第8話 学校1

文字数 6,663文字




「…………ただいま」


玄関から家の中に向かってつぶやく。

しかし家の中から『おかえり』という声が返ってくることはない。
一人暮らしなのだから当然だ。


引っ越してきてから今まで、玄関口で『ただいま』なんて言ったことはない。
…………自分の口から、そんな言葉が出たことに驚く。

自分にはどうにもならないストレスを、だれか取り除いてほしい……

――――自分の心の叫びであることに、すぐに気がついた。


…………ふらふらと玄関前の廊下を歩き、リビングに向かう。

京都から越してきたこの家はダダッ(ぴろ)い。
ご近所の家と比べ、敷地面積が倍以上ある。

今はこの広い家が(うら)めしかった。


――――死んだ俺の両親はどんな仕事をしていたのだろう?
こんな広い家を建てて…………


壁に手を()わせ照明のスイッチを押すと、12畳ほどの部屋が浮かび上がる。

一対の革張りのソファーと、そのあいだのローテーブル。

部屋の隅には大きなブラウン管テレビ。
大きさだけは立派だが、地上デジタルとかいうものに対応していないため映らない。

唯一、このリビングで俺に語りかけてくれるのは、壁にかかっているモネの模写だけだ。


ソファーに座り、コンビニで買ってきた弁当を食べる。
しかし半分ほど食べた時点で、それ以後まったく(のど)を通らなくなった。

…………さっきからご飯やおかずを、割りばしでつつく動作を繰り返して、ずっと考え事をしている。


自分の部屋のベッドに倒れ込みたい衝動に駆られる。
でも、それは自殺行為のような気がしてできなかった。

眠ればまた向こうの世界に飛ばされるかもしれない。
睡眠は必要最小限に留めるべきだろう。

――――眠らなければ、向こうの世界に飛ばされることも無くなるのだから。


…………そういえば京都の実家では一度も、今回のようなことは無かった。
広い家だったのと、家の裏がすぐ山になっていたからだろうか。

…………それで他人と、自分の睡眠が(かぶ)らなかったのだろうか? 

