第2話 葬儀

文字数 3,213文字




おばあちゃんが死んだ。

俺にとって唯一の理解者である、おばあちゃんが死んだ。


4歳で両親を亡くした俺は、京都にいる父方(ちちかた)のおばあちゃんの家に預けられることとなった。

しかし高校受験を期に、両親と生前に一緒に住んでいた、東京都心から40~50分ほど離れたベッドタウンである塚ヶ(つかがはら)市に、一人で住むことを希望した。


おばあちゃんは二つ返事で、俺のひとり暮らしを認めてくれた。
俺にとって、それが良いと判断したのだろう。

だが入学して間もなく、京都に引き返してくることになった。
おばあちゃんが亡くなったことによって……


京都は雨…………

京都駅からバスに乗って実家へ着いたのは、昼をだいぶ回った頃だった。

つい最近まで住んでいた京都の家は広い家だ。
家というより屋敷と言った方がいいかもしれない。

そのくらい広いので葬儀(そうぎ)場は借りなくていい。
そのため葬儀は自宅で()り行うようだった。


実家に着き、おばさんに挨拶する。
おばさんは烈火(れっか)のごとく俺を(しか)り出した。

しかし何が気に入らないのか、要領(ようりょう)を得ない。

怒られている間、おばさんの後ろを通った、おばさんの子供……
俺にとっての従妹(いとこ)二人が、笑いながら歩いて行った。

その二人が学生服を着ているのを見て、ようやく自分が怒られている理由がわかった。

どうやら俺が紳士服専門店で買ってきた、新しい礼服を着ているのが、気に入らないらしい。
自分の子供たちが学生服を着ているのに、どうしてお前は礼服を着ているのだ、そう言いたいのだろう。


長い間怒られたあと、捨て台詞(ぜりふ)に、忙しいのだから邪魔をするなと言われた。
そんなに忙しいのなら、俺なんかに構わなくても良いだろうに…………


…………いつものことだ。
京都の実家での自分の立ち位置は、いつもこんな感じだ。

今日、明日、我慢すれば、また自分だけの家に帰れる。



通夜が終わり、ようやく休めると思って2階の自室に戻る。

もともと机とベッドしかない部屋だったが、空き部屋のようになっていた。
6畳のたたみが広がっているだけだった。

もう帰ってくるなというおばさんの意志だろう。


礼服の上着を脱いで丁寧にたたんだ後、部屋の真ん中で大の字になる。

通夜振()()いで、空気の読めない大人達が騒いでいるのを聞きながら、眠りに落ちていった。



目が覚めたのは夜の十一時頃だった。

家の中が静かだったので控室に入ると、おばさんもおじさんも眠っていた。
葬儀を行う大座敷には誰もいない。


…………確か、通夜の日はろうそくと線香を絶やしたらいけないという風習があるんじゃなかったっけ?


仕方なく俺は座敷で一人、寝ずの番をすることにした。

上着をハンガーにかけて、シワにならないようにしてから、大座敷の壁を背に座る。


――――おばあちゃんの遺影(いえい)を眺めながら、考え事をしていた。

…………これからどうすればいいのか?

…………どうやって暮らしていこうか?


自分のことばかり考えているのは、死んだおばあちゃんに悪いような気がした。
しかし今後の自分の生活について考えてしまうのをどうしても止められなかった。


おばあちゃんが亡くなったことによって、この家からの仕送りは止められるだろう。
でも生活が苦しくなっても、居場所がないこの家にだけは戻ってくるのは嫌だった。

おばあちゃんが死んだ今、京都の家には俺の居場所はない。

俺の父親の妹にあたるおばさんは、俺のことを良く思ってなく、よく嫌がらせをされた。
おばさんの旦那(だんな)さん……おじさんは見て見ぬふり。
ふたりの従妹もおばさんと同じく、俺に対し辛く当たっていた。

