第3話  ジャッポーネの姫君

文字数 2,876文字

「これがサムライの刀か。何と美しい……」
ロルテス、いや山科勝成(やましなかつなり)は与えられた部屋で蒲生賦秀(がもうやすひで)から賜った二本の刀を時を忘れ飽くことなく見つめていた。
サムライはダイショウと称される二本のカタナを身分の証とし、常に身に帯び殊の外尊重するという。
「これは最早武器を超えた存在だ。絵画や彫刻以上の芸術品ではないか」
西洋の騎士の象徴である真直ぐで両刃の剣ロングソードとは異なり、片刃で湾曲している。
そう言う意味では平民の兵士が用いる剣であるファルシオンと似ているのかも知れない。
「だが次元が違う」
単に鋼や鉄を剣の形にした物に過ぎない西洋やトルコの刀剣と違い、日本刀は玉鋼と呼ばれる日本の特殊な製鉄法によって製錬された鋼を折り返し鍛錬することによって製造されるという。
折れず曲がらずよく斬れると表現されるが、確かに世界一の切れ味を持つようである。
斧のように力で相手を叩き割る西洋の剣とは別次元の存在であるというしかない。
この剣を賜ったという一点だけでも、この国に来てよかったとロルテス、いや勝成は思った。
剣を見つめるのに飽きた勝成は部屋から出て剣を振るった。
「軽い……」
驚くほど軽い。ヨハネ騎士団の騎士に与えられるロングソードの半分以下の重さだろう。
だが殺傷能力はこのカタナが遥か上なのは疑いようがない。斬れば肉のみならず骨をも断つに違いない。それのみならずこの鋭い切っ先ならば、槍のように突いて急所を貫くという攻撃も可能だろう。
勝成は日頃の鍛錬を生かし、上半身の筋力を最大限に用いて眼前に描き出した敵に斬りつけて見た。
(むう……何か違うな……)
ヨハネ騎士団の騎士として習得した剣技を用いてカタナを振るってみたが、敵の肉体を両断する絵が描けなかった。
(やはり軽すぎるんだ、このカタナは。重さを生かして叩き切るロングソードとは全く別の体の使い方をしなければ……)
「余計な力が入りすぎじゃの」
突如後ろから声をかけられ、勝成は驚き目を見張った。
(ほう、これがジャポネーゼの女か……。美しい……)
勝成は満面の笑みを浮かべながら、その女性を無遠慮に見つめた。
星の無い闇夜を切り取ったかのような艶やかな黒髪とやや切れ長の眼、そして透けるように白い肌。
その顔立ちは繊細で完璧に整っており、この女性の美しさがジャポネーゼの女性の中でも最上級に属するのは疑いなかった。
勝成はヨハネ騎士団に属していた時はキリストの僕としてイスラームと戦う使命を全うする為に己を厳しく律し、禁欲を貫いていた。
だが傭兵となってから酒と女遊びを覚え、己が好色な性質であることを知った。
(しかし惜しいことにまだほんの子供だな。それに細すぎだ。抱くなら後十年は待たなきゃな)
豊満な体つきの成熟した女性を好む勝成から見れば、目の前の少女は未成熟すぎて恋愛の対象とはなりえない。
だがその少女の黒い瞳から溌剌(はつらつ)とした生命の躍動と高貴な聡明さがにじみ出ていたし、その表情からは異人種への好意と好奇心が溢れんばかりである。勝成の胸中は心地良い感情に満たされた。
「これは可愛らしいお嬢さん。カタナの使い方に詳しいのかな?」
多くの女達を騒がせた得意の微笑を浮かべながら勝成が言うと、少女は勝気な気性を露わにして力強く頷いた。
「当然じゃ。武家の娘として、妻として当然心得はある。それに織田家でもこの蒲生家でも多くの武勇名誉の士をこの目にしてきたのじゃ」
少女の言葉に勝成は驚いた。
(何とこの娘、人妻なのか)
そう言えばジャポネーゼはまだ幼い頃から結婚するのは珍しいことではない聞いていた。
