第45話 血を辿るハイエナ

文字数 6,205文字




病院正面玄関にある、サーチライトが(はな)たれている噴水。
そのそばを、人影が通り過ぎようとしている。


それを病室の窓ガラス越しに見ながら、俺はスマホの通話ボタンをタップした。

電話が鳴っていることに気がついたのか……
その人影が立ち止まり、電話に出る。

「今日は見舞いに来てくれて、ありがとな……」
「ええ。それじゃまた学校で……」


電話越しの河西(かさい)にわかるように、俺は病室から大きく手を振った。

「…………また学校でな」


噴水そばの河西が、小さく手を振る。

電話を切った後、河西は病院前の車道へ出るようにして見えなくなった。


俺は河西のことを考えながら、自分の病室を出る。
そして自販機のある地下に行くために、エレベーターの方へ足を向けた。


消灯時間をとうに過ぎた病院内は、最低限の明かりのみが(とも)っているといった感じだ。

たまに見かける、緑の非常灯が頼もしい。


薄暗い廊下を、明かりを求めて街灯(がいとう)に向かう羽虫(はむし)のように、俺は地下1階の売店の前までやって来た。

売店の入口にはシャッターが閉まっている。
営業時間は21時までらしい。

これなら21時以降の客を見込んで、(やみ)営業も可能なのでは……
そう思ってしまう。


売店は閉まっていたが、そばにある自販機はダンジョンで見つけた宝箱のように光っていた。

だがペットボトル飲料の自販機はない。
目の前にあるのは紙パックの自販機だけだ。

戦場から帰還したご褒美(ほうび)に、一晩中ごくごくと飲みたい俺には物足りない。

パックジュースでは量的コスパの悪さを感じるが、仕方がない。
欲しい物から順に、自販機のボタンを押していくことにした。


抱えきれる限界までパックジュースを買った後、自室に帰るためエレベーターに乗った。

エレベーターは上昇を始めて、すぐに軽快な音を立てる。
どうやら1階で停まるようだ。


エレベータードアが開いたところは、1階の会計などを行なう場所なのだろう。
暗がりの中に、待合用の椅子がたくさんある。

そしてエレベーターからの光がぼんやりと当たる場所に、男性が立っていた。

俺と同じ薄緑色の病衣を着て、巾着(きんちゃく)袋を持っている。

反対の手には、点滴を()るすためのスタンドを持っていた。


…………病院慣れした感じがする。

なので、俺は長期入院の人なのかなと思った。


エレベーター内に入ってきた男性に(たず)ねる。

「何階ですか?」
「…………5階で……」

どうやら俺と同じ階らしい。

大きなマスクをした男性は、最低限の会話のみで意思を伝えてくる。

俺が抱えているパックジュースに目を向けたが、男性は何も聞いてこなかった。


目的の階にエレベーターが到着した。
男性が手で、お先にどうぞと促したため、俺は一礼して降りる。


だが先を促したにもかかわらず、ドアの外へ同時に向かおうとするスリッパの音で、俺は振り返った。


―――――痛覚が脳を駆け巡る。

棒のようなもので、首元を殴られた感じがした。


エレベーターからの明かりが当たる廊下で、俺は横倒しになる。

抱えていたパックジュースは、すべて床に落としてしまった。


後ろにいた男は何事もなかったように、スリッパの音を立て、去っていった。


冷たい廊下に頬をつけたまま……動けなくなる。


――――視界が揺れている。
目を開けていられない。

時々思い出したように、両足をはさまれるような感覚があるのは、エレベーターがドアを閉めようとする動作だと、かろうじてわかった。


しばらくすると、スリッパの音と一緒に、車輪がついたものを動かすような音がした。

…………看護師かもしれない。

助かったのか?


