第37話 舌戦、情報戦
文字数 3,173文字
「――――
廊下に出て、呼びかける。
しかし胸ポケットのスマホから聞こえたのは、思い切り引き戸を開けたような音だった。
ポケットからスマホを取り出す。
…………不通をしめす音は、スマホからは聞こえない。
スマホをスピーカーモードから通常の通話状態に戻し、耳に当てる。
そして家庭科室前の廊下から発見されにくい階段の方へ、俺は移動した。
――――ジッと押し黙る。
スマホを耳に当て、電話の向こう側の様子を探った。
…………嫌な想像ばかりがふくらむ。
だが思考を押し殺し、呼吸さえも忘れたように耳をそばだてた。
…………何かを引きずるような音が聞こえる。
それと教室のパイプ椅子、もしくは机が動いて、床と
最後に、聞き取るのがやっとの音量で、引き戸の動く音が聞こえた。
俺はスマホを耳に当てながら階段下で屈み、マスクを捨て、手にはめていたポリ袋も外す。
床に置いたアサルトライフル、F2000タクティカルをもう一度抱えて、南グラウンドが見える廊下の窓ガラスから外へ飛び出した。
太陽はほぼ真上から照りつけ、さっきと変わらない南グラウンドが見える。
でも、先ほどとは全く違う状況になったようだ。
――――死体のない家庭科室。
引き戸が立てる大きな音。 ……何かを引きずる音。
そして返事をしない河西……
もういいか……
考えたくはなかったが、事態は悪い方へ転がったようだ。
右手にアサルトライフルを持ち、左手でスマホを耳に当てながら校舎と南グラウンドの間の
河西と別れた1年5組から家庭科室に来るまでの道のりを、逆に歩き始めた。
…………間もなく電話に応答があった。
「よう、
――――
話をしたことないが、授業中にその声は聞いたことがある。
とりあえず相手の話に合わせよう。
河西はまだ生きているかもしれない。
会話の中で河西が無事なのか、その辺も聞き出すように話を進めていく必要がある。
「俺の名前を覚えてもらえていたなんて、光栄だね。学校の中では目立たない生徒のつもりだったんだが……」
「……何を言ってる? 教職員の中でお前が目立っていないわけないだろう」
……なんだ?
どうして俺が目立つことになるんだ?
遅刻の多さのことを言っているのか?
「意味がわからない。どうして俺が目立っていることになるんだ?」
「お前、高校入試のことを忘れたわけではないだろう?」
入試…………
田久井の言いたいことがなんとなくわかったような気がする。
だが
「……わからないね」
「まあいい。だが改めて考えてみると、入試の成績がトップの奴と2位の奴。その二人が、二人とも私と同じ能力の持ち主だなんてかなり驚きだよ」
「俺は、アンタがこうして電話越しに話している状況が驚きだよ。アンタ……さっきの爆発で耳の
田久井は図星を突かれたからか……
それとも単に、俺にやられたことを思い出したからか、盛大に舌打ちをした。
「…………あの爆発からどうやって身を守ったんだ?」
田久井は不機嫌な
「どうやって私が生き延びたかなんて、今はどうでもいい…… とにかく河西は預かった。助けたければ……」
「――――嫌だね」
話の腰を折って、俺は拒否を示した。
どうせ河西を助けたければ、丸腰で来いとでも言うつもりだったんだろう。
「アンタが預かったと言っているのは、河西の死体じゃないのか? わざわざ死体を受け取りに、罠とわかっている所に行けるかよ」
河西が生きている保証はどこにもない。
確実に言えるのは、田久井が河西のスマホを使っている時点で、河西は完全に無力化されているということだ。
死んでいるのか、虫の息なのか……
現段階ではわからない……
生死がわからない状況で、敵陣に突っ込むわけにはいかない。
まだ情報が足りない。
河西は死んだとカマをかけることで、揺さぶってみるか……
「アンタは河西を襲ったことで、戦況が自分へ有利に傾いたと考えている。だが実際はどうだ? 左足を撃たれた河西を
「ほお……じゃあ河西はこのまま見殺しにするってことでいいんだな?」
あくまで河西は生きていると言いたいようだ。
…………まだ足りない。
「アンタは自分の立ち位置がわかっていないようだ。これは人質のいない立てこもり事件と同じだ。人質がいるからこそ、犯人に食料や毛布が与えられる。俺としてはこのまま食糧攻めにしてもいいし、家庭科室のように、アンタを建物ごと潰すのもアリだと思ってる」
田久井が電話口で沈黙している。
ここまで、河西は死んだという前提で話をした。
だが反論しないところを見ると、本当に死んだのかもしれない。
「…………もういい。これ以上の会話は無駄だ。次に俺の姿を見たときは、アンタが死ぬときだと思え」
「――――待て、河西は今、スタンガンの影響で気絶しているんだ」
「そんな
そう言って、一方的に電話を切った。
会話を続けるあいだに、中棟1階にある昇降口に俺は辿り着いていた。
下駄箱に背を預けて、ズルズルとそのまましゃがみ込む。
俺は会話の中で、田久井へのメッセージを盛り込んだ。
『立てこもり事件』という言葉だ。
身代金目的誘拐なら、人質の小指を切断し、郵送するなど……
立てこもりなら、銃口を向けた人質を窓から見せるなど……
これらを行わない場合、誘拐なら身代金は支払われず、また立てこもりなら機動隊がすぐに突入することになる。
俺は『立てこもり事件』という言葉を使って、
その結果、得られたのが『スタンガン』という言葉だ。
『河西は死んでいる』と仮定した場合……
田久井は苦し
しかし、どうしてスタンガンという道具の名前を出したのか?
スタンガンという具体的な名称を出すことによって、話の内容に
それにしては具体性抜群の嘘だ。
『河西は生きている』と仮定した場合……
スタンガンという言葉は別に不自然ではなくなる。
河西が生きていて、なおかつ無力化されているなら、スタンガンを使ったというのは話の流れとしてしっくりくる。
――――普通なら、この段階で河西は生きていると考えるかもしれない。
だがこの世界には、ここぞという場面で大嘘を吐ける人間がいるのも事実。
それに河西を殺した後の言い訳を、数時間前から考えていたというのであれば、スタンガンという言葉を用意できていてもなんらおかしくはない。
…………それに合わせた演技も可能だろう。
結局、田久井との会話から、河西の明確な生死についてはわからなかったと言える。
だが、俺はさっきの会話の最後に、釣り糸を
河西が生きていることを信じないという状態のまま、俺は一方的に電話を切った。
もし俺に信じてもらえなければ都合が悪いと、田久井が考えた場合…………
もう一度、電話がかかってくるはず。
昇降口で座っていた俺は立ちあがって、体育館に足を向けることにした。
…………河西が殺されたのだとしたら、自分のせいだと思う。
足を怪我した河西を、1人にすべきではなかった。
だが河西が生きていようがいまいが、俺が田久井と戦うことになるのは
――――感傷に