第26話 狭界上のプリマドンナ

文字数 6,190文字




けいれんしたように、背中がビクッと無意識に動く。
同時に、机がガタッと大きな音を立てた。

それで目が覚める。
でも机にうつ伏せで眠っていた私は、今の自分の行動が恥ずかしくて、すぐには顔を上げられない。


…………やってしまったと思った。
机に顔を伏せたまま、周りの反応を音だけで確認しようとする。

授業中なのか、音がしない。

注目されているかもしれないと思いながらも、机からゆっくり(ひたい)を上げた。


すぐに異常に気づく。
…………音がしない原因を理解した。

先生は教卓の上に教科書を広げて見ている。
黒板には何も書かれていない。

クラスメイトはノートや教科書を広げる途中で止まっている。
また別の生徒はシャーペンの芯を出そうとして、親指をペンに()えたまま、ピタリと腕を静止させていた。

クラスの全員がフリーズしている。

…………つまり、ここはもう一つの世界。

――――最悪だ。


さっきまで眠っていた頭をフル回転させる。
しばらくして、自分がこの世界に来てしまった原因に思い至った。


椅子から立ち上がり、隣の3組に向かう。
3組の引き戸を開けると、このクラスの黒板には大きく自習と書かれていた。

3組の人たちは隣の人と話したり、雑誌を読んだり、思い思いの行動をしていたようだ。
でも……すべての人が静止していた。

これだけの生徒がいるのに、全く音がしない。


窓際の席に目をやる。

――――九条君は止まっていた。
前の席の人と楽しそうに話をしていたようで、そのまま固まっている。

ここでやっと自分の迂闊(うかつ)さを思い知り、頭から血が引いていくのを感じた。


この世界に引きずり込まれたのは、九条君と同時に眠ったことが原因ではないらしい。

もし九条君が今回の戦闘相手なら、彼もこの段階でフリーズせずに動いているはずだからだ。


――――この学校にはいないと思っていた、もう一人の刺客(しかく)…………



その時、目の前が真っ暗になり、ブラックアウトする。

じわじわと目の奥で光を感じることができるようになり、周りを見た。
戦闘場所への瞬間移動が起こったようだ。

立った状態だったので、すぐにしゃがむ。


………………教室。


……それも見たことある。
自分の通っている学校のコンピューター室……に見える。

生徒が二人座ることができる、横に長く、天板(てんばん)が白い机。
それが教卓を前にして、窓側、中央、廊下側と3列で並んでいる。

教卓の後ろに見えるのは、教室の黒板ほどのサイズの大きなホワイトボード。

生徒が使う横長の机には、黒いノートパソコンが置いてある。
でもそのすべてが使われておらず、ディスプレイは閉じられている。

…………そもそもこの教室には人がいない。
この教室で授業は行われていなかったらしい。


私は生徒の机の最後尾、そのさらに後ろにある教室の空きスペースにしゃがんでいた。


教卓に向かって左側にある窓ガラスまで、しゃがんだまま歩き、私は外を見てみた。
見間違うはずがない、うちの学校の南グラウンドが見えた。


――――戦闘場所として選択されたのは、うちの学校?


私は戦場を選択できる時は、塚ヶ(つかがはら)市を選ぶようにしている。
自分のよく知っている場所で、広い戦場のほうが、追い詰められたとき逃げやすいから。


でも今回、敵が選んだのはうちの高校の敷地(しきち)……?

そうだとすると、敵はかなり狭い、逃げも隠れもできない場所を選んだことになる。


…………敵が塚ヶ原市を戦場に選んだ可能性も考えられる。

その場合でも、ものすごく低い確率だけど、学校内から学校内へ瞬間移動することはあると思う。
学校も塚ヶ原市内の場所に含まれるから……


だけど、そんな低い確率……考慮に入れる必要はないだろう。

広い塚ヶ原市で、瞬間移動先なんていくらでもあるのに、もう一度学校に移動するなんて、そんなことはあり得ない。


――――こんな狭い空間を戦場に選ぶなんて。

…………よほど相手は戦闘に自信があるのだろうか?