しゃべることもできず、倒れたままの俺の目の前で、車輪が停まる。

「…………よいしょっと……」

小さな掛け声と同時に、俺は持ち上げられ、なにかに載せられた。

荷物のような扱いで台に載せられ、その台は暗い廊下を移動し始めた。


ナースステーションのある場所で一度停まり、また台は動き出す。
そして迷うことなく、俺の病室までやってくる。

載っている台ごと病室に入り、転がされるようにベッドに降ろされた。


ベッドの横にあるのは、ストレッチャーのようだ。

ストレッチャーがベッドから離されると、エレベーターで見た男が間近にやって来た。


九条(くじょう)君…… 僕のことはわかるかな?」

男がマスクをあごまで下げて、顔を(さら)した。

…………見たことある。

だが、名前がでてこない。

「そっか、君は今しゃべれないのかな…… ああ……まばたきはできるんだね。じゃあ、『はい』は、まばたきを一回。『いいえ』は、まばたき2回で会話しようか…… ゆっくりでいいよ」


…………気分が悪い、吐きそうだ。

だがトイレに行くことは許されないみたいだ。


「じゃあ、もう一度聞くよ。僕のことはわかるかな?」

仕方なく、まばたきを2回した。

「あれ…… 君が葬式で実家に帰っていたのは知っている。でも僕の授業を一度受けているはずだよね。今日は自習にしてもらったけど……」

今日は自習…………

5限目の化学が自習だったはずだ。


男が巾着袋の中から何かを取り出した。
それを俺の肩に押し当てる。

部屋全体が青白く光ると同時に、俺は短く悲鳴を上げた。


「最近のバッテリー性能って日進(にっしん)月歩(げっぽ)だよね。今のが(じゃく)。テーザーガンの24倍の威力だよ」

俺の目の前で、男はスタンガンを見せつけた。

それはつい数時間ほど前、教壇で対峙(たいじ)した田久井(たくい)が持っていたものと同じ外観だった。

「どうだい? 気つけになったかい? 僕が設計したスタンガンなんだけど。これねぇ……出力を(きょう)にして他の人間に試したんだけど、その人、泡ふいて倒れちゃってねぇ……」

「てめぇ、井川(いがわ)……」

「そうそう、やっと思い出してくれたね。化学教師の井川だよ。生徒に名前を忘れられるなんて、悲しくなるじゃないか?」

俺の顔に近づき、目を細くして笑っている。


「…………何しに来やがった?」

「何しにって、田久井君が殺されてしまって学校内のパワーバランスが崩れたのでね。それを正しに来たってところだよ。でも、その前に聞かせてくれる? どうやってあの……田久井君の爆弾から逃れたんだい? アレ、半端(はんぱ)ない威力だったでしょ?」

再度、俺に顔を近づける。

タバコを吸う人間なのか……
わずかに口からタバコの臭いがした。


「う~ん、もうちょっと気つけが必要かな……?」

再び、スタンガンを俺に近づける。


だが次の瞬間――――

悲鳴を上げたのは、井川の方だった。


ベッドから後ずさり、井川は尻餅をつく。

…………暗い室内でも見える。

スリッパが脱げた左足の甲に、小振(こぶ)りのナイフが突き立っていた。


ベッドの下から、ごそごそと人が()い出してくる……

ベッド脇に立ったのは、両手にナイフを持った河西だ。




目の前で足首を握って倒れている井川を確認した後、ちらっと私は九条君を見た。

かなり具合が悪そうにみえる。

「九条君に何をしたの?」
「ちょっと待って、河西さん。君はさっき病院の敷地から出て行ったよね?」

それに応えず、目の前の男を(にら)みつける。


…………半信半疑だった。

田久井が使った爆発物は化学準備室の薬品庫に隠してあったかもしれない。

だとしたら、数学教師の田久井と化学教師は、共闘関係なのではないだろうか?

