第11話 オルガンティノの頼み

文字数 2,860文字

「オルガンティノが?こんな時に……」
いざ出陣と武装を整え、闘志も充実していたにも関わらず水を差された形になって勝成は不機嫌となった。
「だが、彼の頼みとあらば、聞かない訳にはいかないか」
何と言ってもグネッキ・ソルディ・オルガンティノはかつての雇い主であり、己をサムライへと生まれ変わらせる運命に導いてくれたかけがえのない恩人でもある。
また一人の人間としても、今までの人生で出会った者の中で最良の人間の一人と言って良い。
恩に報いねばならないし、また彼が困っているのなら友として純粋に力になってやりたい。
勝成は気を取り直し、武装はそのままで主君蒲生賦秀とオルガンティノが待つ場所に向かった。

「ああ、ロルテス殿。いや、今は山科勝成殿でしたな。ご無沙汰しています」
オルガンティノが満面の笑みを浮かべながら勝成に抱き着き、頬を合わせてきた。
勝成にとって久しぶりの故郷の挨拶である。互いに抱擁し、頬を合わせるのがオルガンティノと勝成の故郷イタリーの流儀であるが、ジャポネーゼには極めて奇異に見えるらしい。
彼らは肉親でもない赤の他人と肉体を触れ合うのを殊の外嫌う。距離を取ってお辞儀するのが礼儀であり、握手や抱擁などはひどく野蛮で不潔に見えるようである。
この一年、勝成は出来得る限りジャポネーゼの流儀に合わせて来たが、この時ばかりはローマ生まれのイタリアーノに戻って力強くカスト生まれのオルガンティノの体を抱きしめた。
「久しぶりだな、オルガンティノ殿。だがどうしたというのだ、間もなく戦が始まるというこんな時に……」
勝成はオルガンティノの姿を改めて見つめた。オルガンティノはその小柄で小太りな体にカトリックの修道士が纏うスカプラリオではなくジャポネーゼの僧侶のようなゆったりとした墨染の衣を纏っている。
それがオルガンティノがこの国で布教する為に選んだ方法であった。他の宣教師の多くがキリスト教、ヨーロッパ文明を唯一至上の物と誇り、異教徒の文明を蔑んでそれを受け入れるなどあり得ぬと厳格な姿勢を取るのと違い、オルガンティノはジャポーネの文化を愛し、全面的に受け入れた。
衣装のみならず食事もジャポネーゼのように米を喰らい、積極的にジャッポネーゼ達と友好的に接して冗談を言い合った。
それのみならずこの国におけるキリスト教の最大の敵ともいえる法華の教えまで研究したという。
そのようなオルガンティノの「適合主義」はジャポネーゼを大いに喜ばせ、ジャッポーネの都を中心とした近畿地方における信徒の数は既に一万人を超えていると勝成は聞いている。
イエズス会の修道士として輝かしい功績を誇り、また常に陽気なオルガンティノであるが、今その顔貌はありありと苦悩の深い翳に覆われていた。
何やら尋常ならざる苦境に陥っていることは明白であった。
「俺に頼みとは何だ?俺に出来ることがあるのなら、遠慮なく言ってくれ。俺は貴方の力になりたい」
「……」
オルガンティノの青灰色の瞳は一瞬喜びと感動で耀いたが、すぐに目を伏せた。余程やっかいな問題らしい。果たしてこの蒲生家で新しい人生を築きつつある勝成を巻き込んでいいのだろうかと迷っているようであった。
「……オルガンティノ殿は上様直々に依頼されたとのことだ。高山右近殿を説得して欲しいとな」
二人の様子を黙然と見守っていた蒲生賦秀(やすひで)が口を開いた。
「ウコン殿を説得……?ああ、そう言えばあの御方は熱心なカトリック教徒でしたな」
勝成は高山右近とはまだ直接会っていないが、賦秀からその武勇と人となりはよく聞かされている。親しき友であるが、熱心にカトリック信仰を勧められ、いささか迷惑に思っているようである。
「荒木摂津を討つには、まず右近殿が支配する高槻城を落とさねばならん。しかし右近殿は天下に名高い築城の名手。彼が縄張りした高槻城は驚く程の堅城であるらしい。その上右近殿自身がこれもまた名うての戦上手よ。その用兵は堅実無比で隙が無い。力攻めしては甚大な被害が出るのは明白だ。かといって時間をかけて兵糧攻めすることが許される情勢ではない。そこで伴天連(ばてれん)殿に目をつけたという訳だ」
「大殿は私の手を取り、熱心に懇願されました。高潔にして勇猛なジュスト殿は天下に有為な人物。村重如きの道ずれに死なすにはあまりに惜しいと」
オルガンティノが双眸を潤ませながら口を開いた。ジュストとは右近の洗礼名で、ポルトガル語で「正義の人」を意味する。
「であるから、何としてもこの私にジュスト殿と御父君を説得して欲しいと」
「成程。それでこの俺に護衛して欲しいという訳だな」
オルガンティノは沈鬱な表情で頷いた。
「大殿は仰りました。ジュスト殿がアラキ殿と手を切り、こちらに付けば、領土と金子は望むままに与えようと。しかし私はジュスト殿の気性を良く知っています。あの御方はその名の通り、何よりも正義を重んじ、褒賞などでは決して心を変えたりは致しません。それに妹御と嫡男をアラキ殿に人質として差し出しているようです。嫡男のジュアン殿はわずか三歳なのです」
「私も高山右近の気性は良く知っている。度が過ぎる程潔癖で名誉を重んずる御仁だ。一旦荒木摂津に忠節を誓いながら領土や金子に目がくらんだか、あるいは人質の命を惜しんだか、と世人に罵られて武士の面目を失うことを何よりも恐れるであろう。あの御仁はそういう男だ。説得は難しいであろうな」
賦秀はそう言って、勝成を真直ぐ見据えた。
「よって勝成よ、私はお前に行けとも行くなとも命じない。お前が自分で決めるがよい」
「……」
勝成は迷った。確かに高山右近の説得は難しいようである。説得に失敗したとして、右近は宣教師として尊敬するオルガンティノや同じカトリックの戦士である勝成を害することはあるまいが、アラキが知ったら、話は別である。必ずや討手を差し向けて来るだろう。
(初陣の前に、何とも厄介な決断を迫られたな……)
勝成はオルガンティノに視線を向けた。彼は顔面を蒼白にし、いかにも気弱げであるが、その青灰色の瞳には迷いの色は無い。
勝成に断られても一人で命を懸けて右近を説得する覚悟が定まっているようである。
そして主君、蒲生賦秀。彼は行けとも行くなとも命じないと言ったが、ここで勝成が我が身を惜しんで護衛を断ったら、態度や言葉には決して表さないであろうが、深く失望するだろう。まだ仕えて一年程に過ぎないが、主君が死を恐れぬ勇者を心から愛し、損得を計算し小賢しく立ち振る舞う者を何よりも嫌う人物であることははっきりと分かっている。
(この護衛の任こそが俺の初陣だ。友を見捨て、主君を失望させて何がサムライか)
心は決まった。
「オルガンティノ殿よ、護衛を引き受けよう。そしてトノ、戦を前にしばらく陣から離れることを何卒お許し下さい」
「ああ、勝成殿、ありがとうございます」
オルガンティノは勝頼の手を取り、深々と頭を下げた。勝成の友情と義気に心を打たれたのだろう、涙すら浮かべていた。
「うむ。よくぞ申した山科勝成よ」
蒲生賦秀もまた、心から嬉しそうに言った。



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