手の平にじんわりと、汗がにじむのがわかった。



敵の意図はわからないけど、すぐに戦闘態勢に入らないと…………

この教室には人がいない。
人が武器に替わるこの世界のルールでは、この教室で武器を手に入れるのは不可能ということになる。


そう考えた時、床に重たいものが落ち、プラスチックが(こす)れるような音が、教室の外から聞こえた。

――――敵が武器の選択を行ったと、直感で思った。



私たちの学校のコンピューター室は、特別教室棟2階にある。
廊下の左端から2番目に位置する場所の教室となる。


私は廊下に出るために、教卓側の出入口となる引き戸まで進んだ。

そっと……しゃがんだ状態で、戸を開ける。
すきまからは、上と下に向かう階段が見えた。


少し顔を出して、右を見ると特別教室棟の2階廊下が見える。
シンと静まり返った廊下。誰もいない。

廊下に武器は落ちていない。

次に左を見る。こちらにも誰もいない。
少し行った先、廊下の突きあたりには別の教室の入口の引き戸がある。

その左端の教室に向かうことにした。
その教室の方から、武器が落ちる音がしたはず……


引き戸を開け、足音を殺し、屈みながら隣の教室へ――――


音を立てず入ったところは、視聴覚(しちょうかく)室のようだった。

――――初めて入る教室。
入学して間もない私には、この学校でまだ知らない場所は多い。


何の授業をしていたのだろう……

カーテンを閉めて、照明を落とした室内は真っ暗になっている。
暗い中、プロジェクターからの光が、ホワイトボード前の天井から伸びたスクリーンに映っていた。

スクリーンには何も映し出されていない。
映っているのは光だけ……


暗い環境に目が慣れてくると、生徒が替わったと思う銃があちこちに落ちているのがわかった。

近くのハンドガンを背中とスカートのあいだに差し込み、それからアサルトライフルを手にした。


馴染(なじ)みの機械仕掛けの女性の声で、銃のスペックが頭に響く。

CZUB  CZ P―09  ハンドガン  重量880グラム
装弾数19+1発  弾薬9mm×19

FBラドム  MSBS―K  アサルトライフル  重量3720グラム
装弾数30発  弾薬5.56mm×45



武装して、すぐに視聴覚室を出ることにした。
この教室は建物の構造上、戦いにくい場所に存在する。

…………なので、早くこの教室から出たかった。


うちの学校は漢字の『()』の字のようになっている。

一番上の横棒が北棟、真ん中は(なか)棟、一番下の横棒は特別教室棟。
そして左の縦棒が西側連絡通路、右の縦棒は東側連絡通路となる。

そして、すべての横棒は左右に教室一つ分だけ、縦棒から横にでっぱっている。


今、私がいる視聴覚室は左の縦棒と一番下の横棒が交わるところに位置している教室。
教室一つ分の、でっぱりの場所だ。

横に飛び出た位置の教室なので、廊下への出入口は1つしかない。
その1つしかない出入口を敵に押さえられたら、いきなり窮地(きゅうち)(おちい)ることになる。

その時、この教室から逃げるためには、2階の窓から飛び降りるという暴挙(ぼうきょ)に出るしかなくなる。


だから私としては、この視聴覚室に長居はしたくはない。


視聴覚室の引き戸の前でしゃがみ、その戸をわずかに開けて、片目だけで廊下の様子を見た。

――――誰もいない。
さっきコンピューター室で見た時と状況は変わってない。


(はし)に位置する、この視聴覚室からは特別教室棟の2階廊下を一望できる。

廊下の右側には、その他の様々な特別教室がある。
左側は、窓ガラスが並んでいて光が差し込んでいる。

窓ガラス並びの手前には、さっきコンピューター室の引き戸の前で確認した階段がある。
そして、さらに階段の手前には、左の縦棒、西側連絡通路がある。


…………どう進むべきか考える。
その結果、階段で最上階の3階へ上がり、それから西側連絡通路を進み、中棟に向かうことにした。

西側連絡通路は左右が窓ガラスに囲まれた廊下になる。