ここまでは、その可能性はあると信じることはできた。


しかし…………

田久井の死を知ったもう1人が、今晩中に動き出すかもしれない……

なぜなら戦闘が終わり、私たちがそれぞれ普段の生活に戻ってからより、病院にいる間に襲ったほうが急襲は成功しやすいと考えられるから――――

その九条君の言葉は全く理解できなかった。


でも、私は九条君の提案に乗ることにした。

(しゅう)バスはとっくに行ってしまっている。
そして自宅に歩いて帰るよりも、マシなような気がしたから……


そこからは九条君の(すじ)立てたフェイクの行動をなぞった。

わざわざ噴水横で九条君の病室に向け手を振るという、私にはあり得ない奇怪な行動も、食後のデザートのように()えた。

でも結果、井川はそれを見ていたということらしい。


「私がどうして病院にいるのか…… これから死ぬ人間に説明しても、意味がないでしょ?」

そう言い、給湯室のような場所から集めてきた両手のナイフを、私は握り直す。


「いいのか? ここは現実だぞ…… 人を殺せば死体が残る。死体に外傷(がいしょう)があれば、警察が動くことになるけど……」

チッ…… 
小さく舌打ちした。


そんな私を見て、井川が話を続ける。

「それにさっきも言ったけど、校内のパワーバランスが崩れてしまったので、それを安定させにきただけだよ。そもそも田久井君とは停戦協定は結んではいたけど、共闘はしていない。彼が死んでも僕に害がなければ、それで構わないということ…… むしろありがたいとすら思っている。田久井君の……あの爆殺という方法は、常々(つねづね)品がないと思っていたんだ」

………私たちと敵対するわけではない。

そう言いたいのだろうか?


しかし信用できない。

私はベッドに横になっている九条君のほうをチラッと見る。


その一瞬を突かれた――――

井川は背中に手を回し、ハンドガンをこちらに向ける。


どこに持っていたのか……

私に向けられたのはグロック。
……銃上部のスライドの形で、薄暗がりでも判別できる。


そして私が動けなくなったことをいいことに、井川は距離をとるために、座った状態で後退し始めた。

ナイフが刺さった足はそのままになっている。


「やれやれ、困った子達だよ……」


向こうの世界では、しょっちゅう目にする銃……
しかし井川が持っている物が本物なら、現実世界で見るのは初めてになる。

「……どうして現実世界なのに、銃を持ってるのよ? それとも東京マルイ?」

「……本物だよ。向こう側の世界には、君たちがまだ知らないことがあるということだよ」


数メートル距離を開けたところで、井川が壁についている手すりを使って、立ちあがった。

この距離ではナイフで突っ込んでも、一発は被弾するだろう。


ベッドに横になったままの九条君が、話に割って入ってきた。

「あんたに1つお願いがあるんだけど…… それを聞いてくれたら、これからさき……お互いの日常に干渉しないということで手打ちにしないか?」

「現状を掌握(しょうあく)しているのは、僕なんだけれど……」
「……いいのか? 一発でも撃てば看護師が飛んでくるぞ?」


井川が私にまっすぐ向けていた銃口を、床に降ろした。

「聞こうじゃないか、せっかくの生徒の頼みごとだしね……」

「俺たちは田久井が残していった例の爆発物の処理に苦慮(くりょ)している。もしできるなら、井川先生のほうでアレを解体してもらえないだろうか……?」

「ふっ、ふふっ…… こんなときだけ先生をつけるのはある意味、卑怯(ひきょう)ではないかな? でもまあ、頼みごとをする際に下手(したて)に出るのはごく普通のことかもしれないけど……」

「で、どうなんです? 先生……」

「あのおもちゃを作って、田久井君に渡したのは僕だよ。だから雷管を抜くことは造作もないこと……」


九条君は一度、咳払(せきばら)いをする。


「そう…… それはありがたいです。井川先生から私たちに何か要求はありますか?」

「僕は今の生活がそれなりに気に入っててね。今回動いたのは、君たちが鎌首(かまくび)をもたげる前に抑えておこうと思っただけ…… だから停戦合意ができれば、それでいいと思っている」


