第21話 動かざる山、侵略す

文字数 5,323文字




…………罠を仕掛けるということは、待つことでもある。


格言(かくげん)ぽく、それっぽい言い訳を考えてはみたものの――――

要するに……(よわ)っちい俺は、正面から河西(かさい)に銃撃戦を仕掛けられないというだけだ。


…………だからこうやって、相手が罠にかかるのを待つしかない。


だが、自分の弱さを知っているということは重要なことだ。
これまで実際に行われた戦争で、彼我(ひが)の戦力差をしっかり把握しながら、死んでいった者のほうが少ないだろうと思う。


自分の弱さを知りつつ立ち向かった者は、後世(こうせい)、何と呼ばれるか……
…………言うまでもない。

――――そして俺は、その(たぐい)ではない。



…………どれだけ時間が経ったか。
持ってきた双眼鏡で、眼下(がんか)に伸びる直線道路を見ていた。

手にしている双眼鏡は、距離計のついている比較的値段の高いものだ。
俺には双眼鏡の()()しなんてわからない。

なので高価なものなら、それでいいだろうと持ってきた。


それをのぞいたときに見える、視界の下あたりにオレンジ色で表示されるのが距離のようだ。

自転車で走ってきた道路を手前から見ていく。
カラオケ店の近くに停車している、青い車に双眼鏡を合わせた。

オレンジ色の文字は、大体550mと表示された。
……大体というのは、一の位の表示がコロコロ変わって落ち着かないからだ。


その先の、俺が事故(じこ)った現場も見る。

――――事故現場には誰もいない。
派手なクラッシュ音だったにも関わらず、河西はまだ来ていないらしい。


確かパチンコ店から逃げる時、『どうせまたフェイクだ』と河西に言われている。
…………今回もフェイクだと思われているんだろうか?

今回は結構、我が身を犠牲にした仕掛けだと思うんだけど……


事故現場までの距離計の表示は1210mとなっている。

どう考えても、1200メートルもの距離を狙撃するなんて俺には無理だ。
仮に事故現場に河西がやってきたとしても、当たらないのならスルーしかない。

…………狙うなら、カラオケ店から手前の距離だろう。


もう一度、カラオケの店前を見る。

こうやって見ると、歩道や車道に落ちている銃が異質だ。
だが悲しいことに、それが気にならないほどに見慣れた景色になってしまっている。


――――双眼鏡を地面に置いて、考える。

あの事故跡がフェイクだとバレている場合、河西は山に登り、俺の後ろに回り込む可能性もある。
至近距離まで近づかれると、遠距離用のスナイパーライフルは使いづらいということになる。

自分の右側に寝かせてある、アサルトライフルの20式小銃。
それとハンドガンのベレッタ、P×4ストームに目を向けた。

…………20式にはショートスコープがついている。

最悪、山の中で戦う場合、これらを頼ることになる。



…………これまで何度もそうしてきたように、首に手を回して鞭打(むちう)ちの具合を確認した。
一時は本当に酷かったが、痛みはピークを過ぎて少しずつ良くなってきている。


…………もう事故なんて二度とごめんだ。
そう思いながら、俺は最後のカロリーメイトの箱を開けた。

()っすら紫色をしたグレープ味のカロリーメイトを口にくわえ、何気(なにげ)なく駅前の自分が作った事故現場に目をやった。

――――俺が事故った車に、ちらちらと黒っぽい影が点滅するように見える。
すぐに双眼鏡をたぐり寄せた。


………………人がいる。
あの制服はうちの学校の女子のもの――――

……間違いなく、河西だ。


――――自分のそばにある、スマホを手にした。

投げ捨てた自分のスマホの代わりに、休戦協定中にコーヒーショップのテーブルに置いてあった他人のスマホを拝借(はいしゃく)したのだ。


…………11時42分。
太陽が常に同じ位置にあるので、どの程度時間が経ったのかわかりづらい。

だが俺がこちらの世界に来てから5日か6日、経っただろうか……


河西は事故車を見ていたようだが、その運転席を確認した後、すぐに近くの車の陰に隠れた。

…………運転席に垂らした墨汁(ぼくじゅう)はもう乾いているだろう。
もちろん、運転席から続くアスファルトの墨汁も、(しか)りだ。


墨汁と知らない河西にとっては、事故が起こってから黒い血が乾くほどの時間が経っていることを意味している。

そして時間の経過を加味(かみ)するならば、事故で怪我をした人間はその過ぎた時間だけ遠くに逃げていることになる。


それだけ時間が過ぎているのに、アスファルト上の血痕(けっこん)辿(たど)る決断を河西はするだろうか?

