第22話 生き残るべきは誰か

文字数 6,790文字




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地面のスナイパーライフルをそのままにして、俺は立ち上がっていた。

今、俺の眼に映るのは山を下ったところにある道路だ。
しかし網膜(もうまく)に焼きついているのは、河西の微笑(ほほえ)みだった。

ベビーカーの手前まで走り寄った河西は、なぜかわからないがわずかに微笑んだ。

初めて見た……河西の笑った顔。
学校では不機嫌そうな顔しか見せたことないのに…………


しかし河西は何を見て笑ったんだ?

ベビーカーには誰もいないはず――
この世界にいるのは、俺達のような特殊な体質を持った人間だけだ。


「……………………ハハハッ……………クソッ」

結局できなかった。

殺せなかった――――


トリガーを引かなければ、むごたらしく死ぬのは俺なのに……
わざわざ交通事故まで(よそお)い、相手を誘い込んだのに…… 

…………理由はなんだ?

河西の微笑みを見たから?
ベビーカーに微笑んだ理由を知りたかったから?


――――――――よくわからない。


「ははっ……ははははっ…………はぁ…………」

力なく笑い、顔を上げた。

木の葉の隙間から太陽の光が漏れているのが見える。
そのまま目を(つむ)ると、オレンジ色の光がまぶたの裏に映るのがわかった。


しばらくそうした後、俺は目の前の急な下り坂を降り始めた。
そばにある銃を一切持たずに……

木につかまりながら足元の悪い坂を下り、2メートル程の高さのコンクリートでできた土手を飛び降りて、道路に着地した。
それから真っ直ぐ河西の方に向かって歩いていく。


自分が何をしようとしているのかは理解できていた。

――――――これは自殺だ。


だがしっかりした足取りで歩き、前を見る。

河西の姿は見当たらない。
おそらく数百メートルは離れているだろうから、まだ見えなくても当然だろう。


…………静かだ。

音のない世界――――


学校の内履(うわば)きをまだはいているので、アスファルトを歩く自分の足音もわずかに聞こえるだけ。

相手と殺し合いをしなければならないという条件がなければ、この世界は結構心地良い。


一瞬、右側の歩道から車道へ移動するものが見えた。
河西だろう……


相手からも、俺が見えているらしい。
向こうにしてみれば、もう少し引きつけてから撃ちたいところだろうか?

