第27話 陰と陽の同世界

文字数 4,616文字




――――――荒い息をしていた。


こめかみから汗が流れ落ちる。
ドラッグストアから学校の保健室まで、俺はほとんど全速力で走ってきた。


何も考えず保健室の引き戸を開ける。
…………が、運よく保健の先生はいなかった。

もし保健の先生がいたら、厄介なことになるところだった。

先生にばれないように睡眠薬を飲むのは無理だ。
そうなると苦労して、ドラッグストアから薬を買ってきた意味がなくなる。

…………自分の軽率な行動を(いまし)めて、静かに引き戸を閉めた。


保健室入口から見て、右手にある3つのベッド。
その一番手前のベッドの周りにカーテンが引かれていた。

そばに寄って行き、少しだけカーテンを開けてみる。
横になった河西が小さく寝息を立てて眠っている。

――――まだ河西は死んではいない。
どうやら間に合ったようだ。


保健室の時計を見る。
ドラッグストアに向かうために、学校を出てからまだ30分も経っていないはず……


ベッドとは反対側にある、保健室のガラス棚に向かう。
その中からコップを一つ取り出し、そばの水道で水を()んだ。

それから河西のベッドの横にある、真ん中のベッドまで進み、その周りのカーテンを半分だけ閉めた。


ベッド脇の床であぐらをかいて、ブレザーのポケットから小さなポリ袋を取りだす。
袋の中には買ってきた睡眠改善薬。

この薬はもともとアレルギー性鼻炎やじんましんがつらい時、その症状を抑えるための抗ヒスタミン剤だったと聞く。
しかしその副作用として眠気があった。

眠気に着目した製薬会社が睡眠改善薬として調整し、売り出した……と、昔ネットで読んだことがある。

そんなもん、オーバードーズして大丈夫なのかと自分でも思う。
でも、こうしなければ眠れないのだから仕方がない。

河西の命がかかっているのだから、やるしかない。

…………良い子なお友達は、絶対に真似してほしくないところだ。


どれだけ飲めば睡魔が訪れるのかわからなかったので、2箱買ってきた。

2つで、約2000円。
…………結構高い。

包装シートから錠剤を出し、口に放り込む。

そしてガリガリと、錠剤を()(くだ)く。
体内で早く溶けるようにするためだ。

噛み砕いた錠剤を飲み込むために、コップの水を飲んだ。



…………10錠ほど飲み込んだところで、急激に眠気がやってきた。

ぼんやりした頭で、水の入ったコップと薬の残りを、ベッドの下に隠すように追いやった。
すぐにベッドの上の布団で寝転がる。

上履きを脱ぎたかったが、それすら面倒臭く、そのまま布団を被った。

寝にくい体勢だったが、気を失うように向こうの世界に落ちていった。



体を横たえた状態から、(ひじ)をついて上半身だけを起こす。

…………頭の芯がぼんやりしている。
そのままの体勢で、自分の目の前に視線を向けた。

どこだここは……?

――――――――学校?