――――この作戦は失敗かもしれない。



…………俺が追う立場なら、どう考えるだろう?

河西は事故を起こした。
…………怪我をしているらしい。

黒い血が乾いているところを見ると、事故から時間は経っている。

しかしまだ、俺が現実世界に戻れていないところを見ると、相手が事故で負ったのは致命傷ではない。


…………いや、もうすでに河西は死んでいる可能性もある。

なぜなら自分達以外の三人目がこの世界に来ているとすれば、そのもう一人の存在が邪魔をして、現実世界に戻れない場合もある。


また事故を起こしたのは河西ではなく、三人目の誰か……ということもあり得る。

今後の方針を決めるためにも、誰が事故を起こし、そしてその際に負った怪我がどの程度なのかを確認しなければ…………


しかしアスファルトに続く血の跡を追うのは、その先に罠があるような気もするので危険だ。

――――どうする?



そこまで考えた時…………

河西は隠れていた車のそばにある、レンガ地の雑居ビルに屈みながら入っていった。

しばらくして、最上階の窓ガラスが開け放たれる。
そこから河西が銃を構えるのが見えた。

銃口の向きは、俺のいる山の方ではなく、目の前の一直線に延びた道路に向けられている。
たぶん河西は、銃の照準器でアスファルトに落ちた血の跡がどこまで続いているのかを確認しているのだろう。

そしてその先に、罠があるのかを見ている…………


俺の方から見ると――――
アスファルト上の血痕……というか墨汁は、上り坂の道路の中央線のあたりを、右へ左へとふらふらした足取りで出血しながら歩いたように、点々と続いている。

そしてカラオケ店から400メートルほど、山に向かって進んだところで途切れている。
その途切れたところから、俺のいる山際まで150メートルほど。


河西がいる雑居ビルの窓から、どの程度墨汁を確認できるかはわからない。

…………でも、相手がこの血痕を辿ることは危険だと判断すると、この計画は破綻(はたん)する。
その時、俺は今いる場所を放棄し、別の作戦を考えなければならない。


河西の動向を見守る…………

相手の行動次第で、これまでの仕掛けが無駄になる。
喉が渇くので、俺はペットボトルの炭酸飲料を飲んだ。


しばらくして最上階の窓際にいた河西は姿を消し、一階のビル入り口の壁に姿を現した。
…………レンガ地の壁から、ちらちらと制服の(すそ)が見える程度だが。


――――河西はまだ動かない。
どう動くべきか考えているのだろうか?


こっちの世界に来て、もう五日は経っている。
…………正直、これ以上戦闘に備えた緊張状態は身が持たない。



――――(あきら)めて、次のプランを()るべきかもしれない。

ラストとなったカロリーメイトのスティックを口に入れ、包装紙と箱を丸めてポリ袋に入れる。

次の行動に移ろうとした時…………

――――河西が動く。


雑居ビルの入口に一番近い車道の車、そのトランクのそばに河西は隠れた。
そのあとすぐ俺から見て左車線にある車、そのヘッドライトあたりに河西は移る。

素早い動きで車に隠れつつ、河西は少しずつ俺のいる山の方に向かい始めた。

…………血痕を辿ることを決断したらしい。


黒い血は誰が流したものなのか、確認する必要を感じたのだろうか?

それとも休戦期間があったとはいえ、長期の戦闘に疲弊(ひへい)しているのは相手も同じということなのか?