でも最上階まで上がり、窓ガラスの外に身をさらさないように屈めば、敵に見つからずに進むことができるだろう。

最上階ではなく下の階に位置する連絡通路を進むと、上からの撃ち下ろしの銃撃があるかもしれない。


――――すぐに行動に移した。

引き戸を出て少し進み、西側連絡通路と交わるところでしゃがむ。
わずかに顔を出し、左に伸びる中棟への2階の連絡通路を見た。

廊下は心地のいい日が差し込み、空気中に(ほこり)が舞っているのが見える。


目の前の西側連絡通路が、中棟と交わる場所は少し暗くなっている。
でも、中棟を越えてさらに先にある北棟までは、基本的に明るい廊下が続いている。

廊下の終点となる北棟まで、目算(もくさん)で50メートル以上はあるのだろうか。
長く続く廊下には、今のところ誰もいないようだった。


連絡通路は渡り廊下のような役割なので、遮蔽物(しゃへいぶつ)といえるものがほとんどない。

中棟と交わる暗くなっている場所なら、廊下の壁で弾丸を避けられるだろう。
でも、それ以外の場所は相手の弾丸を避けようがない。

…………連絡通路で銃撃戦はしたくない。


そう考えてから、思い切って走った。
目の前の連絡通路を横切って、そのさきの薄暗い階段に足をかけた。

階段は敵を警戒しにくい。
背中で階段の壁を(こす)るようにして上と下に注意しながら、急いであがる。



ようやく3階、最上階までやってきた。
3階の特別教室前廊下にも、中棟へ続く3階の西側連絡通路にも誰もいない。


すぐに当初の予定通り、西側連絡通路を屈んで走りだした。
なるべく窓枠の下に隠れるようにして……


アサルトライフルを両手で持ちながらだと走りにくい。
かと言って、ここで銃を捨てるわけにはいかない。


計画通りに物事が進んでいるので、別のことを考え始めた。

…………敵は上級生なのだろうか?
それとも自分と同じ一年生だろうか?

この学校には生徒と教職員込みで、千人近くの人間がいるはず。
当然、生徒数の方が多いので、敵は自分と同じ生徒と判断したほうがいいと思うけど……


左右が窓ガラスになっている連絡通路を、小股で屈みながら走る。


――――と、いきなりフルオートの銃声がした。
同時に、自分の周りの窓ガラスが一斉に割れる。

…………静かな学校に似つかわしくない銃声。


私は慌てて膝を突き、廊下の途中でさらに小さくなった。
ニーソックスをはいていたおかげで、膝を摩擦(まさつ)することはなかった。


――――すぐに銃声は止んだ。

……あとから落ちるガラスが、床で硬質(こうしつ)な音を(かな)でる。

廊下の真ん中を走っていたおかげで、ガラスで体を切ることはなかった。
細かい破片は(かぶ)ってしまったけど…… 


…………銃声はいつ聞いても慣れるものじゃない。

屈んだまま、特別教室棟の方へ振り返る。
私のまわり数メートルにわたって、連絡通路の両側の窓が粉々になっていた。


――――ここにいては駄目だ。
廊下の途中で停まると、格好の(まと)になる。

恐怖を払い、立ちあがる。
被ったガラス片をそのままに、屈みながらより速く移動し始めた。


中棟に辿り着き、右側の壁に身を寄せる。

敵がもう一度発砲した。

しかし私の位置を把握していないのだろう。
今隠れている場所とは全く違う方向を撃っている。

被害に()うのは、廊下のガラスだけだ。


相手の銃声と割れる窓ガラスを見て、敵のある程度の位置がわかった。

――――特別教室棟、3階廊下。
階段を上ってすぐ廊下を確認した時は、誰もいなかったはずなのに……

…………敵から見ると、長方形の底辺から左の縦線に銃口を向けている、といった感じだろうか?


スカートのポケットから折りたたみ式の手鏡を取り出して、完全に壁に隠れた状態で、相手のいる位置をうかがう。

…………鏡に人影は映らない。
でも、特別教室棟3階の廊下、その窓ガラスが割れているのが見えた。

おそらく相手は自分のすぐ手前にある窓を、開けずに撃ったのだろう。


――――鏡を凝視(ぎょうし)する。


いた!

