第43話 世界の意思

文字数 5,609文字




撃たれた足を引きずり、私は爆発のあった保健室にたどり着いた。


保健室へ先に到着していた九条(くじょう)君は、尻餅(しりもち)をついた状態で笑っていた。
一瞬、気が触れたのかと思った。

でも私が声をかけると、九条君は意外にしっかりしていた。


結局、治療道具は手に入らなかった。

保健室だった場所は瓦礫(がれき)の山で、建物が崩落するかもしれない。
その中で探し物をするのは危険だと判断した。


私たちは一旦、校舎から外に出た。
傷ついた身体を(きし)ませるように、来客用駐車場となるアスファルトを歩いていく。


駐車場の左手にそびえるのは、爆発のあった北棟だ。
駐車されていた車の上には、コンクリートとガラスが降り注いでいた。

爆風で飛ばされたのか、65点と書かれた答案用紙が枯れ葉のように落ちている。


ときどき思い出したように硬質な音が聞こえるのは、割れた窓ガラスが床に落ちる音だろう。


何も話し合わなかったが、二人とも行きたいと思っていた場所は同じだったようだ。

昇降口からふたたび校舎に入り、その隣の学食まで歩いた。


廊下で一度止まった九条君が、学食の入口を確認する。
ワイヤーのようなものはないようだ。

それから九条君が、学食に入っていった。


現実世界で、お弁当派の私が学食に来ることはない。
だから学食に入るのはこれが初めて……


昼休みが終わってすぐの、5限目の学食に人はいなかったらしい。
……銃は落ちていない。

テーブルはまだ汚れているが、その上に食器が残っていることはない。

すみっこの食券販売機は、客が来ないことを知らずにじっと待っている。


九条君はそのまま調理場に入っていった。
私は調理場とは反対にある、学食後方の購買部に向かう。

売り場に残っているのは、あんぱん、ジャムパン、クリームパン、人気のないパンばかり……
総菜(そうざい)パンのようなものは売り切れてしまったらしい。


唯一、美味しそうだなと思うのは、ひとつだけあるメロンパン……


パック牛乳なんかが入っていたはずの、小さな冷蔵庫のなかも空っぽだ。


購買部の中に入り、戸棚の引き出しを開けてみる。

小銭を数えるためのコインカウンターやシャーペン、マジック、画鋲(がびょう)やハサミといったものがでてきた。


治療に使えそうなものはなにもない。
ハサミとセロハンテープを取り出して戸棚を閉める。


うしろを振り返ると、こちらにやってきていた九条君が残り物のパンを物色(ぶっしょく)していた。

「調理場には、なにかあった?」

「残り物のしゃけの切り身と千切りキャベツ。ほうれん草の味噌(みそ)()えが少しと、味噌汁とご飯が少々。全部合わせても2食分にはならない」

「……それだけしかなかったの?」

「残り物はそれだけだな。学食みたいなところは民間が委託(いたく)されてやってんだろ? 大量に残っていたら、経営を危ぶむところだな」


…………私の頭の中に、暗雲(あんうん)が立ち込める。

「えっと、調理前の食材は、たくさんあったってこと?」

「いや、切り干し大根は少しあったけど…… おそらくこういう学食って、おかずなんかは別のところで一括(いっかつ)で作ってるんじゃない? その方がコストかからなそうだし。ここでやってるのは盛り付けだけじゃないかと……」


私は平台に置かれたパンを、まじまじと見る。

「ちょっと、確認したいんだけど……」
「なに?」

田久井(たくい)は倒したけど、私たちはまだ現実世界に帰れていないわよね。これって私とあなたとの間で戦闘が行われていると、この世界が勘違いしているってことでいいの?」

「俺はそうだと考えてる。戦闘継続中と判断されているから、現実には戻れていない。ひょっとしたら、このままあと数日、学校から出れないのかもしれない」


前回、九条君と戦った時……

戦場となった(つか)(がはら)市から帰って来れたのは、戦闘が始まってから6日後ぐらいだったはず……


学食内にある時計を見た。
19時を過ぎたところ……

こっちの世界に来たのは5限目だから…………


「……前回と同じだとしたら、あと5日と18時間ほど閉じ込められるのかもな……」

ポリ袋にパンを詰め始めた九条君が、先回りしてそう話した。


学食のテーブルに戻り、椅子に座った九条君の背中に回る。

弾丸は九条君の右肩を貫通したようだった。
ワイシャツの背の部分も、黒く血で染まっている。


「真っ黒になったワイシャツは、ハサミで切るわよ……」
「…………お願いします」

ワイシャツと、その下のロングTシャツをハサミで()く。

切り取ったロングTシャツを近くの水道で濡らし、傷口以外の身体に付いた黒い血を()き取ってゆく。


「ねえ、右肩の上の部分にも(かす)り傷があるんだけど。あと右の二の腕にも…… 他にはどこか傷口はないの?」
「あと…… 痛いのは、( )脇腹(わきばら)の掠り傷かな?」