さらに距離を縮めるべく、わずかに下り坂となった道路の中央線の上を歩く。


河西は、今の俺の行動をどう思っているだろう?
もし俺が河西の立場なら、相手の行動の意図するところがわからないに違いない。

殺されるとわかっていながら、自分にまっすぐ向かってくる。

――――映画なんかに出てくる、ゾンビと似ている。

…………まったく笑えない。


考えを巡らせていると、右車線に停まっている車の後ろから河西が踊り出た。
俺の進行方向の延長上、道路の中央線の上で河西はライフルを構える。

銃を向けられ、思わず足を止めてしまいそうになる。
しかし何事もなかったように、そのまま河西に向かって歩き続けた。


相手は銃を構え、照準を合わせたまま……
何も言わないが、それ以上近づくなと言っているように思える。


俺は手を上げて降参のポーズをとったりせず、銃口を真正面から受け止め、歩き続けた。


じりじりと距離が縮まっていく…… 



――――――右肩に衝撃が走った。

鋭い焼きごてを刺されたような痛みと、周囲の建物に反響する銃声。


足を止めて、その場で目を閉じる。

…………痛い、というより熱い。


――――熱が痛みに変わる頃、手の平を患部に当て、爪を立てた。
血が指の間を通り、手首からひじの方へ伝っていくのを感じる。


ゆっくり目を開けて前を見た。
河西は当たり前のように、俺に銃口を向けている。


…………そのまま右肩をかばうように歩き出す。

左右の足の体重移動だけで、右肩が何度もナイフで刺されるような感じがする。

まっすぐ河西の方を見ることすら、(つら)い。



――――――さっきより間近(まぢか)で起こる銃声。

その銃声と同時に、右肩を押さえていた左手を使い、反射的にアスファルトに手をついた。


――――左太腿(ひだりふともも)だ。 撃たれたのは……

右肩を撃たれた時よりも、早く激痛が訪れる。


アスファルトの上で四つん()いになり目を閉じると、気を失う寸前の、頭の中がフッと軽くなるような感覚がある。

――――このまま倒れて地面に頬をつけば、冷たくて気持ち良いかもしれない。


慌てて目を開ける。
…………汗が鼻を伝い、ぽたりと地面に落ちた。

鎮痛効果があるベータエンドルフィンが脳内で分泌されているのだろうか……
さっきより痛みが引いている気がする。


『――――()めておけ』という心の声を、俺は無視した。


四つん這いからアスファルトに尻をつけた状態で座り、ポケットに入っていた十徳ナイフを取り出す。
それを使って、止血のために左二の腕を縛っていたネクタイを切る。

そして代わりに、今撃たれた太ももを縛った。
痛めた右肩をかばいながら、できるだけきつく縛る。


――――河西の方を見る。
銃を構えてぴたりとこちらに照準を合わせている。

表情は照準器に隠れてよくわからない。
しかしご丁寧にも、止血するまで待っていてくれたようだ。

だがその温情もどこまで有効なのかわからない。


…………右肩は撃たれたままにし、治療はしないことにする。

十徳ナイフをもう使えないように、遠くに投げた。
それからなるべく右足の力のみを使い、その場に立ち上がる。



爪を立てるように、左手で右肘(みぎひじ)を掴み、痛みを分散させる。
そうやって苦痛を誤魔化しながら、左足を引きひきずるように河西に向かって歩き出した。


…………こんな取ってつけたような応急処置で生きられるなんて思っていない。

だが死を決意して、ここまで奥歯に(はさ)まっていて気づけなかったものに気がついた。


――――俺には両親がいない。
おばあちゃんも亡くなってしまったので、実家にも俺を出迎えてくれる人がいない。

つまり俺が生きていても、喜んでくれる人がまったくいないということだ。


もしこの世界から生きて帰れる人間が一人だけというなら……

それは……よく帰ってきたねと喜んでくれる人がいる、人間のほうがいいだろう。


俺には喜んでくれる家族はいないが、河西になら……いるのではないだろうか?
だったら帰るのは、河西のほうがいいに決まっている。


ここまで追いかけられたので逃げ続けたという経緯はあるが、もっと早くに気づけていたなら、元に世界に帰るという役回りを、話し合いで河西に譲るという道があったのかもしれない。


だがこの選択肢は――――俺が自分の命を(あきら)めないと、たどり着けないものだ。


この選択肢に辿り着くまで、だいぶ遠回りをしてしまったが、今この道に辿り着いたことに俺は少し満足していた。



河西の方に向かって歩いていたが、途中で歩く先を、右側の歩道に変えた。

俺が歩く方向を変えたため、河西と俺との間にある背の高いミニバンが、河西の射角(しゃかく)の邪魔をするようになる。
それを見た河西が、俺に照準を合わせるために少し前進するのが見えた。


歩道と車道を隔てる段差を、俺はなんとか乗り越えて歩道に上がる。

近くの街路樹に背中を預けて、しばらく休憩した。


…………ぼんやりと視線を歩道に()わせる。
少し行ったところにサブマシンガンがある。
さらに先にはハンドガン。

ここから5メートルほど山の方に戻ればアサルトライフルもある。


だが俺のお目当ては、それらではない。
ゆらりと街路樹から背中を離し、さっきと同じ体勢で歩道を歩きだす。

――――ようやくお目当ての物にたどり着いた。
…………赤いコカコーラの自販機。

右肩の痛みを押して、制服の後ろポケットから財布を取り出す。
そして自販機に小銭を入れた。

微糖の缶コーヒーを選んだ。
もう一本はペットボトルのミルクティー。

痛む左足をだましながら、腰を折って商品を手にする。
お釣りが落ちてきたようだが、それを手にする余裕はなかった。

胸で飲み物を抱えるようにして、振り返った。


…………俺の行動を監視するためだろうか?

