第10話  戦支度

文字数 2,463文字

ノブナガに釈明すると称して安土に向かっていたはずの荒木村重は突如として己の居城である有岡城に取って返して籠り、籠城戦の構えを取り始めた。
配下の諸将に奮起を促す檄文を送りつけ、また嫡男村次に嫁いでいた明智光秀の息女を離別させ、実家に送り返した。村重の叛意は明らかであった。
「荒木村重、謀反」の報は瞬く間に天下に伝わった。村重が盤踞(ばんきょ)する摂津の国は争乱に明け暮れるジャッポーネの国において戦略的要衝にあたる。
村重の謀反によって織田軍団の最精鋭として選ばれ方面軍部隊を率いて転戦する諸将も連絡網を寸断されて身動きが出来なくなってしまうのである。
これまで怒涛の快進撃を続けて天下のほぼ三分の一を我が領土とし、天下布武の実現も遠くはないと思われた織田信長とその軍団であったが、一夜にして窮地に立たされることになった。
「おいおいおい、冗談では無いぞ。荒木村重めが、血迷いよって。何としても謀反など止めさせなくては」
織田軍の将にあって最も苦境に追いやられることになったのは、村重の力を借りて摂津播磨の三木城を攻略中であった羽柴秀吉であった。
羽柴は己が知恵袋と頼む腹心の部下であり、村重とは旧知の仲である黒田官兵衛を派遣した。
鬼謀を誇り、また弁舌に長けた官兵衛ならば村重を翻意させることが出来るのではないかと一縷の望みを持ったが、官兵衛はそのまま戻らなかった。
「官兵衛までもが取り込まれおったか」
己が見込んだ武将に立て続けに裏切られたと傷つき怒り心頭に発したノブナガは人質である官兵衛の嫡男を処刑にするよう命じると、村重を討つべく配下の諸将にげきを飛ばした。
 
「いよいよ、サムライとして、山科勝成としての初陣か」
勝成は陣触(じんぶれ)の知らせを告げる法螺貝と鉦の音が鳴り響くと、勇躍し身支度を始めた。
直垂(ひたたれ)、小袴、足袋脚絆(きゃはん)を素早く着用する。ここからいよいよ具足と呼ばれるサムライの甲冑の着用である。
脛当てを着け、佩楯(はいだて)と呼ばれる大腿部と腰を守る為の防具の紐を腰に縛る。
籠手を身に着け、満知羅(まんちら)と言う名の肩の周辺を守る防具を着ける。
「そしてこれが鉄砲の弾に対応する為に造られた当世具足か。全く見事というしかないな」
西洋の騎士が纏う全身を隙間なく金属で覆うフルプレートアーマーと違い、サムライの甲冑は鉄板と皮を組み合わせている為軽量でなおかつ動きやすい。。
西洋の騎士のフルプレートアーマーの中でも十六世紀の初頭に神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン一世の命によって薄い鉄板で造られたフリューテッドアーマーは見た目よりも軽量なのだが、動きやすさ、機動性と言う点ではやはりサムライの当世具足には到底及ばないだろう。
無論、ヨーロッパの騎士の鎧とジャッポーネのサムライの鎧のどちらが優れているかなど、全く意味の無い比較である。
それぞれの風土、歴史、成立過程に従って発達してきたのだから。
高温多湿で山が多いジャッポーネでは全身を金属で覆う重量なフルプレートアーマーなどは全く不適合と言うしかない。
勝成は二枚胴と呼ばれる前胴と後胴に分けられている胴部分の防具を蝶番(ちょうつがい)で繋ぎ身に着けた。色は勝成が好む朱色に塗装してある。
そして兜である。
西洋の騎士は頭部、顔面を金属ですっぽりと覆い、のぞき穴として横一線にくりぬかれた部分と空気穴がいくつかあるといった具合である。
防御力と言う点では完璧に近いが、視野が極めて狭いという欠点を持つ。
一方のサムライの兜は頭部、首回りを守る為の物であり、顔面を守る防具は面頬(めんぼう)と呼ばれ、分けられている。
そしてサムライは人体の最重要部である頭部を守る兜は必ず装備するが、面頬はあえて付けない者も多い。何故なら、西洋人は顔面に傷を負うことを忌み嫌うが、サムライは敵に斬りつけられた顔面の傷を「向こう傷」と呼び、この上ない誇りだと考えるからである。
勝成も蒲生家の武士共からさんざん顔面や体の傷を見せつけられ、その傷を負った経緯を自慢げに語るのを聞かされて閉口したものだった。
またサムライどもは立物(たてもの)と呼ばれる兜の装飾物にもそれぞれこだわった。
戦場で己の武勇を誇り、存在を誇示する為、あるいは縁起を担ぐ為にそれぞれの信仰、信条を込めて身を飾ったのである。
サムライが信仰するカミ、ホトケのシンボル、太陽、月、星、あるいは己の家の紋章さらには猛獣や鳥などが主なようであるが、興味深いのは植物や昆虫も多くつかわれることである。
例えば勝成の親しき友である横内喜内はとんぼの形をした立物を己の兜に堂々と飾っている。
下等な虫けらなどで己を飾り、戦場に赴くなど西洋人である勝成には理解し難いが、とんぼは決して後退することなく休みなく羽ばたきながら前にしか進まないから、「勝ち虫」としてサムライから殊の外好まれるらしい。
「日本人にとって、トンボは特別縁起がいい虫なのだよ」
勝成は喜内にそう教わった。
古代のジャッポーネは本州のことを「秋津洲(あきつしま)」と呼んだらしいが、秋津洲とはトンボのことである。ジャッポーネの初代のインペラートルである神武天皇が山頂からこの国の国土を一望して
「トンボが交尾しているような形だ」
と語ったかららしい。
勝成は己の兜を手にした。頭頂部が尖って桃のように見える為「桃形兜(ももなりかぶと)」と呼ばれる兜である。しかし立物(たてもの)や装飾は一切つけていない。
元聖ヨハネ騎士団の騎士であり、その後傭兵となってさらにはジャッポーネでサムライとなった唯一無二の存在である己が戦場で示すべきシンボルとは何なのか、それはまだ分からないからである。
(だが、いずれ見つけて見せる)
そして主君である蒲生賦秀から賜った太刀と小刀を腰に差し、親しくなった鉄砲鍛冶から「最高の出来」と太鼓判を押された日野鉄砲を手にした。
「よし、行くか」
闘志を五体に隅々行きわたらせ、いざ横内喜納を始めとする蒲生家のサムライ共の元へ行こうとしたその時である。
賦秀の側に仕える小姓の一人が勝成の元へ駈け込んできた。
「山科殿、殿がお呼びです。オルガンティノと申す伴天連が来ており、何やら山科殿に是非ともお願いしたい儀があるとのことでございまする」








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