第35話 半か、丁か?

文字数 3,812文字




音楽室から家庭科室までの長い廊下を、私は見ていた。

爆発音と同時に、廊下の窓ガラスが吹き飛ぶ。
割れたガラスはキラキラと(ちゅう)を舞って、校舎の間にある中庭に降り注いだ。


…………わずかに、特別教室棟全体が揺れる。


音楽室の天井から粉のようなものが落ちてくるのを見ながら、私はしばらく机に(つか)まっていた。


「…………河西(かさい)、聞こえるか?」

胸ポケットのスマホから、九条(くじょう)君の声が聞こえる。


「ちょっと、何なのよ今の……」
「家庭科室を爆発させた」

爆発させた(とう)の本人は、冷静な声で応える。


「聞いてないわよ、爆発が起きるなんて……」
「えっ、言ってなかったっけ?」
「言ってないわよ。ちゃんと事前に説明してよね」


廊下の先を見ると、家庭科室で爆発が起きたのは本当のようだ。

家庭科室の引き戸が廊下側に倒れたのだろう。
煙が少しずつ漏れ出し、廊下の視界が悪くなってきている。


「けっこう大きな爆発だったな…… 爆発の規模は予想外だった」

九条君は走りながら、しゃべっているように聞こえる。


「しれっと、予想外とか言ってんじゃないわよ。あの爆発音でその余裕って…… 銃声の聞きすぎで耳がバカになってるんじゃないの?」

「……そんなことより、廊下に田久井(たくい)が出てきたりしてないか?」
「えっ、あの爆発でまだ生きてるっていうの?」


銃口の延長上にある、家庭科室前の廊下を見つめる。

「どうだ? 田久井の姿は見えたか?」

九条君が急かすように話しかけてくる。


「まだよ、姿は確認できない。ていうか、煙が凄くなってきて、廊下がよく見えなくなり始めてる」

「爆発の衝撃で窓ガラスが割れたんじゃないのか? 窓ガラスが割れれば、黒煙(こくえん)もそこから吐き出されるだろ?」

「出てきてるのは黒煙じゃなくて白い煙だけど…… でも煙が排出されるには、窓ガラスの位置が高すぎるのよ。窓より低い所で、煙が漂っている感じ……」


家庭科室のあたりから出てくる白い煙。

九条君と話している間に、白い煙に黒いものが混ざり始めた。

…………確実に何かが燃えている。


黄緑(きみどり)色の煙が見えたりしない?」
「黄緑色? なんでそんな色の煙が見えるの?」

意味がわからない……
黄緑色って、どういうこと?


「色はともかく…… 田久井が廊下へ逃げるとしたら、引き戸そばにある東側連絡通路か、階段の方に向かうと思うけど……」


九条君にそう言われて、(まゆ)をひそめるように廊下を見つめる。

しかしどう考えても、音楽室から数十メートル離れた廊下の端を見るのは困難になっている。


「…………ここまで廊下の煙がひどいと、それに乗じて逃げることもできるわ。相手に匍匐(ほふく)前進されると、ここからでは全く見えない」

…………黒煙がひどくなってきた。
何が燃えているのだろう?

爆発からわずかな時間で、廊下がほとんど見えなくなってしまった。


「…………わかった。田久井のことはもういいから、教室内の死角に隠れてくれ。相手は家庭科室から逃げた後かもしれない。次の段階を考えよう」


…………そういう九条君は、私が心配なのかもしれない。

でも、田久井が家庭科室から出てきたところを見つけて撃てば、それで今回の戦闘は終わる。

家庭科室前は見えなくなっているが、九条君がさっき言った東側連絡通路のほうはまだ煙は回っていないようだ。


ここは()()りどころじゃないだろうか…………



音楽室の窓にコツと何かが当たる音がした。

気のせいかと思って銃口の先を見つめると、またコツと音がする。


…………窓になにかが当たっている?