よくよく見るとその顔貌も案外大人びている。勝成はこの少女は十二歳ぐらいと見ていたが、もう少し上なのかも知れない。
(着ている服からすれば、かなり身分は上のサムライの妻なのだろう。そのような人妻が気安く外出して他所の男に、しかも外国人に話しかけるとは……)
ヨーロッパでは考えられないことである。この時代のヨーロッパの高貴な女性、妻は夫の許可が無くては外出できないし、まして夫以外の男と気軽に話をするなど絶対に許されないことである。
だがその少女、人妻は全くためらうことも恥じる様子もなくつかつかと勝成の側まで歩み寄り、
「貸してみよ」
とその白い繊手を伸ばした。
文化の違いに混乱しながらも勝成は逆らうことなくカタナを丁重に手渡した。
「見ておれ」
そう言って少女は背中を真直ぐに伸ばしてカタナを正眼に構えた。
そして短く気合を発し、素振りを始めた。カタナが空を切るびゅんびゅんと言う凄まじい音が勝成の鼓膜に響く。凄まじい勢い、速さである。
(こんな華奢(きゃしゃ)な少女のあの細い腕でどうやってこれ程の……)
勝成は呆然として言葉も無かった。
「剣は腕の力で振るのではない。腹で振るのじゃ」
少女はやや上気した顔に得意げな笑みを浮かべながら言った。
「腹で……かい?」
「そうじゃ。丹田じゃ、丹田。わかるか?ここじゃ」
そう言って少女は己のへその下の下腹部を勢いよく叩いて見せた。
「何とまあ……」
高貴な身分の若い女性とは思えぬ無邪気な振る舞いに勝成は苦笑を浮かべるしかなかった。全くヨーロッパでは会った事のない種類の女性である。
奔放ではあるが野卑ではない。それどころかはっきりと育ちの良さと気品が感じられたし、高度な教育と躾を受けているのは明らかだった。それのみならず、武術の素養まであるのである。
(ジャポネーゼの高貴な女性とは皆こうなのか?それともこの少女だけが特別なのか)
「しかしあれじゃな。当家に仕えることになった赤い髪の南蛮人は遥か遠い異国で輝かしい武勲を立てた勇士だと聞いていたが、話が違うではないか。太刀も満足に振れぬとはな。期待外れと言うしかないな」
少女のあまりに遠慮のない言葉に、流石の勝成も腹が立った。だが異教徒の地に来ても、サムライとなってもあくまで伝統的な騎士道精神を愚直に守り通すことを誓っている勝成は怒りを面に表さない。
貴婦人にはあくまで優しく、敬意をもって丁寧に接しなければならないのである。
「失望させてしまったのなら、誠に申し訳ない。だが俺は元々剣はあまり使わないのだよ。使っていたのはもっぱら槌矛(つちほこ)だ」
「槌矛……?それはどのような武器じゃ?」
「メイスとも言ってね。柄の先に重い頭部を付けた殴打用の武器だよ。金属の鎧相手ならば、剣などよりもよっぽど有効な武器さ」
「成程。金砕棒のようなものか」
少女は感心したような表情を浮かべた。
「あれは流石に女の力ではどうしても扱えんな。だが確かに合戦では有効な武器じゃ。槍や刀と違って折れることはまず無いし、敵の血で威力が落ちることもない。面白い、当家にも金砕棒の使い手がいたはずじゃ。お主、その者と立ち合ってみよ」
どうやら試合をしてみよと言う事らしい。勝成はどうしたものかと一瞬迷ったが、この少女に己の武勇を見せつけてやりたい欲求にかられた。
「お望みとあらば……」
「それは止した方がよかろう」
深く澄んだ声が響き渡った。声の主を見れば、若々しく端麗な顔貌に柔らかな微笑を浮かべた蒲生賦秀(やすひで)であった。




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