車道にいた河西との距離は10メートル程しか離れていなかった。
向こうの方から前進してきたようだ。

相変わらず銃口は俺に向けられているが、その方が俺にとってはありがたい。
これ以上歩くのは正直きつかった。


のろのろと、歩道から車道へ移動する。
河西は俺との距離を保つべく、道路の中央線上を俺の歩くスピードに合わせて後退した。



車道の真ん中までなんとかたどり着いて、ミルクティーを手に取った。
女子ならやっぱり、甘い方がいいだろう……

そう思い、まだ使える左手で河西の方へ向かってミルクティーを投げた。

ペットボトルは()を描くように、まっすぐ河西のもとへ飛んでゆく…………

相手に届くと思った瞬間――――

河西はライフルを支えていた手……銃のハンドガードを握っていた左手の(こう)で、それを払い落した。

――――無表情で。


俺は苦笑いしながら、近くにあった車まで行き、そのトランクの部分に腰掛けるように体を預ける。
そして手元に残ったコーヒー缶のプルトップを開け、一口飲んで大きく息を吐いた。


河西は相変わらず俺に照準を合わせたまま、警戒している。

「ライフル……下ろしたらどうなんだ? 重いだろ? 俺は見ての通り丸腰だ。それにこんな傷だらけの体じゃ何もできない……」

この距離で、俺の声が聞こえていないということはないだろう。
なのに、河西は動く気配すらない。

…………頑固な奴だ。
銃を向けている方が楽だというのなら、好きにすればいいが……

「……そういえばパチンコ店の駐車場で、俺が撃った右肩の具合はどうだ? 制服の上からは治療したようには見えないけど……」


河西が一瞬、ライフルの照準器から目を離した。
獣が飛びかかる寸前の目をしている。

…………だが無言のままだ。

「じゃあ、話を変えよう。休戦協定中にこの世界についてお互いに調べようと言っていただろう。そのことについて話し合わないか? 河西はこの体質を抱えて生きていくんだろう。少しでも情報を得ておくことは、今後のためになると思わないか?」


だが相変わらず、銃口を俺に向けて押し黙っている。
ここから見ると、トリガーに指を掛けたまま……のように見える。


「わかったよ…… じゃあ俺の方から……」


――――時間をかけずに説明した。

俺が調べたことは、この戦場、塚ヶ原市(つかがはらし)のまわりは『透明の壁』に囲まれているということ。

壁は近づいて触ってみるまでわからないほど透明で、知らずに近づけば鼻をぶつけてしまうほど。
どうやってそこまで、透明化を実現しているのかはわからない。

壁の向こうの景色は普通に見えるので、光は壁を通過できると考える。

高さは小石を10メートル以上の高さに投げても跳ね返ってきたので、それ以上だと思う。


「…………銃を使って、壁の強度を調べて見たかったけど、銃声で河西を驚かせるかもしれないと思ってやらなかったよ。だが、石を投げた程度では傷はつかなかった」


河西は透明の壁があることについては、もうすでに知っているのかもしれないと思った。

俺が話した内容について、興味を見せるような素振(そぶ)りがまったくないからだ。


そこまで言い終わって、缶コーヒーを飲み干した。
少し体をひねるようにして後ろを向き、自分が腰をかけている車のトランクの上に、飲み干した空き缶を置いた。

そして河西の方に向く。

「河西の足元に転がっている、俺が投げたミルクティー。飲まないんだったら俺にくれないか?」

――――河西は一向に動こうとしない。

「最期の晩餐(ばんさん)じゃないけど、最期のミルクティーぐらい、くれたっていいだろ?」


…………河西の眼をじっと見て、催促(さいそく)する。

しばらく視線を交わしたあと、河西はちらっと自分の前に落ちているペットボトルを見る。
その位置を確認してから、銃を構えたまま河西は、ペットボトルを見ずに足で蹴った。

それは俺から3メートルほどの距離を残して勢いを失い、最後に円を描くようにして止まった。

仕方なく痛い思いをして取りに行き、俺はまた同じ車に戻ってくる。


自分の視界の(はし)で、荒いドットが光るように、チカチカ明滅(めいめつ)しているのがわかる。

…………出血による限界が近いのかもしれない。

――――――もう時間がない。


「…………最期に一つだけ教えてくれないか?」

…………河西は答えない。
会話をすると、これから殺す人間に情を移すことになると考えているのだろうか?