この世界の敵は一応、田久井だけということになっている。
しかし九条君のように、あとからこの世界に入ってくることもできる。


爆発の衝撃で、音楽室の窓ガラスは割れなかった。
その音のするほう、南グラウンド側の窓ガラスが一つだけ開いている。

音を殺して、外をのぞける窓まで移動し、深く息を吐く。


左足を(かば)いながらの立ち上がる動作と、銃の照準を合わせる動作を同時に行う。
そして相手の(ひたい)を見つめた。

トリガーに()えた指の関節を、曲げる寸前で止める……


相手は目の前とは違う、別の窓から銃口を向けられ、背中から後ろに倒れる。

地面に背中をつけたままの姿勢で、私に銃口を向けた。


そしてふたり……
(しめ)し合わせるように長く息を吐いた。


「ちょっと、冗談は顔だけにしなさいよ!」

まだ銃口を私に向けている九条君に、私は毒づく。

「……顔の整ったやつに言われるとマジへこむ。にしても、なんでこの教室、窓の位置が高いんだ?」

「音楽室は映画館みたいになっているからよ。観客席の位置に生徒の机があるの。窓の位置が高いのはそのためよ。……って、なんで音楽室のこと知らないのよ?」

まだ4月とはいえ、入学式からそれなりに時間は経っている。

どのクラスでも、音楽室での授業は普通に行われているはずだと思うんだけど……


九条君はどうやら校舎づたいに、外を歩いて音楽室まで来たようだ。

きょろきょろ見渡した九条君が口を開く。
 
「校舎に入れる、手ごろな窓とかない?」


手のかかる弟ができたような感覚を持ちながら、足を引きずり音楽準備室のドアまで進む。

音楽室が授業中だったため、おそらくと思っていた。
その思った通り、準備室のドアは開いていた。


音楽準備室に入り、中の窓を開ける。

九条君が子供みたいに目を輝かせて、彼の胸の高さにある窓の下枠をよじ登ってきた。


九条君が両手を()けるために預かった、F2000タクティカル。
その特徴的な形をしたアサルトライフルを返し、話しかける。

「これからどうするの?」
「いったん家庭科室から距離を置くために、中棟(なかとう)へ行こう」


…………私はなんとなく今後のことについて、九条君に聞いてしまっていた。


それが物語るように、今回の戦闘では私に主導権はない。


そもそも怪我して動けない状態で、九条君をアゴで使うなんてことできるはずもない。


もう……
すみっこでちっちゃくなってよう……


そう考えながら、中棟に向かおうと準備室のドアを出た時、背中に声をかけられた。

「ちょっと待って、いいこと考えた」


そういった九条君は、音楽準備室に戻って行く。
しばらく待っていると、教師用の椅子を持ってきた。

すぐに九条君の意図を察して、ため息吐きたくなった。

「言いたいことはわかるよ。でも足を怪我した河西が、負担なく高速移動するにはこれしかないと思うんだ」


椅子の下にはローラーがついている。
つまり、私が乗ったまま移動できるということらしい。


音楽室の引き戸の前で銃を安定させるために、私が()いていたふかふかざぶとん。
それを椅子の上に載せて、九条君はポンポンとそれを叩いた。

まるで花柄のふかふかざぶとんなら文句ないでしょ、と言いたげだ。

私はしぶしぶ、本当に嫌々、それに座った。


音楽室を出て、椅子の上に座りながら家庭科室のほうを見る。

廊下の煙はまだ落ち着いていないようだった。


それから西側連絡通路に入るため、私を乗せた椅子は左へ曲がる。

「ちょ、速い速い、速いっ!」


中棟まで20~30メートルほどありそうな西側連絡通路。
私の乗った椅子を押す九条君が、猛スピードで駆け抜けていく。

『椅子の上は銃座(じゅうざ)だから、何かあったときは撃って』と言われたけど……
バランスを取るのと、スカートを押さえるのとで精一杯。


「――――ちょっと! 小学生か!」


徐々に速度を落とし、廊下が中棟と交わるところまでやってくる。
そこから階段の前まで椅子は進んだ。

「御乗車ありがとうございます。またの機会をお待ちしております」


(うやうや)しく言った九条君の頭を、ポカッと叩いた。

お辞儀をしていた九条君が頭を上げると、額から鼻の横にかけて、ツーと黒い血が流れる。

「わわっ、なんで頭割れてるのよ?」
「河西が殴ったから……」
「軽く叩いただけで、血が出たりしません!」


仕方なくブラウスの袖口(そでぐち)で、九条君の血を()いた。


考えて見れば、戦闘で怪我をしているのは私だけと思うのは、間違っているのかもしれない。

こっちに来てからすぐに、九条君は左手を怪我していた。
それにひょっとしたら何も言わないだけで、満身創痍(まんしんそうい)に近いのは私と同じなのかもしれない。


九条君の肩を借りて、階段を昇っていく。

「…………わざわざ階段を昇る必要があるの?」

「田久井も足を撃たれてる。……撃ったのは俺なんだけど…… それを考えれば1階よりも2階、2階よりも3階の方が安全というわけだ。向こうはひとりだ。階段を昇るのはさぞ(つら)いだろう」

さっき爆発があった家庭科室は1階だ。
つまり……より上階のほうがいいらしい。


「その田久井は本当に生きてるの? あれだけの爆発だったのよ。生きていたとしても、まだ家庭科室で気絶(きぜつ)しているんじゃないの?」

「気絶はないな…… まだ家庭科室にいるとしたら、それは死体だ。だが死んだと確定するにはまだちょっと早い」


九条君が『気絶はない』と断言した理由がわからなかった。

でもそうなると、家庭科室に死体があるかどうかを確認しなくちゃいけない。


死体があれば、これで戦闘は終わりとなる。
通常なら戦闘が終わっていれば、とっくに元の世界に戻れているはず。

しかし今回は、戦闘が終わっていたとしても、おそらく元の世界には戻れない。


それはたぶん……
この世界の意思が、私と九条君との間で、戦闘状態が続いていると判断するからだろう。

九条君もそれを理解しているはず……


「爆発現場に、見に行くってこと?」
「……面倒だけどそれしかない。そのために一度、家庭科室から距離をとる」


そう言った九条君の肩を借りて、階段を上がった。















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