第40話  安土城

文字数 2,862文字

キリスト紀1580年、天正八年正月、主君であり義父であるノブナガに年賀の挨拶をするべく、蒲生忠三郎賦秀(がもうちゅうざぶろうやすひで)は妻の冬姫と山科勝成を含む側近数名を引き連れて安土城へと向かった。
「あの城を見たら、流石の勝成殿も驚きになられるでしょう」
話を聞いて駆けつけ同行することを願い出たオルガンティノはその肉付きの良い頬を振るわせてそう語った。
この温和で人の良い宣教師はノブナガに直接会って嘆願したいことがあるのだという。
「噂には聞いているが、それ程凄いものなのか?」
「ええ。ヨーロッパの建築物よりも気品があり、壮大と言っていいでしょう。まさに天上の宮殿と呼ぶべきものです」
オルガンティノはジャポネーゼに心底から惚れこんでいる為、彼がジャポネーゼの成したことを賞賛する時の言葉は常にいささか過剰であることは否めない。しかし勝成も来日してから数年を過ごしてジャポネーゼが恐ろしく手先が器用で特に工芸と建築に天賦の才を持ち、また何事にも徹底してこだわらずにいられない完璧主義的な性格を有していることは思い知らされている。
そのジャポネーゼに君臨する覇王たらんとするノブナガが己の権勢を誇示すべく莫大な富を尽くして建築した居城なのだから、余程の物だと思わねばならないだろう。
「私もまだ昨年完成したという天守は見ていない。楽しみだ」
賦秀はそう言って微笑みながら妻の冬姫に語り掛けた。
「御父上に会うのも久しぶりだろう、姫」
「ええ、御変りありませんでしょうか……」
そう答える冬姫の表情は少し強張っているようである。彼女も昨年の我が父による荒木一族へのあまりに惨い仕置きを聞いているのだろう。
そのような所業を成した父に以前と変わらず心穏やかに接することが出来るのか、大いに不安に違いない。
「ああ、見えて来ました」
オルガンティノの弾んだ声が勝成、賦秀、冬姫の間で緊張した空気を破った。
「おお……!」
勝成は思わず息をのんだ。
日の光を受けて淡く輝く琵琶湖の内湖水に面した小山にその宮殿はあった。
石垣が城全体に張り巡らされ、それと一体化するように建物が立ち並び、その瓦には金箔が用いられているのだろう、神々しい黄金の光を放っている。
そしてその中央にそびえる天守の豪華絢爛たる様は言葉に表せない程であった。
七層の巨大な塔でその頂点には八角形の物見櫓が乗せられており、やはり金箔が施された堅牢で華美な瓦が使用されており、その外柱は朱塗りである。
確かにこの豪壮さはヨーロッパに無いものだろう。
だが勝成には天守の頂点にある八角形の櫓を見てある建物を連想させた。
「フィレンツェの大聖堂に似てる気がするな」
「流石、勝成殿。よくぞお気づきになられました」
オルガンティノは嬉し気に言った。
「ノブナガ殿は私やルイス・フロイス師にヨーロッパの話をすることを熱心にお求めになられました。たまたまヨーロッパの建造物に話が及んだ時、私はキリスト教建築の粋と言うべきフィレンツェの大聖堂についてお話したのです。記憶力抜群のノブナガ殿はそのことをよく覚えておられ、その天守を造るのに参考になされたのでしょう」
「成程。まさにジャポネーゼの本領発揮というところだな」
イタリア―ノである勝成とオルガンティノから見たジャポネーゼという民族の際立った特性、その最大の才能は外国の文化、文物を柔軟に取り入れ、なおかつそれを自分たちに合わせて改良し、さらに完成度を高めてしまうところにあると言っていいだろう。
外国から伝来した鉄砲を瞬く間に世界最高水準の性能にまで高め、さらに世界最大の鉄砲所有国まで昇りつめたところがまさにその最大の証拠であるのだが、建築においてもジャッポーネの伝統的な建築様式に苦も無くヨーロッパの建築の技法を取り入れ、世界に比類ない荘厳な宮殿を完成させたのである。
(やはりノブナガという男は只者ではないな。尋常ならざる人物と言うしかない)
勝成は改めて畏怖の念を覚えた。
巨石を組み上げた石塁の間の三百段に近い石段を登って大手門を抜けると壮大な七層の楼閣に迫られ、流石の蒲生夫婦も圧倒されたようである。
冬姫はしばらく会っていない父の権勢とはかくも巨大なものなのかと呆然としており、一方その夫である賦秀は食い入るように楼閣とその周囲の建物を見つめている。
己もその居城に取り入れることは出来ないものかと思案しているのだろう。
宮殿に入ると、まず目を奪われたのは金色の室内に並べられた鏡の如き金屏風であり、至る所に飾られた金碧障壁画の数々であった。
「かの名高い狩野永徳(かのえいとく)という絵師の作品だな」
賦秀が勝成とオルガンティノに教えた。
さらに別の階では打って変わった淡泊で高雅な筆致でインディアで生まれたシャカという人物がホトケの教えを説く図が描かれている。
そして最上階となる天守にはシーナの伝説に登場する三皇五帝と呼ばれる帝王達や孔子と言う名の聖賢とその弟子たちの絵が飾られていた。
日本伝統の建築、芸術に加えてインディアとシーナの学問信仰、さらにはヨーロッパからもたらされた最新の知識までもが惜しげも無く注がれ、混然一体となってまさに唯一無二の空間が現出していた。
キリストの教えとヨーロッパの文化こそが世界最高と信じて生きて来た勝成とオルガンティノは混乱せずにはいられなかった。
「お待ちしておりました、蒲生様、冬姫様、それにオルガンティノ殿」
一向を迎えたのは類まれな美貌の若者であった。その声は涼やかにして清い響きでありながら鋭い気が充溢(じゅういつ)していた。
「蘭丸か。久しぶりだな」
賦秀の言葉を受けてその若者はほれぼれする程見事な所作で丁重な礼をした。
「お久しぶりでございます。蒲生様も御変わりなく。先日の荒木摂津守討伐において見事な御働きをなされたと大殿も御喜びになられておりました。ところで……」
森蘭丸の妖しいまでに美しい瞳が赤髪の武士に向けられた。
「この御仁が噂に聞く南蛮から来た武士でございますか」
「うむ。当家に仕える山科勝成である」
主君の言葉を受けて勝成は礼をしつつ、さりげなく美貌の若者を観察した。無論その興味は秀麗無比な顔貌なのではなく、その身のこなしと性向にあった。
(華奢な体つきに似合わず相当鍛錬を積んでいるな。まだ年少の身でありながら既に一流の戦士となっているようだ。そしてあの涼し気でありながら一切の迷いの無い眼。あれは主君の為だけに生き、死ぬことを常に己に課している眼だ)
かのカエサルにはこのような忠臣はそばにいなかった。その為にカエサルは元老院議員に二十数か所も刺されて死ぬという末路を辿ったのである。
だがノブナガにはこの森蘭丸という若者が常に側にいて目を光らせており、もし暗殺の刃が迫れば瞬く間にその峻烈な剣技で返り討ちにするか、あるいは己を盾にして守るだろう。
(やはり狙撃で……)
そこまで考えて勝成は慌てて己の考えを振り払い、昂る気を抑えた。
この鋭敏な若者に己の殺気、不逞な考えを読まれてしまうかも知れないと恐れたからである。
「大殿がお待ちかねです」
蘭丸が告げ、ノブナガの居室のふすまを開けた。









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