第1話  赤髪緑眼の男

文字数 2,656文字

船上に燦燦(さんさん)とふりそそぐ日の光を心地良く浴びつつ、紺碧の海面に無限に生じる波濤(はとう)を飽くことなく見つめながら、
(異教徒の住む極東でも、海の在り方は変わらないらしい)
 とその男、ジョバンニ・ロルテスは当たり前のことをさも不思議なことのように考えていた。
 燃えるように鮮やかな赤毛に、潮風と日に焼けた赤銅色の肌の精悍そのものの風貌であるが、芽吹いたばかりの若草を思わせる瞳の色は、この男の若々しい活力に満ちた純心な魂を映し出しているようである。
 あのかすんだ水平線のむこうに、目指す島国がある。
かの地では、カミ、ホトケと言う名の悪魔を信仰し、サムライと呼ばれる西洋の騎士に匹敵する戦士階級がおよそ百年にもわたって内戦を繰り広げているという。
「我らヨーロッパ人はたがいに賢明に見えるが、彼ら日本人に比べたらはだはだ野蛮であると思う」
今は船酔いで船室で臥せているロルテスの雇い主、宣教師オルガンティノはそう語った。  「私には、全世界でこれ程の天賦の才能を持つ国民はないと思われる」
 このような主張をするオルガンティノがイエズス会で白眼視されたのは当然と言えるだろう。
イエズス会は、未だ無知と野蛮に支配され悪魔を崇める哀れな異教徒に真の信仰と文明をもたらし、その魂を救済することを使命とする組織である。 そのイエズス会の宣教師が、こともあろうにキリスト教徒よりも異教徒のほうが文明的にも知的にも上回っているなどと、到底許されぬ発言と言うしかない。
かの地で悪魔に魂を売ったのだと弾劾されても仕方がないだろう。
 だが、オルガンティノは決して自説を曲げなかった。
小太りの温和そのものの風貌にそぐわぬ強靭な意思と類まれなる胆力の持ち主であるらしい。
 そんなオルガンティノの人柄に惹かれ、ロルテスは彼の護衛を買って出たのである。
(サムライとやらは、俺の灰となった騎士の魂に再び火を灯してくれるかな?)
ロルテスはかつて聖ヨハネ騎士団に所属した歴とした騎士であった。
 しかも、今から十一年前、西暦一五六五年の欧州を震撼させたマルタ包囲戦に一七歳の年少の身で参戦し、見事な武勲を立てている。
聖ヨハネ騎士団は一〇二三年頃、エルサレムの洗礼者ヨハネ修道院の跡に病院を兼ねた巡礼者宿泊所を設立したことから始まる。
 後にローマ教皇から騎士修道会として正式な承認を得て、エーゲ海に浮かぶロードス島を本拠地とした彼らはロードス騎士団とも呼ばれるようになり、異教徒たるイスラームと最前線で戦う責務を負うこととなった。
強大なオスマン帝国、イスラーム勢力に圧倒される西洋にあって、聖ヨハネ騎士団はイスラームの侵攻をたびたび撃退し、輝かしい名声を得るが、一五二二年、オスマン帝国のスレイマン大帝が二十万という空前の大軍団を率いて来襲して来た為、騎士団は奮戦空しく、ついにロードス島を明け渡した。
本拠地を失った騎士団は、シチリア王からマルタ島を借りることとなった。
 その条件としてシチリア王が求めたのは、毎年鷹一羽を納めることと、聖人の祝日全てに荘厳なミサを挙げることである。
こうして新たなる根拠地を得た騎士団であったが、一五六五年、再度スレイマン大帝の軍団との戦いを余儀なくされる。
マルタ島を包囲するオスマン軍はおよそ三万。
ロルテスは正確無比な射撃でオスマン兵を幾人も射殺し、白兵戦となれば槌矛を嵐のように振るって異教徒達をなぎ払い、その返り血で己の甲冑の元の色が判別出来なくなるまで戦った。
そんなロルテスはオスマン兵から悪鬼の如く恐れられ、同僚の騎士たちからは類まれな勇者と称えられた。いずれはヨハネ騎士団の重職を担うだろうと将来を嘱望されたのも当然と言えるだろう。
「そんな貴方が何故、傭兵に身を落としているのですか?」
 一片の遠慮も無く問うオルガンティノに対し、ロルテスは苦い笑みを浮かべるだけで答えなかった。
(聖ヨハネ騎士団は勝利と引き換えに騎士の魂を失ってしまった)
だから騎士の名を返上し、己で戦場が選べる傭兵の道を選択したのである。
 だが、やはりそこにあったのは、到底他人に誇ることのできない薄汚れた任務だけだった。
 己が欲しているのは、金や自由なのでは無い。
 真に命を燃焼出来る程の堂々たる戦なのだと思い知った。
だが、もはや西洋の地にそのような戦などあるはずがない。浪漫あふれる騎士道物語の時代は終焉したのである。
 あるのは、異教徒への尽きることのない憎悪であり、略奪目当ての殺戮であった。
 キリスト教徒もイスラーム教徒も、互いを異教徒と呼び、地獄に落ちるべき呪われた獣と蔑視し合う。
共に同じ唯一絶対の神を信じる身でありながら、その信仰の方法が違うという理由でだ。
敵への敬意が欠けた戦に真の正義や誉があるはずないではないか。
 帆が大きくはためく音がして、船乗りたちの動きがあわただしくなった。船の左舷にかすんだ陸地が見えてきた。
「もうそろそろですね」
 船室から出てきたオルガンティノがロルテスに声をかけた。
 船酔いは完全に治まってはいないらしくやや顔色は悪いが、頬の肉が豊かな愛嬌のある顔立ちである。
 清貧を信条とする修道士はたいてい痛々しいまでに痩せこけていると相場が決まっているものだが、オルガンティノは体質なのか、小太りで健康そのものといった外見である。 その為だろう、すでに四十代も半ばのはずだが、二十代後半のロルテスと同世代に見える。
「かの国の人々は、きっと貴方が人生で失ったものを取り戻してくれるでしょう」
 ロルテスの鬱屈した思いを見抜いたかのようにオルガンティノが言った。
ロルテスは一瞬、怒気をはらんだ鋭い目でオルガンティノを睨んだが、すぐに視線を外し、
「それは楽しみだ。そうでなきゃ、わざわざこんな遠い得体の知れない異教徒の国に来たかいがないからな」
と陽気に応じた。
空ではしきりにカモメが鳴きながら飛び回っている。見慣れた沿岸の風景である。
船はついに堺の港に到着した。
「堺は日本の最も富める湊にして国内の金銀の大部分が集まるところなり」         と報告されるだけあって、湊には長い石垣を組んだ立派な防波堤があり、港内は大小様々な船でにぎわっていた。
湊に面した大通りに立ち並ぶ屋敷は何れも宏壮を極めていたし、歩く人々も上等な服を纏っているようである。
ロレンスは去来する様々な思いを鎮めるべく大きく深呼吸し、ついにジャッポーネの国に第一歩を踏み出した。

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