九条君が横になりながら、私に話しかける。

「…………河西は、停戦合意に関して異論はあるか?」
「……ない」

井川がすぐに会話に入ってきた。

「――ただし、間違って向こう側で顔を合わせた場合は、自動的に停戦は破棄されたものとしたい。それでいいかな?」

「……俺はそれで構わない」
「私もそれでいいわ……」


「…………他には? 何か話しておきたいことはあります?」

ベッドに横になっている九条君が、そう言って場を仕切る。

九条君が発言を促したため、井川が口を開いた。

「僕からもうひとつ…… 河西君、君の次回の中間考査…… 化学点数は27点だよ。どんなに頑張っても27点。理由は授業態度が悪いということで……」

「…………どうしてよ?」
「教師の足にナイフを突き立てるような子は、赤点に決まっている」


私がナイフを構えると、井川が銃口を向けた。

ベッドで寝ている九条君が割って入る。

「……ストップ。河西、中間考査の点数が命より大切というわけではないだろう? ここは譲っておけ……」

「でも、これは職権乱用でしょ?」

「河西の人生にはまったく影響のないことのはずだ。推薦入試でなくても大学に入れるだろ?」


私がナイフを下ろすと、井川も銃口を下ろした。


「俺からもひとつあるんだけど…… ここでの停戦合意以外のことは、無かったことにしたい。なので、先生の左足から流れる鮮血(せんけつ)という名のクッキーが、病院の廊下に点々と落ちるのは避けたい。そこで提案なんですが……」

九条君は、ベッド脇のゴミ箱を井川のほうに滑らせた。

「ゴミ箱の内側を覆っているポリ袋を、足に巻いて帰ってもらえないですかね? ゴミ箱の中には、ごみは入れていないですし、そもそもそのポリ袋は俺が売店でもらってきたもの…… キレイなはずです……」


井川は少し前に進み、ごみ箱を持ち上げ裏返しにした。

ゴミが入っていないというのは嘘ではなかったようだ。

「……たしかに、僕がここに来たというのは誰にも知られたくはない。その提案に乗ろう」


井川がしゃがみ、左足にポリ袋を巻きつける。


「ちょっと聞きたいのだけれど…… 今晩、僕が病室に来ると予想したのはどっちなんだい?」

そう言って、私たちを見た。

しかしそんなことに応えるつもりは、私にはない。


「僕は教師でありながら、学校の成績が良い程度では、その人物の能力までは測れないといつも思っていたけど…… 君たちは、僕のその考えをも(しの)ぐ、規格(きかく)(がい)ということなのかな……?」


ポリ袋の持ち手を足首に縛り付けて、井川は病室のスライドドアまで移動する。

腰全体に巻いてあるように見える黒いコルセットに、井川はグロックを装着する。

それから足を引きずるようにして、井川は病室から出て行った。


九条君は気分が悪そうに、ベッドに寝ていた状態から腰掛けるように起きた。

そして井川が持っていたと見られるスタンガンを、ベッドの下から取り出し、サイドテーブルの中に押し込む。

「…………規格外だって」

「そんな訳ないだろ…… そもそも井川の持っている物差しはアテにならない。そんなことより河西…… ゴミ箱を持ってきてくれ」


少し離れたところにある、井川がポリ袋を取り出したゴミ箱を手にして、九条君に渡す。

「どうしてそんなに気分が悪そうなのよ?」

「エレベーターのところで、首の根元を棒のようなもの殴られた。さっきからずっと眩暈(めまい)がとまらない」

「化学教師がやってくるかもしれないことがわかっていて、どうして殴られたのよ?」
「完璧に()けてたんだ…… 入院患者に……」

そう言えば、井川はこの病院専用の病衣を着ていた。


九条君は布団の中から、財布を取り出した。
そして中身を見ずに私に渡す。

「1万6千円入っている。これだけあればタクシーで帰れるだろ……」


そう言って、もう限界とばかりに、九条君はゴミ箱に嘔吐(おうと)した。

私は近くあったティッシュペーパーの箱を持ってきて、背中をさする。


「……ナースコール押したら?」

そう勧めると、九条君はゴミ箱を抱えて、ベッドから立ちあがった。


「トイレの個室にある、ナースコールのボタンを押す。時間を稼ぐから、河西はこのあとどうするか自分で決めてくれ」


ゴミ箱を抱えながらスライドドアを開け、九条君は病室を出て行った。












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