第29話 画策する会議室

文字数 5,009文字




保健室の引き戸を出てすぐ、俺は左方向にライフルを構えた。

それに呼応するように廊下に出た河西(かさい)は、右側に銃口を向ける。


そして銃を構えたまま、河西の歩調に合わせるように、俺は後ろ向きで廊下を後退した。


銃口右手に広がる、窓ガラスの向こうの駐車場も警戒する。
だが、今は誰もいないように見える。


この学校の校舎は、漢字の『()』の字のように建てられている。

一番上の横棒が北棟。真ん中は(なか)棟。下の横棒は特別教室棟。


さらに、左の(たて)棒が西側連絡通路で、右の縦棒は東側連絡通路だ。
連絡通路は、教室のある横棒を行き来するための渡り廊下のような役割になっている。


そして、すべての横棒は左右に教室一つ分だけ、縦棒から横に飛び出た構造になっていた。


俺たちの現在位置である、保健室前の廊下というのは北棟1階廊下のこと……

また、今向かっている会議室は『日』の字でいうと右上の角にあたる、東側連絡通路から教室1つぶんだけ、横に飛び出た場所だ。


自分の後ろで、河西が立ち止まる音が聞こえた。
北棟1階廊下と東側連絡通路が交わるところまでやってきたようだ。

河西が廊下の(かど)から、連絡通路を確認している。
そして俺に向かって目で合図した。


河西と背中合わせでいた俺は反転し、連絡通路を横切る。
それから数メートル先にある会議室の引き戸を開けた。

引き戸を開けるのとほぼ同時に、河西がその間をすり抜ける。
俺も会議室の中に入り、引き戸を閉めた。



廊下突き当りの会議室には、出入口の引き戸は一つしかないようだった。
そしてその引き戸は、会議室の隅にある。

引き戸の左側、数歩さきの場所に窓ガラスがあった。
窓ガラスの外には、体育館の屋根が見える。


右側にも窓ガラスがある。
こちらの窓から見えるのは、北棟と並行して存在する中棟の校舎だ。


…………会議室と聞いていたこの場所は、もとは教室だったようだ。

引き戸のすぐ右側、同じ壁面に黒板が残っている。
黒板下の教壇もそのままだ。

無いのは教卓だけ……


それに会議室といっても、立派な椅子や机があるわけではなかった。
中央に長机が正方形に組まれていて、その周りにパイプ椅子が並んでいるだけの粗末なものだ。

奥には使われていない長机やパイプ椅子が、無造作に折り畳まれ、重ねられている。

少子化で教育現場に投資されず、そのあおりを食った公立学校の縮図を見ているようだ。



さきに会議室に入っていた河西が、室内に銃口を向けながら移動する。
そして中棟の校舎が見えている、右手の窓ガラスについているカーテンを少し閉めた。

カーテンを閉めたことで、ようやく中棟からの死角ができ、二人して息を()いた。


俺は黒板下の壁に背をつけて、ライフルを足の間にはさむように座った。

河西は俺の前を歩き、今入ってきた引き戸をわずかに開ける。
そして誰もいないことを確認してから、俺のすぐ隣に座った。

「で、ここからの行動について、私聞いてないんだけど……」
田久井(たくい)がまだ敵は河西だけだと考えているのなら、アイツは戦闘中うしろを警戒しない。だから俺が後ろから田久井を襲うことで、挟撃(きょうげき)することができる」


当然のように、河西は不満げな顔を見せた。

「挟撃? 私が先行して(おとり)になるってこと? なんか私が危ない橋を渡ることになってるんですけど……」

「別に囮になれとは言っていない。河西はいつも通り銃撃戦をすればいい。俺はその戦闘の間隙(かんげき)を突くだけだ。それに保健室で河西が言っていたように、この世界ができてから、そんなに時間が経っていないなら、この作戦は有効なはずだ」

河西は不満そうだ。

…………ブツブツ言ってる。

「でも、そのためには廊下に残された俺の血痕(けっこん)が邪魔になる。河西が廊下の血を見て、俺がこちら側に来ていると考えたのなら、田久井もそう考えてもおかしくはない。……そこで、だ……」