一瞬だけ見えた顔を見逃さなかった。
…………さっき、敵は自分と同じ生徒だと思った。

でも、違ったようだ。
あれは数学の教師。

…………確か名前は、田久井(たくい)先生だ。

――――敵である以上、もう先生という敬称(けいしょう)は必要ない。


黒っぽいスーツを着た田久井は、特別教室棟3階廊下を右の方へ……
こちらの方に向かって、屈みながら少しずつ移動している。

窓ガラス枠の下から、隠し切れていない肩が見える。


私は鏡をしまい、背にしている壁から離れて廊下の中心の方に移動した。
そこでライフルを構える。

セレクターレバーをフルオートにしてトリガーに指を掛け、じっと待った。


――――相手の姿が見える。
でも屈んでいるため、今は頭のてっぺんしか見えない。


…………敵が、完全に姿を現すまで待つ。


相手は移動して、2つの教室の間にある建物の支柱で、一旦休息をとったようだ。


私は左手で持っている、ライフルのハンドガードを少し持ち直す。

…………狙いを定め、呼吸を細く長く変化させていく。


柱から相手が顔をだそうとしているのが見える。
わずかに柱から顔を出し、再び隠れる。

そして今度は大胆に、両目でこちらを確認するために顔を出した。


狙い澄ませていた私は、相手の呼吸に合わせるようにトリガーを絞った。
周りのガラスを(ふる)わせる銃声に混じって、フルオートの弾丸が相手の左目に向かって飛んでいく。


向こうが気づくよりも先に、相手の手前にある廊下のガラスが割れたような気がした。

――――次の瞬間、敵の姿が見えなくなる。



――――――――手応えが感じられない。


自分の目の前にあるガラスと相手の手前にあるガラス。
その2枚のガラスによって、弾丸の軌道(きどう)が少し変わったような気がする。


――――と、相手は違う場所から頭を上げ、こちらへ撃ってきた。
私はすぐに左側の廊下の壁、遮蔽物に隠れる。


…………やっぱり当たっていなかった。

もう一度、ポケットから手鏡を取り出す。
すると、さっきまで敵がいた廊下のそばにある、教室に入るための引き戸が動くのが見える。


私は壁から身を乗り出し、動く引き戸に目がけて、トリガーを絞った。

廊下と教室との仕切りとなる薄い木造の壁なんか、弾丸は簡単に貫通する。
相手が教室に逃げ込んでも、貫通した弾丸は相手に命中するだろう。

教室に隠れたあとの敵を撃つつもりで、トリガーを引き続けた。


しかし途中で弾が()しくなり、私はまた壁に隠れる。
残弾はあと10発くらいだろうか……

また鏡を出し、相手の姿を確認した。

特別教室前廊下の窓ガラス下枠に、隠れ切れていない相手の体が左へ。
こちらから遠ざかるように東側連絡通路の方へ、相手が動くのが見える。


…………相手は教室に入るのをやめて、一旦引くみたいだ。

でも、敵の素早い動きを見るに、相手はほとんど無傷のように感じられた。


…………窓枠からわずかに見える姿を撃っても、当たらないだろう。
しょうがないと諦め、自分も新しいライフルを求めて移動することにした。


特別教室棟の方に振り返り、さっき自分が歩いてきた廊下をチラッと見た。

西側連絡通路の廊下には、足の踏み場がないほどにガラスが飛び散り、床の上でそれがキラキラ光っていた。

自分が隠れていた中棟に入ったところの廊下。
その周りの白い壁は、跳弾(ちょうだん)で表面が無残にも()げてしまい、灰色のコンクリートが()き出しになっている。

自分のよく知った場所がひどい様子になっているのを見て、心が少しチクリとした。


その有様を見ていると、なぜか最近見知った男子の顔が頭をよぎった。
私は自分の頭を小突(こづ)き、その映像を追い出した。

九条(くじょう)君はこない…………」

わかりやすいように、そう(つぶや)いてから、ライフルを探しに動き出した。












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