だからといって危険回避のために、今更実家に戻れないし、戻りたくない。
おばあちゃんがいなくなった今、京都の家には俺の居場所はない。


スマホを見る。
夜10時半ごろ。帰ってきてから大して時間は経っていない。

重い腰を上げて自室に向い、礼服から私服に着替えて家を出た。

このまま家に(こも)っていると睡魔に襲われるとも限らない。
家から出て、外にいた方がいいだろう。


…………仮に近隣住人と戦うことになった場合、相手は土地勘のある場所を選ぶはず。

つまり俺が今住んでいる、塚ヶ原市(つかがはらし)を、戦場に選ぶことは十分に考えられる。
引っ越してきたばかりの俺にとっては、塚ヶ原市は不慣れな土地だ。

この場所が戦場になった場合も考えて、この辺り一帯を調べておくのもいいだろう。

――――そう考え、暗い夜道をひとり歩き始めた。



学校への急な坂道を登りながら、大きな欠伸(あくび)をする。

昨日の夜は、間が悪いことに巡回中のパトカーに職務質問され、家に帰ってくることになった。

歩いてみて思ったのだが、どうやら塚ヶ原市は結構広いらしい。
徒歩で調べて回るのは無理があるようだ。


――――誰もいない昇降口を抜ける。

廊下はシンと静まり返っており、授業中であることを伝えている。
自分の足音だけが響く廊下を歩き、職員室に向かった。

担任がいなかったので、副担任に挨拶する。
まだ忌引(きび)きの最中だ。少しぐらい遅れても怒られたりはしない。


教室に向かう途中に通りがかった学生食堂。
学食では味噌汁のいい匂いがしていた。

…………当然といえば当然だ。
今は4限の授業中で、次は昼休みなのだから。

なんでこんなに遅い時間に登校したのか…………

警官に職質を受けたあと、家に帰ってきて寝てしまったのだ。
…………命の危険があるにも関わらず。

戦闘に巻き込まれるといったことはなかった。
だが爆睡して昼まで寝てしまった。

――――こんなことしていたら、いずれ死ぬことになる。


俺は学食の自販機の前で立ち止まる。

眠気覚ましになるのかわからない、パックのコーヒー牛乳のボタンを押す。
コーヒー牛乳が落ちてくる音と同時に、4時限目終了のチャイムが鳴った。



1年3組の教室に入るともうすでに先生はおらず、生徒たちが思い思いの行動をしていた。
教室奥、窓際の自分の席に着くと、前の席から間を置かず話しかけられた。

「よぉ、大変だったな」
「ああ、忙しくて寝る暇もなかったよ」

話しかけてきたのは、俺の前の席に陣取っている木場(きば)彰人(あきと)だ。
入学初日、初めて来た町、初めて来た学校で、初めて話しかけてきた奴だ。

もし木場がいなければ、誰も知らないこの町で、ろくに話し相手もいなかったかもしれない。

「ほい」

そう言って木場は手の平を、俺に向け差し出した。

「なんだそれ……」
「なんだって、土産(みやげ)に決まってんだろ」
「……お前、俺は葬式で京都に帰ってたんだぞ。土産なんてあるか」

木場の手の平をパンと叩き落とす。

「いや、俺、生八つ橋に目がなくてな……」
「知るか。通販で取り寄せろ」
「そんな冷たいこと言うなよ。って、お前……目の下に(うっす)らと(くま)できてんじゃん。大丈夫かよ?」

コイツ、さっき職員室であった副担任もおそらく気付かなかったことに気付いた。
木場の観察眼おそるべし。

そもそも目の下の隈なんて、自宅で鏡を見た自分も気づかなかった。

「……ああ、ちょっと眠れなかっただけだよ」
「保健室いったほうがいいんじゃね?」
「あそこは魔の巣窟(そうくつ)だから駄目だ」

保健室なんかに行ったら確実に寝てしまう。
そしたら向こうの世界に飛ばされることになるかもしれない。

「確かに保健室は魔の巣窟かも…… あそこで迂闊(うかつ)に眠る訳にはいかないな」


――――ちょっと待て。
なんで木場が眠るのは危ないとわかるんだ。
コイツ、向こうの世界について何か知っているのか?

「あそこの保健の先生、立尾(たちお)先生な…… 気分が悪くなって運び込まれた男子生徒にあれやこれやとイタズラを……」

…………なんだ、そういうことか。
まさかこいつも俺と同じ体質を持っているのかと思った。

――――いや、でもそんなことありえないだろ。
偶然引っ越した先の高校の、同じクラスで、しかも目の前の、座席の奴が同じ体質ってこと……


今までこの体質を抱えながらも、頻繁(ひんぱん)に戦闘にならなかったを考えると、同じ体質を持った人間の人口密度は高くない、と考えている。

…………ちょっと過敏になりすぎだ。

俺はありえないと否定しながらも、少しホッとして話に戻った。

「その保健室の話、ただの噂話なんだろ?」
「いや、実際にな…………」
「よっ、久しぶり九条。入学早々大変だったな」

話しに割ってきたそいつは、入学して間もないのに、もうわずかに髪を茶色に染めている。

「…………誰だっけ、お前……」
「俺だよ、佐々木だよ。てか3日休んだだけで忘れんなよ」
「おーっ、佐々木か。たしか……先週1000円貸した奴」
「借りてねーよ、何で自分の都合の良いように記憶を捏造(ねつぞう)してるんだよ。ていうか、お前が俺に土産よこせ」
「…………生八つ橋なら通販で買え」
「はあ? 俺は一言も生八つ橋とは言ってないぞ。お前、八つ橋の製造元となんか関係あるのか?」

木場が俺たちのやり取りをニヤニヤして眺めてから、右隣の方に向かって声を上げた。

外田(そとだ)、お前も飯行かねーか?」
「おーっ、今行く」

真面目な奴だ。
外田は、今の今までノートに何かを書いていたようだ。

外田は眼鏡をかけているが、元々の顔立ちがいいからか、やり手の銀行マンといった感じだ。

「九条、久しぶり。……て、お前なんか()せてないか?」
「そんな3日間で劇的に痩せるかよ。もし痩せてたらダイエット本出すわ!」

間髪入れずに否定したが、ここ数日の目まぐるしい生活変化が、俺の体重を減らしていても何らおかしくはない。

木場には目の隈について言われるし、外田には痩せたと言われた。
この先、生きていくには常に緊張を強いられる。

――――このままやっていけるのだろうか?