俺は保健室で左手の治療をする前まで、傷口に巻いていたハンカチを取り出した。

「なによ、その……ばっちいハンカチ……」
「別に、ばっちくはない。ただ俺の血が染み込んでいるだけだ」
「十分ばっちいじゃない! そのハンカチでなにするのよ?」


俺は手元のハンカチを見た。
黒い血がハンカチに充分染み込んで、俺の手のひらを黒く汚している。


「このハンカチを、河西の体の目立つところに巻き付けてくれ!」
「なんなのよ、その罰ゲーム!」


河西はブレザーのポケットから、自分のハンカチを出した。
女子らしくない、黒っぽいハンカチだ。

「要するにあなたが言いたいのは、私が体の目立つところにハンカチを巻きつけていたら、それを見た田久井が、廊下の血痕も私のものだと勘違いするということよね?」
「そうそう。ご明察……」


河西は取り出した自分のハンカチを右太ももに、包帯のように結びつけ始めた。

スカートの下、ニーソの上にあたる場所。

…………今は昔、絶対領域と呼ばれてた位置だ。

「たしかに……さっきの銃撃戦で、西側連絡通路の窓ガラスがかなり酷い割れ方をしたわ。それを考えれば、そのガラスの一枚が私の体を切っていたとしても、なんら不思議はないけどね。でもこんな小細工で、田久井は廊下の血を私のものだと思うかしら?」

「俺たちは答えを提示するだけだ。あとは田久井の思い込みに期待しよう。何もしないよりは断然いいはずだ」


田久井が廊下の血痕と、河西の足のハンカチを関連づければ、俺はまだこの世界に来ていないと勝手に思ってくれるかもしれない。


俺は、河西に『ばっちい』と言われた自分のハンカチを、しぶしぶポケットにひっこめた。


「……仕上げに、廊下の血に()かれて保健室にやってきた田久井に、考える(すき)を与えないくらいに、河西が(たま)を浴びせる。そうすれば相手は応戦に躍起(やっき)になって、なし崩しにうまくいくかもしれない」


河西は自分の太ももに丁寧にハンカチを巻いたあと、俺を横目で見た。

「じゃあ、廊下の血の話はここまでにして、私が囮になって田久井を(はさ)()ちにする方法について、もう少し話を()めましょ」

「それ……さっきも言ったけど、河西は自分が囮になることを意識しなくていいぞ。いつも通り田久井相手に、銃撃戦を繰り広げればいい。俺はタイミングを見て田久井を後ろから撃つから……」

河西は自分の持っている銃の先を眺めながら、口を開いた。

「…………自分だけ逃げるんじゃないでしょうね?」
「逃げるか! めちゃめちゃ失礼だな。仮にここで逃げたとして、河西が死んだら、一人で田久井を片付けなきゃならないことになるんだぞ。そんな面倒なことするか!」
「じゃあ何? 挟撃は本当になりゆきに任せるってことなの?」


会議室右の窓ガラスから見える、ここと同じくでっぱりの位置にある、中棟の教室を眺めながら俺は応えた。

「昨日今日あったばかりの人間同士で、一方が囮になって、もう一方が後ろから挟み撃ちにするという高度な連携ができるとは思えないってこと……」


俺はポケットからスマホを出して、通話アイコンをタップした。
隣の河西のポケットから、スマホが震える音が聞こえる。

少し不満げな河西が、乱暴にポケットからスマホを取り出し通話アイコンを押した。

スマホ画面上の通話時間を知らせる秒数が、1秒、2秒と増えていく。


「挟撃を意図(いと)してできなくても、結果的にそうなればいいというだけだ。それに初めから挟撃を考えて行動すると、戦術の幅が狭くなるだろ。河西は自由に動いて、絶好のタイミングのときは、この通話状態のスマホに話しかければいい」

「…………絶好のタイミングとか簡単に言っちゃってるけど、学校の廊下で銃撃戦って結構難しいのよ。長い廊下では、真ん中に遮蔽物(しゃへいぶつ)なんかないし……」

「そりゃそうだな。だから河西は俺のことを考えずに戦闘に励めばいい。あと……挟撃の際は俺を撃つなよ?」
「あなたこそ、私を撃ったら化けて出るから!」


スマホをスピーカーモードにして音量を調節してから、マイクが上になるようにブレザーの胸ポケットにしまった。
河西も同じようにスマホをブレザーのポケットに入れている。


「でも、とりあえず合言葉だけ決めておくわ。合言葉は『死ね』よ……」
「なにそれ、俺に向けた言葉なのか?」

「田久井への言葉に決まってるでしょ。銃撃に合間に『死ね』と()いても、不自然じゃないでしょ?」
「わかったよ。とにかく銃声で聞こえなかったら意味ないから、銃撃の合間に言ってくれ」