だが今まで銃口を()らしたことなかったのに、それはわずかにずれて、下を向いていた。

俺を(にら)んでいるように感じるのは、銃の重さに耐えられなくなったからだろうか……


俺は河西の許可を取らずに、話を始めた。

「さっき駅前から続く血の跡を追って、今いる道路を進んできたと思うんだけど…… その途中で、歩道にあったベビーカーに向かって一瞬、微笑(ほほえ)んだよな? まさか赤ちゃんが乗っていた訳ではないと思うけど、どうしてベビーカーに向かって、微笑んだんだ?」


どうでもいいように聞こえるかもしれない、この質問は俺には重要だ。

俺にとってこの質問は、どうして自分が死ぬことになるのか、という意味の問いだからだ。

河西がベビーカーに向かって笑いかけなければ、この戦いはどうなっていたのかわからない。
俺は自分が死ぬ理由を知りたかった。

だから痛い思いをしながらも、ここまで歩いてきた。


…………答えを待ちながら、河西から目をそらし、顔を上げて太陽を眺める。

この世界にきてから、ずっと同じ場所で照りつけているため、時間の感覚が失われる。
しかしその時間もそろそろ終わりだ。


河西は俺の問いに答えるつもりは無いようだった。

…………これ以上時間を費やす必要はないだろう。
俺はミルクティーの大部分を残して、寄りかかっている車のトランクに置いた。

「OK! ……いいよ。もう話すことはないし、ひと思いに()ってくれ」

さっきまで銃口を下すようにしていた河西が、再度、俺の頭に向けて照準を合わせた。
俺はさっきと同じように、ゆっくりと太陽を見て、目を閉じた。

まぶたを通して届く、オレンジ色の光が心地いい…………



――――――――――――――――――

いつまで経っても意識が途切れることがないので、目を開けて河西の方を見た。


河西はさっきと同じように、俺にライフルを構え、照準も俺の頭に固定している。

だが唇を噛んで、苦しそうに何かに耐えているかのように見えた。

「ああ…… 俺の顔が見えていたら撃ちにくいか……」

そういって左足を引きずりながら道路の中央線の所まで出て、河西から背を向けた。

「…………いつでもどうぞ。 でも出来れば頭に一発撃って、楽に…… 痛みも感じないように殺してくれ」

そう言い、両腕をわずかに広げ、目を閉じた。


俺は今から殺される。
でもなぜか、心は穏やかだ…………

()いて気がかりを挙げるとすれば、これから俺を殺す河西の行く末だ。

河西はこれからも、この狂った世界に落とされる恐怖と戦わなければならない。

――――だが、俺にはどうすることもできない。



――――静寂(せいじゃく)を切り裂く銃声がとどろいた。

膝を折って、地面に前のめりに倒れる。


――――――痛い。

…………頭を撃ってくれと頼んだのに…………

あのバカ女…………

撃たれたのはどこだ?


全身に激痛が走っているように感じ、すぐにはわからない。
ゆっくりと膝を立て、うつ伏せの状態からあお向けになりアスファルトに転がった。

……と、同時に(のど)()まり、呼吸を(はば)んでいた物を吐き出した。

――――血だ。

…………真っ黒い血。


どこを撃たれたのか探そうと、震える手を体に這わせていた時、誰かが俺のそばで屈んだ。

「見て! 空が割れてる。帰れるわ。私たち二人とも!」

…………何のことを言っているのか、わからない。


そのあいだに、ようやく手で新しい銃創(じゅうそう)を探し当てた。

胸のあたり、ここは肝臓だろうか……?
確か肝臓は急所だった気がする。

そうしているあいだに、また喉まで血が上がり、顔を少し横に向けて吐血(とけつ)する。


その時、俺の頭がゆっくりと持ち上げられ、柔らかい何かに載せられた。

河西の顔が視界に映る。
たぶん河西が膝枕をしているんだろう……

嬉しいとか、そんなことを思う余裕はない。
だが頭を上げてくれたお陰で、呼吸がずいぶんと楽になった。

「ねぇ、目をしっかり開けて、上を見て! 割れ始めている…… 空が……」


何を言っているこいつは……
俺はもう指を動かすことすら、厳しいんだぞ…………

空が割れる……って、どういうことだ……


俺の視界は河西の顔で、ほとんど埋まっている。
しかしよく見ると河西の顔の後ろから、極彩色(ごくさいしき)の光のようなものが降り注いでいるように見えた。

「ふふっ」と笑いたかったが、今の俺にはもちろんできない。

…………この光景…………

子供の頃に読んだ、フランダースの犬って絵本のラストにそっくりじゃないか…………

こんな俺にも天使が迎えに来てくれたか……

そう思い、ゆっくりと目を閉じた。


誰かが耳元で何か言っているが、俺にはもう届かなかった…………




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