ぼんやり考えていると、外田が切り出した。

「とりあえず購買にいくか?」
「ま、行ってみるか。たぶん人でいっぱいなんだろうけど……」

そう言う木場が先頭で、4人で教室を出た。



廊下に出ると隣の4組の前まで来たところで、いつもと廊下の雰囲気が違うことに気がついた。

自分と同じ、一年の生徒たちがなぜか廊下の(はし)に寄っている。
そして何かを待っているかのように、その場でじっとしている。


――――少し空気が張り詰めたような感じがする。
何やってるんだろう……


他の生徒が端に寄ってしまったことで、真ん中が広くなった廊下を歩いて行こうとすると、後ろから木場に腕を引っ張られ、俺も端に連れて行かれた。

木場に不平を言おうとしたところで、その廊下の遠く、奥から真ん中を歩いてくる一人の女子の姿が見えた。


その女子はまるで『何も見えていません』と言わんばかりに、視線を真っ直ぐ自分の歩く方向に向けている。
表情を変えないその顔は、まるで仮面を付けているかのようにも見える。

肩をくすぐるくらいのストレートの黒髪。
胸は……高校生なんだから発展途上ということにしておこう。

ブレザーの袖口や黒のニーソの上から覗くのは、透き通るほどと言いたくなるような白肌だ。

嫌味なくらいどのパーツも綺麗だが、それぞれが慎ましく全体的に清楚にまとまっている。


しかしなんでみんな廊下の端に寄ってるんだ?
大名行列? いや女だから花魁(おいらん)道中(どうちゅう)か?


俺を廊下の端に引っ張った、木場に聞いてみた。

「誰あれ?」
「河西だよ。河西(かさい)琴音(ことね)。お前、入学式の時見ただろ。あいつが新入生答辞をやってるの。答辞を読むのは入学試験で一番点数が良かった奴なんだぜ」
「ほぉーっ、そりゃすごいな」

入試の点数についてはあまり興味がない。
でも同級生だということはわかった。

「しかもあれだけ可愛いんだぜ。美人なのと可愛いのとが混在しているのがいいよな」
「ほぉーっ、そりゃすごいな」
「反応薄っ。しかも同じこと二回言った!」
「そんなことより、どうして他の生徒が廊下の端に寄らなきゃならんの? 別に横を通り過ぎると怒られるということはないんだろ?」

俺は一番聞きたかったことを、木場に言った。

「そりゃ、怒られはしないだろうけど、なんか近寄りがたいだろ……?」
「これって、逆にいじめじゃない? 普通に横を通ったらいいだろ?」
「……というか、河西自身が周りと距離を取っているっていうか…… 入学してから他の女子が話しかけたんだが、無視した結果こうなったんだよ」
「ふ~ん。自らぼっち生活を選んだってことか」

河西を見ていて、自分の左隣りにいた存在に気づかなかった。
振り返ると、一緒に廊下を出た佐々木がいた。

それにしても、こいつ…………

「なにやってんの? お前……」
「いやー、御利益(ごりやく)あるかなーって思って……」

佐々木がそう言いながら目を閉じて、河西の方に向かって合掌(がっしょう)している。
アホだ、コイツ……


佐々木をほっといて、再び河西を見た。

…………目が合った。
しかし思いっきり(にら)まれている。

これだけ容姿の整ったヤツに(すご)まれるとメチャクチャ恐い。


たっぷり2秒間、俺の横を通り過ぎるあいだ睨まれた後、河西は俺の隣クラス、4組に入って行った。


俺はまだ目を(つむ)って合掌している佐々木にデコピンした。

「……お前のせいで、俺が河西に睨まれたろうが!」
「ウソ! 目が合ったの?」

佐々木が(うらや)ましそうに聞いてきたので、文句を言う気が失せた。

くそっ、目が合ったどころじゃねーよ。
いらんところで、他人から恨みを買った。


木場は今の場面を一部始終見ていたかのように、にやにや笑っている。
外田はどこにいたのか、あとから俺たちと合流し、購買に向かう。

「昔からなんだよ、河西が周りと接しようとしないのは……」

誰にでもなく、木場がそう言ったのを俺は聞き漏らさなかった。

「昔からってどういうことだよ…… お前、小学校か中学校一緒だったのか?」
「ああ、中学校の時にな…… クラスは別だったけど。その頃からモテてたぞ。でもすべての告白を断ってたみたいだけどな」
「ふ~ん。難攻不落の城か……」



「うっわー。学食めちゃくちゃ混んでんな」

佐々木の口からついて出た言葉通り、うんざりするぐらい人がいた。
テーブル席がほとんど埋まっているにも関わらず、食券売機の前には20人ほど並んでいる。

俺たちのお目当ての購買部にも同じく、数えたくないほどの人の列ができていた。

「おい、完全に出遅れたぞ」

俺がそう言うと、なぜか覚悟を決めたという感じの、低音を効かせた声で木場が言った。

「仕方ない。プランCで行くぞ」
「……プランCってなんだ? そもそもCの前には、AとBがはずあるだろ。Aっていうのは何だ?」
「プランAは通常の食料確保のことだ」