小さく舌打ちした河西が、少し離れた引き戸のほうへ移動した。




私は少しイライラしていた。

このままだと九条(くじょう)君の言いなりになって、私らしさが失われそうだった。


そもそも挟み撃ちを考えておきながら、その方法は私に丸投げ気味になってるって、どういうことなのか……


すぐそばの会議室の引き戸まで移動し、スカートのポケットに手を入れて、折りたたみ式の鏡を取り出す。

わずかに開いた引き戸の隙間に鏡を持っていき、北棟1階廊下の監視を始めた。


「なにその鏡? すげー便利そうなんだけど…… もう一つ無いの?」
「あるわけないでしょ! てゆうか、監視中なの! 邪魔しないで……」


…………保健室からここまで、結構時間がかかった気がする。

一人で行動するなら、こんなに時間はかからないのだけど、仲間と戦うときは意思疎通が必要になる。
共闘は心強いが、時間がかかるという点で面倒ということなのかもしれない。

ここまで経過した時間を考慮すると、すぐにでも田久井は来るかもしれない。


「挟み撃ちにする前に田久井を殺すことができるなら、それでもいいからな」

すぐそばで、そんなことを言う九条君は、相変わらずのんきだ。



――――手鏡には、田久井の姿は(うつ)らない。

ここから見た北棟1階廊下は、右側に窓ガラスが並んでいる。

反対の左側にあるのは、さっきまでいた保健室などの主に教職員が使う部屋になっている。

私たちがいる会議室から見ると、手前から東側連絡通路、トイレ、保健室、職員室、給湯室……

職員室は教室二つ分の広さがあるので、廊下の真ん中は給湯室あたりだろうか……


この廊下で戦うなら、職員室前の廊下に田久井を誘い込んでからのほうがいいかもしれない。
職員室は幅が教室二つ分あるにもかかわらず、その両端に出入口の引き戸があるだけ。

…………その引き戸のあいだは逃げ込む場所のない、長めの廊下になっている。
他に遮蔽物もないので、絶好の狩場かもしれない。


そんなことを考えながら、私はこの世界の静かさに身を(ゆだ)ねていた。

うしろに九条君がいるはずだが、物音一つしないので自分の呼吸音が大きく聞こえる。

銃声がしない、この世界の静寂(せいじゃく)は結構好きだった。
敵がいないのなら、ずっとこの静かな世界にいたいとさえ思う。


戦闘前なのに、私のメンタルは落ち着いていた。
九条君を少しいらだたしく思うけど、私の心には特別な気負いのようなものはない。



…………鏡に人影が映った。

廊下のずっと先、西側連絡通路のほう。
九条君が言っていた通り、廊下の血を追ってきたと考えるべきだろうか……


実のところ私は、田久井が廊下の血痕を辿ってこない場合も考えていた。
人の行動なんて予測不可能だから。


でも九条君の言う通りになってしまった。

「来た…………西側連絡通路の方よ…………」
「開始のタイミングは河西に任せる。頼んだぞ」


――――――さっきとは違う、張り詰めた空気が流れ出す。
後ろで九条君が座り直したのがわかる。


田久井が何度も1階廊下に顔を出して確認した後、ようやく廊下に出てきた。

左側の教室のあるほうに身を寄せながら、ゆっくりこちらに向かってくる。
何かあれば、廊下から教室に入るつもりなんだろう。

田久井はアサルトライフルを両手で抱えて、いつでも撃てる体勢を保持している。


さっき戦闘を仕掛ける場所と考えていた職員室の廊下まで、まだ間がある。


九条君は挟撃について曖昧(あいまい)なことを言っているが、一人で戦うよりも、二人で戦った方が楽なことは明白だ。

だから私の役目は囮、それで間違いない。

相手が私を追ってくるように、仕向けなければならない。


――――廊下の真ん中、給湯室の前まで田久井がやってくる。

相手の足取りは、さっきより軽やかに見えた。
廊下の半分近くを進んで、敵がいないと思い始めたか――――――


最後に敵の歩調を確認して、私は今まで眺めていた鏡を畳み、ポケットにしまう。

そしてLR-300というアサルトライフル…………
そのセレクターレバーをフルオートにする。


――――カウントダウンを始めた。

鼓動が少しずつ速くなっていく。


…………………………ゼロ!












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