視線の先に、安っぽいパイプ机や椅子が並んでいる。
横になった自分の足の先には、教卓のようなものがある。

しばらくじっとして、自分の置かれた状況を考える。


俺はどこかの教室の、黒板と教卓との間の狭い場所で眠っていたようだ。

眠っていた場所は、教室の床より一段高い教壇(きょうだん)の上。
黒板を下から見ることは、なかなかないので混乱した。

――――見たことのないどこかの学校の、とある教室のようだ。


自分の高校の保健室にあるベッドから、別の学校の教室に飛ばされたと考えるべきか…………

今、自分がいる学校の名前はわからない。
学校の教室なんてどこも似たようなものだろうから、ここがどこなのかわからなかった。


教室全体には生徒が替わったと思われる銃が、もうすでに落ちている。
教卓から少し離れた教壇の上には、ライフルがある。

……おそらく授業をしていたの先生が替わったものだろう。


腰を上げて教壇を降りようとした時、俺はよろけて体のバランスを崩してしまった。

とっさに隣にあった机に手をつく。
だが、自分の体を支えきれず、そのまま床に横倒しの格好で倒れた。

体を支えようと手をついた机まで倒れて、引き出しに入っていた教科書やノートをぶちまけた。


――――派手な音を出してしまった。

もし近くに敵がいたら、確実に気づかれている…………


しばらく転んだ状態でじっとしていたが、自分が出した音に呼応して動くような気配はなかった。

…………長く息を吐き、心を落ち着かせる。


それにしてもフラフラする。
この平衡(へいこう)感覚の無さはなんなんだろう?

現実世界で睡眠改善薬をたらふく飲んだことからくる、副作用のようなものなのだろうか?


…………何にしても、今の状態じゃ戦えない。

俺はしばらく床に手をついて、じっと(もや)のかかったような頭で考えた。


ついさっき倒してしまった机から落ちた、ペンケースを手繰(たぐ)り寄せる。
このペンケースは女子の物なのだろうか、中身がよく整理されている。


俺が今からやろうとしていることは()骨頂(こっちょう)なのだろう。
でも、他に良い方法が思いつかなかった。


この体のぼんやりした状態が、薬の副作用だとすると……

現実の俺の体に、薬が効いている時間が2時間と仮定した場合、こっちの俺の体に影響を及ぼす時間は、その3倍の6時間ということになる。

この世界の時間の経過は、現実世界の約3倍速いと、このあいだの戦いでわかったはずだ。


体から薬が抜けるまでの6時間ものあいだ、ただじっとしているわけにはいかない。


ペンケースの中から一本、黒のボールペンを取り出した。

俺が自ら、この死地(しち)に来たのは河西を助けるためだ。
戦闘で、逆に河西の足を引っ張るようなことはできない。

またフラフラな自分の体調が元に戻るまで、敵が待ってくれるとも思えない。

――――河西が死んでしまってからでは、意味がないんだ。


俺はしゃがんだままでボールペンのキャップを外し、左手を床の上に広げる。
右手でボールペンを持ったまま、それを頭の高さで静止させた。

…………しばらく躊躇(ちゅうちょ)する。

だが、思い切って右手を振り降ろした。



ザクッ、なんて陳腐(ちんぷ)な音はしなかった。

しかしペン先が手を刺したことを告げる言い様のない痛みが、患部から()い上がり脳髄(のうずい)を刺激する。


ボールペンが刺さったままの左手、その手首を右手で握り、悶絶(もんぜつ)しそうな痛みに耐えた。


この先の戦闘に支障がないようにするため、ボールペンを刺したのは親指と人差し指の間の『みずかき』の部分だ。

…………だが思っていた以上に痛い。


目に涙を溜めながら、傷口から黒い血が(あふ)れてくるのを見たあと、ボールペンを引き抜き、それを捨てる。
そして持っていたハンカチを患部に巻き付けた。


痛みで顔をしかめる。
床をゴロゴロと、のた打ち回りたくなる…………

でも、さっきまでのように頭がぼんやりしているといったことはなくなった。

しばらく痛みに耐えていると、ふらつきも大分マシになったようだ。
痛みで意識を元に戻すことに成功した……と感じた。


左手以外の、体の状態を確認する。
そしてしゃがみながら、近くの椅子の上にあったハンドガンを手にした。


MAB  PA-15  ハンドガン  重量1070グラム
装弾数15+1発  弾薬9mm×19


それを背中のベルトにはさみ、さらにアサルトライフルも手にする。


IMI  CTAR-21  アサルトライフル  重量3240グラム
装弾数30発  弾薬5.56mm×45


CTAR-21は、トリガーよりも手前に弾が入ったマガジンが配置されている、ブルパップと呼ばれる銃だ。
銃本体の長さを切り詰めるために、そのような構造になったらしい。

そのイスラエル製のアサルトライフルを抱え、痛めた左手で、コッキングハンドルという部分を引いて初弾を装填(そうてん)した。



この世界にもう武器が出ているということは、戦場の指定も終わっているのだろうか?