俺の質問に、佐々木がなぜか小声で答える。
なんでこいつは、人目を気にしているのだろう……

「じゃあプランBは何だ? なぜプランBをすっ飛ばしてプランCにいく?」
「プランBについては、現在、秘匿(ひとく)事項(じこう)となっている。今回はプランCで行く」

今度は外田が俺の疑問に、眼鏡のフレームを持ち上げながら知的そうに答えた。
…………アホか、俺が3日休んでいる間に、そんな決まり事ができているはずがない。

「ちなみにそのプランというのはいくつあるんだ?」

俺の質問に木場が、白手袋をはめた司令官ぽく、目の前にテーブルもないのにエア・ゲンドウで答えた。

「……Eまである」
「お前らアホだろ……」
「まあ、ついてこい」



俺が最後尾で連なって歩いてゆくと、しばらくして体育館の東側に着いた。
雑木林と体育館との間であるこの場所は、日の光が当たりにくい場所らしい。

目の前にはフェンスがあり、その向こうは鬱蒼(うっそう)と茂った下り坂の雑木林になっている。
木場が口を開いた。

「そこの雑木林の中に、獣道のようになっているところがあるだろ。ここを降りた所にコンビニがある。ということで行くぞ!」

そう言って、高さが3メートルくらいあるフェンスを昇り始めた。

「行くぞって。獣道って普通、こんな急な下り坂じゃないだろ。これじゃあ獣も通りたがらないぞ。もっと蛇行した安全な道はないのか?」

俺の疑問も(むな)しく、木場に続き「ひやっほー」と奇声を上げた佐々木もフェンスを昇る。
誰も人の話を聞いちゃいねえ……

仕方なく、俺も同じようにフェンスを昇ることにした。


降りてすぐのところに、確かにコンビニはあった。
…………だが帰りは当然、急な獣道を登り始めることになる。

半分くらい登った時点で、不意に木の隙間から坂の上を見た。
反射的に、先頭を歩いていた木場のベルトの背中部分を引っ張る。

「あぶなっ、何すんだよ! 滑落(かつらく)するところだったぞ」
「ウッぷっ。てめえ、九条、いきなり止まるからお前のケツにキスしちまっただろうが! 俺のファーストキス、どーしてくれるんだ!」
「シーッ、静かにしろ!」

俺のすぐ後ろを歩いていた佐々木に注意した。
最後尾を歩いていた外田は、すぐに異常に気付いたようだ。

…………列の先頭の木場に話しかける。

「坂の上のフェンスの所で、さっきコンビニにいた上級生が先生に捕まっているのが見えるか?」
「本当だ。三人捕まってる。あの先生は確か生徒指導室の先生だ」
「このまま行けば俺達も捕まるぞ。この道を()れて右に行ったらどうなる?」
「北グラウンドだ。でもそこは体育館から丸見えだ」
「じゃあ、左に行けば?」
「部室棟の裏に出る。部室棟の後ろのフェンスは校舎からの死角だ。そこをよじ登れば、誰にも見つからないかもしれない」
「じゃあ、左に行こう」

後ろの佐々木にもそれを伝え、伝言ゲームのように外田にも伝えられる。
それから4人して道なき道を木の幹に掴まったりしながら歩いていった。


部室裏とフェンスのあいだを通り、特別教室棟の隣にある火気厳禁と書かれたコンクリート倉庫までやってきた。
ここまで来れば、ひとまず安心かもしれない。

「なあ、さっき生徒指導室の先生、二人いたうち1人はこっちに気づいていたと思うぞ」

安心したからなのか、外田がそう話し始めた。

「どうしてそう思うんだ?」

木場が聞く。俺も外田の顔を見た。

「……目があったからだよ。さっき獣道を登っていた時に」
「相手は誰だったんだ? 生徒指導室の先生とはいっても数人いるだろ?」

俺はなるべく感情を表に出さないように、外田に聞いた。

見られたといっても、昼休みに学校の外に出ただけだ。
そんなことで学校生活がどうにかなるとも思えない。

「1年の数学教師を担当している田久井(たくい)だよ……」
「チッ、マジか……」

数学教師の名前を聞いて、木場が舌打ちした。


だが、なんで舌打ちしたのか、俺にはまったくわからなかった。






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