き、社会奉仕に従事する立派な人達です」
ヤスフェに護衛の話を持ち掛けたインディア人はそう語った。このインディア人はイエズス会士によって洗礼を受けてキリスト教徒になっているらしい。
当然彼はイエズス会の善行にのみ心を奪われ、キリスト教カトリックを盲目的に信仰しているのだろう。
だがヤスフェは先の依頼主であった博学で世界情勢に通じたラーヒズヤの元で様々な知識を得ており、イエズス会の詳細についても知っていた。
イエズス会は西暦 1534年にカスティーリャ王国領バスク地方出身の修道士イグナティウス・デ・ロヨラによって結成された。
その目的はヨーロッパの宗教改革運動から生まれたカトリックの権威を否定するプロテスタントへの対抗であったようである。
若き頃は騎士として武芸に励み、長い間軍隊で過ごしたイグナチオ・デ・ロヨラは軍隊的な厳しい規律でもってイエズス会を統率した。
彼らはプロテスタントからカトリック教会を守る為にはカトリック教会自体を改革せねばと考えたようである。
その為にはカトリックの頂点に立つ教皇に絶対服従し、強固な信仰を貫かねばならないとしたイエズス会は対宗教改革の実戦部隊として活躍し、「教皇の精鋭部隊」と呼ばれるようになった。
(確かに彼らは厳格で清廉な生活を貫いているようだが……。彼らキリスト教は神とは唯一絶対のデウスのみであり、他宗の神は悪魔であると断定する。そしてキリスト教が創造した文明のみが真の文明であり、他の文明は劣っていると言ってはばからない。何と独善的な考えだろう)
幼い頃は故郷アフリカのモザンピークで土地の神々や精霊に祈りを捧げ、インディアにてヒンドゥー教の多彩な神々の教えと奥深く難解な哲学を学んだヤスフェからすれば、「神は唯一絶対の存在である」というキリスト教の価値観には到底ついていけないものを感じる。
(それに彼らはキリスト教を信仰する白い肌の人間のみが神に選ばれた優良人種であり、私のような肌の黒いアフリカ人や褐色肌のインディア人を劣等な存在だと見下している。そのような連中を護衛するなど……)
考えるまでもない。断ろうとヤスフェは即座に決めた。
「貴方に護衛を依頼したイエズス会士の方は、遥か遠いジャッポーネという国へ伝道の旅に向かわれるのです」
そのインディア人は言った。
「ジャッポーネ?」
その国の名は知っていた。ラーヒズヤの書斎にあったマルコポーロという人物が書いた「東方見聞録」を読んでいたからである。
その書によればジャッポーネは東の海上に浮かぶ独立した島国で莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできている「黄金の国」であるという。
その書を読んだクリストファー・コロンブスという名の常軌を逸した強欲さと残虐さをもつ奴隷商人が黄金の国を目指して航海に出て、ジャッポーネではなくいわゆる「新大陸」に到達した。
ヨーロッパ人の黄金の国ジャッポーネへの興味が結果として奴隷狩りと植民地獲得に狂奔する「大航海時代」の幕を開けることになったのである。
「ふむ、一度会うだけは会って話を聞いてみるか」
ヤスフェはイエズス会士に実際に会って依頼の詳細を聞いてから護衛の任を受けるかどうかを判断することを約束した。
無論、黄金への興味からなどではない。
(ジャッポーネに住む戦士階級の者達はかつて世界を恐怖と混乱で支配した悪魔の軍団モンゴルを撃退したという。彼らは世界最高の剣を自在に操り、その剣の技は無敵であると聞いたことがある。その戦士階級の名は……そう、サムライ。サムライと呼ばれているはずだ)
ヤスフェはまだ見ぬ異国の戦士達の存在に不思議と今まで感じたことの無い程の興味と興奮を感じていた。



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