今回、京都に帰るのも嫌だったが、おばあちゃんの葬儀なのだから仕方ない。



3度目のろうそくと線香の()()しを行い、再びじっとおばあちゃんの遺影を見る。

柔らかな笑みを浮かべたその顔を見ても、何も答えてくれなかった。


――――おばあちゃんはいない。
自分の味方は、もうどこにもいない。

…………完全に孤立(こりつ)無援(むえん)
これから先の人生ずっと……。


――――自分の居場所は、自分で作らなくちゃいけない。
――――自分の身は、自分で守らなくちゃいけない。

これからについて考えてながら、何度目かのろうそくと線香の交換をしたとき、いつしか微睡(まどろ)みに飲まれてしまった。



…………さっきからずっと誰かが謝っている。

暗い闇の中で自分の姿は見えない。
でも音だけが水面の波紋(はもん)に乗ったかのように漂って、自分のいる場所まで押し寄せる。

「……申し訳ないことをした」
「……本当にごめんなさい」
「……わたしは見抜けなかった」
「許してください、など……」
「どれだけ、言葉を重ねても……」
「ただひとりの人間として、(せい)(まっと)うできると……」
「このような後悔も意味がない。……この()に及んでは」
「わたしは間違っていた」
「…………確認すべきだった」


おばあちゃんの声に聞こえないこともないが、少し違う気もする。

「……だれ?」

暗闇に向かって問いかける。
だが、それには応じてくれない。


聞いているうちに、少し内容が変わってきたような感じがする。

「雨が降ったら土を踏みしめ…………」
「風が吹いたら目を()らし…………」
「月が出れば足音を消し…………」
(かみなり)に合わせ行動す…………」
平坦(へいたん)な道などない。……誰の人生にも」
「……いきなさい」
「……立ち向かいなさい」
「……自分を見つけなさい」
「……仲間を探しなさい」

これまで聞こえていた声が、すーっ、と遠のいていく。

「――――いきなさい、啓吾(けいご)!」


耳元で、自分の名前を呼ばれた気がして、目を開けた。

視線の先にあるのは畳だ。
どうやら眠っていたらしい。

ジジっという音を聞いて、音が鳴った方に目を向けた。

……マズい。ロウソクが今にも消えそうだ。


立ち上がって、ロウソクと線香の継ぎ足しを急いでする。
どうやら火を消さずに済んだようだ。

もといた場所に戻ろうとして、ふと遺影に振り返った。

そこにあるのは()りし日のおばあちゃんだ。
頭の中にさっき言われた最後の言葉が残っていた。


『――――いきなさい、啓吾』

『行け』とは、どこに行けばいいのか?
遺影に質問を投げかけても、返ってはこない。

しょうがないのでさっきまで座っていた場所で、また自分のこれからの生活について考え始めた。


それから何度ロウソクと線香の交換をしただろうか?
睡魔(すいま)と闘っているとすずめが鳴き出し、少しずつ明るくなってくるのを感じた。




マイクロバスで火葬場に向かう。

(わか)(ばな)(ひつぎ)に入れるときにも俺は泣けなかった。
従兄たちが泣いているにもかかわらず、俺は泣くことができなかった。

自分の心に()いているのは、とてつもない大きな穴だ。
俺はその穴を前にして、立ちすくんでいる。


皆が待合室で待機しているあいだ、一人で火葬場から出て、駐車場から(くも)り空を見上げた。

最後のお別れを言いにきたつもりだった。
でも、この新しい建物の火葬場には煙突(えんとつ)はない。


火葬場から出るときに自販機でタバコを買った。
…………なんで、そんなもの買ったのか自分でもよくわからない。


ぽっかり空いた心の隙間(すきま)を埋めたかったのだろうか?

何かの(なぐさ)めになると思ったのだろうか?

理由のわからない自傷(じしょう)行為のようなものなのだろうか?


本当なら、煙突から出る煙に最後のお別れを言いながら、タバコに火をつけるつもりだった。

…………しかし、それも叶わないようだ。


生まれて初めてタバコをくわえ、ライターを取り出す。
くわえていたタバコに火を点けようとしたその時、顔に冷たいものが当たった。

火を点けようとして見ていた、タバコの先にもポツリと当たり()みを作る。

――――雨だ。


すぐに雨は強くなって、くわえていたタバコは()れて、駄目になってしまう。


火葬場に戻ろうとした時、通り雨だったのか。すぐに雨は小降りになった。
見上げた空の向こうには小さな虹がかかっている。

「何だよ、ばあちゃん……………」

…………タバコは吸うなと、死んでも俺の体の心配をするのか?


泣けなかった俺の目からあふれてくるものを感じた。

(ほほ)を伝うものを払うことなく、見上げた虹に最後のお別れを言った。









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