のぞきこむように、脇腹を見てみる。


…………掠り傷のように見えない。

弾丸が体の少し内側を貫通したが、その衝撃で皮膚が裂けたような感じになってる。

「これ……掠り傷じゃないわよ。掠っているというより、えぐれてるわ」

「うわっ、痛いからその辺でやめといて。掠り傷ってことにしておこう」


右肩は出血が少なくなりつつあるのが、(さいわ)いだった。

ガーゼや包帯はないので、ロングTシャツの切れ端をセロハンテープで傷口に貼る。

その上から私のニーソックスを包帯のようにして巻き始める。


「…………田久井の置き土産(みやげ)は保健室の爆発物だけじゃなくって、食糧不足もそうだったってことね……」

「まあ、田久井自身は死ぬつもりはなかったはずだから、自分の死後のことまで考えてなかったと俺は思うけど……」

「でも結果として、私たちの食糧はテーブルの上のパンだけなんですが……」


それを聞いて、九条君は少し笑ってから話す。

「食糧はまだあると、俺は思っている。教室に誰か一人は、弁当を食べ残したやつがいるはず…… 生徒の教室から1つずつ弁当を集めて、さらに教職員の分も集めれば、食べ残しの弁当は、教室の数と同じ30個前後になるはず…… 少なく見積もってそれだけあるのだから、6日間は食い(つな)げられる」