まずここがどこなのか、確認する必要がある。

周りの状態から、どこかの学校の教室ということしかわからない。
敵、もしくは河西が指定した場所、その中にある学校に飛ばされたということだろうか?


教室の窓ガラスからは、この校舎と並行に位置すると思われる別の建物がみえる。

教室内の掲示板に、時間割が張り出されていた。
四角に囲われた中の一つに、微積(びせき)と書かれている。

微分積分の授業をしているということは、どこかの高校なのだろう。

…………上級生のクラスだろうか?
一般的に高1のクラスで微分積分はやらないだろう。

他にこの学校の名前を記すようなものは、見当たらない。


――――ここで考え込んでいても仕方がない。

細心の注意を払いながら、黒板の横に位置する引き戸まで移動し、それをそっと滑らせた。
戸を開いてからしばらく待ち、銃撃がないことを確認する。


廊下に出て、左側にアサルトライフルを構え、すぐに反対側にも銃口を向ける。

…………廊下には誰もいない。


ライフルを前方で支える部分……ハンドガードを傷ついた手で握るため、かなり痛い。

だが、とりあえず教室を出て、屈んだ状態で廊下を左へ向かうことにした。

廊下の右側は窓ガラス、左は教室が並んでいる。
ずっとさきの廊下の突き当りに見えるのは別の教室のようだ。



しかしこの廊下……うちの学校に似ているような気がする。
さっきから既視(きし)感を(おぼ)えてしょうがない。

その正体を確かめるため、右側にある窓ガラスをのぞき込んで見た。

下をのぞくと、アスファルトの駐車場が見える。
地面が5、6メートル下に見えるということは、ここは2階なのだろう。

駐車場の右斜めには、体育館のような建物が見える。
体育館の向こうには、木立(こだち)に隠れるようにグラウンドが広がっている。

今度は視線を左に移す。
アスファルトの先に校門があり、校門の向こうは下り坂になっていた。


…………下り坂が決定的だった。
どう考えても、丘の上に建っている俺たちの高校だ。


ということは、俺が今いる場所はうちの学校の北棟2階廊下……
それで、間違いないだろう。


既視感があっても断定できなかったのは、今いる北棟2階は3年生のクラスが集中しているところで、一度も足を運んだことがなかったからだ。



俺は現実世界で、学校の保健室で眠りこっちの世界にきたはずだ。
なのに飛ばされた先は、同じ学校の校舎……

もし河西が戦場を塚ヶ原市全域に指定していたとすれば、同じ学校内に飛ばされる可能性はゼロじゃないが、限りなく少ないはず…………


ということは――――――

しばらく考えを巡らせていたが、ライフルを持った左手から黒い(しずく)が落ちるのに気がついた。

…………俺の血だ。
この世界特有の黒い血が、また足元に落ちた。

足元に落ちているその黒い染みは、俺が歩いてきた所まで、点々と廊下に続いている。


どうやら思った以上に左手の出血がひどく、ハンカチの吸水限界を超えたらしい。
このままじゃ自分の居場所を知らせているようなもんだ。


…………止血しなければならない。

近くの教室にガムテープはあるだろうが、テープで完全に出血を止めるのは難しいかもしれない。
ガーゼがあった方がいいか?

そう考え、今いる北棟2階から同じ棟の1階にある保健室を目指すことにした。


少し進んだところにある、階段を降り始める。
階段を警戒しながら進む難しさを感じながら、1階へ向かう。

完全に階段を下りる前に、周囲を一度警戒した。


…………人がいるようには感じられない。


階段を下り、素早く北棟1階廊下の左右にライフルを向けた。
――――誰もいない。


俺は屈みながら、廊下を右に向けて走り出した。

午前中、正座させられていた職員室前廊下を駆け抜け、その隣の保健室に向かう。


保健室の前まで来て、俺はその引き戸を薄く開いた。













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