第13話  オルガンティノから見たノブナガ 2

文字数 2,743文字

「比叡山に籠る僧侶共は己が権威と武力に驕り戒律に背いて酒や肉を喰らい、女色さらには言葉にするのも汚らわしい男色に耽る者までいたそうです。まさに旧約聖書に記されたソドムとゴモラの如き悪徳と邪淫はびこる汚れた地でした。彼らに敢然と裁きの刃と炎を下したノブナガ殿の行いは紛れもなく正義であったと私は思います。しかし真の神の教えに未だ目覚めぬこの国の人々にとっては比叡山は八百年の伝統と格式を誇る聖地なのです。織田家の荒ぶる武者達も彼の地に攻撃を加えることには怯み、反対の声を明確に上げたそうです。しかしノブナガ殿は彼らを叱咤して容赦なく駆り立てた」
「……」
「ノブナガ殿はそういう御方なのです……」
勝成はしばし考え込んだが、未だ直接会っていない主君の義父の弁護を試みた。
「だがそれはかのホトケを奉ずる者達が堕落し、武力を持ってノブナガ殿に刃向かったからだろう?だがこの国にカトリックの教えは来たばかりでその力はいたって微弱。腐敗堕落とは程遠い。俺は主君とその奥方、つまりノブナガ殿の娘である冬姫様からかの御仁の人柄を聞いている。確かにノブナガ殿は苛烈で容赦ない行いもするが、抗う力など無い弱者や恭順を示した者、そして清廉な者には殊の外寛大だと聞いているぞ」
「ええ、そうですね」
オルガンティノは頷いた。
「確かにノブナガ殿は寛容な部分は大いにお持ちです。しかし……」
「しかし?」
「私が思うに、ノブナガ殿という御方はかのユリウス・カエサルに似ている気がするのです」
「ほう」
意外な名が出て来たので勝成は驚いた。
「勝成殿はギリシャやローマの古典をよく読まれているようなのでご存知でしょう。カエサルと言う人は必要とあればどこまでも寛容になれるし、逆に必要とあれば恐ろしい残虐行為も辞しませんでした。全てにおいて政治的な目的が優先されるのです」
ギリシャ、ローマの古典文化、学問を復興しようといういわゆる「ルネサンス」の精神が生まれて既に百年以上が経過している。
かつてキリスト教カトリックは古代ギリシャ、ローマの文化を真の神の教えに背くものとして破壊し、その結果暗黒時代をもたらして中世の西洋は文化的に衰退の一途を辿った。
しかしそれとは対照的にプラトン、アリストテレスを柱とする古代ギリシャの知の遺産はアラビア語に翻訳されてイスラーム文化の発展に多大な貢献をしていたのである。
その膨大なギリシャ、イスラームの文献が十字軍の遠征、侵略によってヨーロッパにももたらされ、さらに後のコンスタンティノープル陥落による東ローマ帝国の滅亡によって東ローマ帝国から優れたギリシャ人学者がイタリア半島に亡命することによって古典文献の翻訳、研究は飛躍的に進んだ。
山科勝成ことジョバンニ・ロルテスは古代ローマ帝国の中心地であり、ルネサンスの精神が花開いた都市ローマに生まれ育った為、幼い頃からギリシャ、ローマの古典に親しんでいた。
そして騎士として、傭兵として戦いに明け暮れる凄絶な日々の心の慰めとして特に愛読したのがプルタルコスの「対比列伝」であった。
「プルターク英雄伝」として知られるこの作品は古代ギリシャとローマ帝国からそれぞれ英雄を一人ずつ選んで対比していくという内容だが、その白眉は何と言ってもマケドニアの王でありギリシャからインドに跨る大帝国を築いた史上最高の軍事的天才アレクサンドロス大王と、共和制ローマ末期の軍人、政治家、さらには文筆家であり、帝政ローマの礎を築いたガイウス・ユリウス・カエサルを対比させた章だろう。
勝成は特にローマが生んだ最大の英雄ユリウス・カエサルの生涯に魅了され、彼について書かれた書を渉猟(しょうりょう)したものだった。
ユリウス・カエサルは凱旋を記念して造らせたコインに寛容(クレメンティア)と刻んだという。
事実ユリウス・カエサルは己の政敵を許し、それのみならず高い地位を与えるなどして驚く程寛容な態度を取っていた。しかし一方では敵対する異民族ケルト人を女子供も含めて二十万人以上も虐殺し、生き残りの者は奴隷にして売り飛ばし、あるいは約束を破ったガリア人の両腕を生きたまま切り落とすなど残忍で苛烈な行いも辞さなかった。
無論それはカエサルが血を好んだからではなく政治家として、軍司令官として目的を果たす為に必要だと判断したからだろう。
それはノブナガも同様である。彼の寛容さを示す逸話としては、謀反を起こした者であっても一度は必ず許していることにあるだろう。
実の弟である信行、大和国の太守であった松永久秀も二度も謀反を企んだために誅されたが、一度目は許されている。
今回の荒木村重の場合もノブナガは翻意させようと懸命に努力していたし、彼に与しようとする高山右近を今まさに説得しようと試みているのである。それは彼らの力がこれから先も必要だという冷静な判断からだろう。
だが一方では比叡山には容赦のない弾圧を加え、さらに本願寺という別のホトケの教えを奉じて反乱を起こした約二万人もの人々を柵で囲んでことごとく焼き殺すという凄まじい所業をやってのけたという。
「権力、権威への飽くなき執念。そしてそれを得る為の徹底した合理性と忍耐強さ。名君と暴君の両方を兼ね備えた英雄。それがオルガンティノ殿から見たノブナガ殿という訳か」
オルガンティノは頷いた。
「まさにその通りです。ですからノブナガ殿はジュスト殿があくまでアラキ殿に従うことを選べば、高槻領内の信徒と宣教師の処刑を威しではなく本当に実行するでしょう。それは単にアラキ殿に組するジュスト殿への報復というだけではなく、我ら宣教師と他の信徒への警告も意味すると考えねばなりません」
「ふむ……」
「我が保護の元、ただ信仰を貫き清廉な生活をするのであれば良し。だが武力と権力を手にして敵対するようなことがあれば、容赦せぬぞと……」
そこでオルガンティノは言葉を切り、青白い顔のまま己の思いにふけっているようである。
勝成はオルガンティノの考えはおおよそ見当がつく。
オルガンティノは個人としてはただ純粋にジャポネーゼという稀有な知性と個性を持つ素晴らしい民族に真の信仰を知って欲しいという思いのみがあるのだろう。
だがイエズス会は「神の軍隊」イエズス会士は「教皇の精鋭部隊」と呼ばれる程軍隊同然の厳しい戒律で鍛えられた伝道の戦士なのである。
オルガンティノを除く他のイエズス会士は伝道のみが目的ではなく、ある野心を秘めている者が確実にいる。
彼らの不逞な野心を知った時、ノブナガは凄まじい怒りを発っするだろう。そしてジャッポーネにいる全ての宣教師とカトリック信者に対して比叡山、本願寺の時以上の恐るべき殺戮の刃と炎を下し、一人残らず殲滅しようとするのではないか。
オルガンティノはそのような恐れを抱いているのだろう。


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