第57話  サムライとの対峙

文字数 2,099文字

「馬鹿なことはお止めなさい!」
ヤスフェは思わず、木づちを渡そうとする男性に叱責を浴びせてしてしまった。
抑えようとしても抑えられない、不思議な程の怒りが声を震わせる。
ヤスフェの表情と声からただならぬ深く激しい怒りを感じ取り、キリスト教徒の日本人達は騒然となった。
「な、何故お怒りになるのです?」
「貴方も切支丹なのでしょう?悪魔を崇める汚れた場所を地上から消し去りたいと思われないのですか」
ヤスフェは怯える彼らを見て、瞬時に冷静さを取り戻した。
「私は確かに宣教師達の護衛としてこの国に来ましたが、キリスト教徒ではありません」
ヤスフェは宣言するように言った。
「そしてこの国の信仰、神仏に敬意を持ち、学びたいと真剣に考えています」
ヤスフェの言葉に、日本人キリスト教徒達は信じられないと言った表情を浮かべた。
「神も仏も所詮は唯一絶対のデウスに背く悪魔なのですぞ。何故伴天連様の護衛ともあろう方がデウスを信仰せず、悪魔の信仰を学びたいなどと世迷言を申されるのですか?正気とは思えない!」
「他国他宗の神を悪魔と呼び、蔑むのは白人キリスト教徒特有の傲慢さ故の罪です。日本人である貴方方がそのような愚行を真似する必要はありません」
ヤスフェは教え諭すように言った。この国の人々に、あの傲慢と偏見と差別意識に満ちた白人キリスト教徒の悪影響を受けて自国の文化伝統を自らの手で破壊するような愚かな真似だけはして欲しくない。
ヤスフェの切なる願いが込められた言葉であったが、日本人キリスト教徒達はより一層騒然となり、それまで温和で友好的であった表情が豹変し、憤怒と殺気が露わになった。
「何と言う事を!我らに真の信仰と福音をもたらせてくれた伴天連様を傲慢、罪などと……」
「こいつは悪魔の手先だ!そうに違いない」
「悪魔が人間に化けて伴天連様の護衛に成りすましたか!我らが撃ち殺してくれん!伴天連様を守らねば」
彼らは破壊の為の道具を構えて、今にもヤスフェに襲い掛かろうとした。
(しまった。こんなことになるとは……)
ヤスフェは自分の判断、彼らにかける言葉の選択を誤ったことを後悔した。
日本人キリスト教徒達の眼は殺気と憎悪に満ちている。そしてヤスフェを本当に悪魔の化身と信じているのだろう。
相手は人間ではなくは悪魔なのだから、慈悲を与える必要は無い。そう思い込んでいる人間がどれ程残虐非道になれるかは、新大陸におけるコンキスタドールが証明している。
「止めておけ。その者にお前たちが束になっても傷一つつけられぬ。返り討ちに会うだけだ」
困惑するヤスフェと、殺意と怒りに狂わんばかりであった日本人キリスト教徒達を一瞬に沈める重厚な声が響いた。
その男は首から十字架を下げ、腰にサムライの象徴であるダイショウと呼ばれる二本のカタナを身に着けている。
(この男、やはり本物のサムライか……)
ヤスフェは日本人キリスト教徒達がこの場にやって来てから、ずっと一人の男が気になっていた。
この場に現れたその時から他の者とは違う種類の視線を浴びせていたのである。それはヤスフェの戦士としての力量を推し量る眼であり、その眼には明らかに戦場を往来してきた者だけが持つ気が満ちていた。
他の者は皆商人や富農といった身分なのだろう。しかしこの男は明らかに歴戦の戦士であった。
「貴方は、サムライなのですか……?」
ヤスフェは初めて見えるこの国の戦士階級への畏敬の念と、彼が放つ獰猛な殺気への警戒から微かに震える声で尋ねた。
「いかにも。時任覚衛門(ときとうかくえもん)と申す」
そのサムライは名乗りながらこの場にいる全ての者が惚れ惚れするような流麗な動きで太刀を抜き払った。
「お主が佩いているその剣はプルトゥガル王国の物ではないな。どのような剣なのだ?」
「……インディアで造られたタルワールという種類の剣です」
「ほう、インディアか。仏法が生まれた天竺を南蛮ではそう呼ぶらしいな。その国で生まれた剣がどれ程のものか、どのように振るわれるのか是非試してみたい。抜け!」
「お待ちを!」
ヤスフェは覚衛門の挑戦を受けても動じなかった。己の護衛としての使命感がそうさせたのである。
「私はキリスト教徒ではありませんが、宣教師達の護衛の任に就いているのは間違いありません。彼らの信徒である貴方と剣を交える訳にはいかないのです」
「ふっ、健気よの。お主も拙者と戦ってみたい、サムライの剣技を知りたいという欲求は充分あるはずなのに、それをぐっとこらえてあくまで己の任務を優先するか」
「……」
「だが安心しろ。太刀を先に抜き、挑発したのはあくまで拙者の方だ。お主はやむを得ずそれに応じたに過ぎん。例えお主が拙者を斬っても、お主が咎められることはない。むしろ賞賛されよう。それがこの国の掟なのだ」
「……いや、それでも私は」
ヤスフェはなおもタルワールを抜かなかった。この時任覚衛門という男とは殺し合いなどせず、胸襟を開いて大いに語り合いたい。サムライについて、この国の武について教えて欲しいという純然たる思いが沸き上がったからである。
「もはや問答無用だ。参る!」
覚衛門は怒号し、一気に間合いを詰めて大上段から真っ向太刀を振り下ろした。


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