「誰かの食べ残しを、私に食べろというの?」
餓死(がし)するよりマシじゃないか?」

「餓死しそうになったら、あなたのすねに塩を振って、かじるわ」
「それは痛そうだから、マジ勘弁(かんべん)……」


二人して死んでたことを考えると、この程度の傷は蚊に刺されたようなもの……
そう、九条君が言ってた。


九条君は今、笑っている。


…………でもこうして治療すると、とても大したことない傷とは思えなかった。




俺の治療が終わった後、もう一度河西の太ももの傷を()ようと提案した。

だが河西はさきに食事にしたいというので、そうすることにする。


とりあえず今回は購買のパンで簡単に済ませることにした。

テーブルの真ん中に、持ってきたパンで山をつくる。
数にして8つほどだろうか…………


「ちょっと、こんなに積んでも食べられないし、食べたらあとで食料難になるわよ」

「全部食べなきゃいいだろ。それに戦場では食べられるときに食べとくのが鉄則だと思ったんだけど…… 次、いつ食べられるかわからないし……」


パンの山をかき分け、中からメロンパンを引き抜く。
それにかぶりつくと、なんというか湿気を含んだような視線を俺は感じた。

河西がもの欲しそうな眼で俺を(にら)んでいる。

「……なに?」
「……メロンパン、それひとつだけなんですけど……」


しばらくの間……
エサをはさんで睨み合う二匹のイヌみたいになったあと、俺は長く息を吐いた。

「わかった、わかったよ……」


メロンパンを半分に割って、口をつけてない方を渡そうとした。

でも口をつけてない方は、包帯を巻いた左手で持ってしまっていたため、俺の黒い血がついてしまった。


どっちを河西に渡そうかと両手を見比べる。

すると、かじった跡のついた右手のメロンパンを河西がひったくった。

「いや、そっちは俺の歯形が付いてるけど……」

「その部分だけ食べなきゃいいでしょ。血がついている方よりマシよ」


そう言って、河西はメロンパンを食べ始める。


メロンパン1つで、急に険悪な雰囲気になった。

…………食べ物って怖い。


しばらく二人、無言で食事を続ける。


「……戦場では食べれるときに食べとくって、私たち以外の人間がこの学校にいると、あなたはまだ考えているの?」
「可能性はゼロではないと思ってる」

「保健室の爆発があっても出てこない人間なら、ノーマークでいいんじゃない?」

「あれだけの爆発で出てこないヤツなら、それは警戒すべき人物だと思う。極端な臆病(おくびょう)者か、戦場慣れした人間か、どちらかだ」


俺は2つ目のクリームパンの袋を開ける。


別の人間が見たら、俺たち二人はリラックスしているように見えるのかもしれない。

でも、テーブル上のパンの山……
その両サイドには河西のアサルトライフルと、俺のサブマシンガンが載っている。

サブマシンガンは職員室で拾った、ラドムという銃器メーカーの、PM-98なる名前の銃だ。


テーブル上の物々しさから考えて、河西もなんだかんだ言って、警戒はしているのだと思う。


――――窓の外に目を向ける。

時間は19時半を過ぎたところ……
4月のこの時間、普通だと外は真っ暗になっているはず。

だが視線の先では、日光はさんさんと降り注いでいる。


さっき河西には、あと5日と18時間ここにいることになるかも……と話した。

でも、本当にこの世界が6日後に閉じるのかは、わからない。

前回がそうだったから、今回も同じとは限らないからだ。


…………もっと長い時間を要するのだとすると、どうなるのだろう。


そう思うが、今の段階で、それを河西に話すのは気が引けた。


「…………これからの話をしたいんだけど」

そう俺が言うと、歯形の部分をちぎった後、メロンパンの残りの部分を頬張(ほおば)っている河西が、俺に目を向けた。

「もう一度、保健室に行こう」
「……どうして?」
鎮痛(ちんつう)剤がほしいから」


河西は手元のメロンパンに視線を落とす。

「ペシャンコになるのを覚悟で行くってこと?」

「……保健室の上の教室は床が抜けている。先にその2階の教室へ回り、落ちそうなものをあらかた落とした後、保健室で探し物をする」

「保健室がある北棟自体に、倒壊の危険があると思うけど……?」

「わかってる。それでも鎮痛剤は欲しい……」


欠片(かけら)を口に放り込んだあと、河西はパンの山からあんぱんを取り出した。

「……わかったわ。保健室に行きましょう」
「それと、教室を回って弁当を集めよう」

「…………本当に残り物を食べるの?」

「食べる食べないの判断はあとにしよう。弁当は足が早い。腐ってからでは、その判断もできないことになる。幸い、ここの調理場の業務用冷蔵庫は生きている。集めた弁当はそこに入れておこう」


俺がクリームパンを食べたのは久しぶりな気がする。
口の中に甘味がいっぱい広がって、かなり旨い。

限られた食糧という状況じゃないと、クリームパンの美味しさに気づかなかったのかもしれない。


「だったら弁当を集めながら、私たち以外の人間がいるのかどうかも確認したほうがいいのかもね」

「…………そうだな。それと…… ついさっき新しい(わな)を思いついた」

「あなた、よくそんなにポンポンと罠を思いつくわね。ほめ言葉の前に、(あき)れるんだけど……」

「今回は家庭科室に仕掛けたような即死性のものじゃなくて、もっと簡単で、それでいて確実な罠なんだけど……」


河西は俺の顔をじーっと見た後、あんぱんを食べるのに集中し始めた。



「…………わかったわ。確かに何もしな――――」


河西の話が、急に途切れた。
正確にいうと()めさせられた。


――――ドンッ、と音が鳴ったかのように、体に衝撃が走る。


テーブルに(ひじ)をついていた状態から、無理やり上半身がテーブルに押さえつけられる。

俺は胸を、(したた)かにテーブルの上に打ちつけた。


――――突然、重力が何倍にもなったかのようだ。

一体、何が起こった?


そんな思考すら許さないとばかりに、さらに強く体が上から押さえつけられる。


腕全体を使って体を起こそうとする。
しかしテーブルに押し付けられた顔を、わずかに動かすのがやっと…………

視線の先には同じように、河西が(ほほ)をテーブルから起こそうと必死になっているのが見える。


くそっ、なんだこれ…………
この世界でこんなことは初めてだ。


もがいていると、視界の端にテーブルの上に広がる黒い液体が映る。


血……なのか?

出血しているのは包帯を巻いた左手のようだ。


急速に傷口が開いたらしい左手から、黒い血がテーブルに広がる。

その液体金属のような黒い水たまりから、カゲロウが立つように血が蒸発しようとしている。


出血箇所は左手だけではなく、さっき治療してもらった右肩も同じことが起こっているようだ。


――――――なんなんだ?

このまま死ぬのか?


ここまで必死になって生き残ったのに……
それなのに……


こんなわけのわからない終わり方…………


――――こんな理不尽。


この世界はどこまで不条理なんだ。



死を予感しながら、少しずつ腕を河西の方に伸ばす。
ようやく手を握り、呼びかけた。

「かっ、河さ……」


そう言って手を強く握った瞬間、閃光が眼を焼いた。



次の瞬間、苦しくなった呼吸を取り戻すかのように荒く息をする。

空気が肺に届いて、息苦しさから解放され始めると、周りのものが少しずつ見えてきた。


水色の服を着た男の人が、俺の顔を見てなにやら叫んでいる。
聴覚が少しずつ戻ってきた……


「……………。……ょうさん、わかりますか? 九条( )啓吾(けいご)さん」

「……脈拍128、呼吸31……、……」


ぼんやりした頭で周りを見る。

何やらごちゃごちゃと色んなものが置いてある。


「救急車が通ります。ご注意下さい。救急車が通ります……………」


聞き覚えのある女性の声だ。

……救急車に乗っているのか?


…………河西は?

…………どうなっている?


なにもわからない――――――


一度目覚めたはずの意識が、濃い霧の中で再び遠くに行こうとしている。

(あらが)えず、そのままゆっくりと目を閉じた。


「九条さん、わかりますか? 九条啓吾さん。九――――、…………」


男の人が、まだ俺を呼んでいる…………











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