どちらにしても思惑通りに事は進んだようだ。


とにかく今は、スコープを合わせたカラオケ店前まで河西が来るのを、ひたすら待つしかない。


少し張りのある河西の前髪が、まゆ毛の上で踊っている。

…………しかしその下の表情は険しい。

眉間(みけん)を寄せ、もともと大きいだろう眼は鋭く細められている。
獲物を狩る時の眼だ。


不意討ちを警戒しているだろうか…………
車道に停車している車に隠れながら後ろや横を視認しつつ、河西は墨汁の跡が残る道路を進んでくる。

――――綺麗だと思った。
河西自身の姿形もそうだが、行動に無駄がない。

その無駄のない行動を見ていると、相手の方が俺の罠に掛かっているのに、まるで追い詰められているのは俺なのではないかという錯覚に陥る。



…………もう少しで狙撃ポイントだ。

双眼鏡を置いて、スナイパーライフルの前に()せていた体を移動させる。

グリップを握り、ストック……肩当てをちょうど良い位置に持ってくる。
そして右頬(みぎほほ)をゆっくり、ストックに載せた。


一度、目を(つむ)って深く息を吐いてから、スコープをのぞく。


相手はまだカラオケ店より向こうにいた。
河西の姿がよく見える。

…………息遣(いきづか)いまでも感じられるくらいに。

急ではないが坂道を登ることになるので、河西はわずかに息を切らしているようだ。


スコープをのぞくと見える線、十字のレティクルの真ん中を河西の胸に合わせる。


一発必中だ。
二発目以降は警戒されて当たらないと思った方がいい。

スナイパーライフルなんて扱ったことはない。
だが、自分ならやれる。

…………そう強く思った。


河西はカラオケ店の前にたどり着こうとしていた。

もう一つ手前の車の陰に移ると、カラオケ店の前まで来る。
次は車体の低い、青いクーペ型の車。


レティクルを、河西から次の青い車体に移す。
一時的に、スコープ真ん中から河西が外れる。

しかし次に相手がスコープの真ん中に来た時、トリガーを引くだけ。

――――――――――――――
――――――――


青い車を背景に、河西が視界スコープの真ん中に入ってくる。
車体が低いため、隠れ切れていない相手に照準を調整。


――――トリガーにかかった人差し指に力を込める。

そしてトリガーを手前に絞るように…………


――――――――河西がまっすぐ、俺の方を向いた。

俺はスコープ越しに河西を見つめる。

相手は俺の方をじっと見つめたまま…………


相手は裸眼(らがん)だ………… 
500メートル以上の距離があって、さらにこちらは山の中に隠れている。


…………それでこちらを視認できるのか?

そのまま、スコープ越しに相手を見る。



どのくらいそうしていたろうか…………

俺が動かずにいると、河西は視線を外し、手前に停まっている車まで素早く移動した。
こちらに気づかなかったようだ。

だが俺は、わずかに引いていたトリガーの指を戻してしまっていた。


気を取り直して、腹這(はらば)いになっている体を心持ち前進させる。

…………大丈夫。
ターゲットは少し手前へ移動しただけだ。

――――まだやれる。


…………再びトリガーに指をかける。

ライフルを持ちながら半身だけ車に隠れた河西を、スコープ越しに見つめながら指に力を込める。



「チッ……」

移動しやがった…………
スコープから外れた河西の姿を慌てて追う。


河西は何を考えたのか…………

今まで車道の中央線をまたぐように、車の陰に隠れてジグザグに移動していた。
しかし今度は、右側の歩道を乗り越え、Pと大きな看板を掲げたコインパーキング(かど)の壁に隠れた。

河西の姿は完全に壁に隠れてしまって、こちらからは見えない。

あきらめずに河西の姿が消えた、ブロック(べい)に照準を合わせる。


…………ここにきて、今までとは違う行動を取るなんて。

俺の存在がバレたのだろうか?


――――いや、悲観するのは早すぎる。

ここまでは順調だ…………
土壇場(どたんば)だからこそ、自分自身が腰を()えなければならない。


トリガーにかかった指には、俺の全てが掛かっている。

上手く仕留めることができさえすれば――――
俺は無事に現実世界に戻り、またクラスの友達との馬鹿話に(きょう)じ、これまで通りの日常生活を取り戻せる。

――――()れ。
こんなところで死んでたまるか!

人差し指をゆっくりと、手前に絞るだけでいい。



自分を鼓舞(こぶ)すると、言葉とは裏腹に、不思議と冷静になっていくの感じた。


自分の心の領域が両端からよじられ、細く一本の線のように張り詰める――――

心の温度が下がっていく――――

五感が研ぎ澄まされる――――


ブロック塀から、ほんの少し見えた河西のスカートの裾を見逃さなかった。

だが心が波打つことはない。
やるべきことはわかっている。


河西が塀から姿を現し、歩道に生えている街路樹の根元で屈んだ。


…………これまで通り、素早い動きなんだろう。
だが俺にはゆっくりとした動きに見える。


スコープの中、十字のレティクルを河西に合わせるのではなく、次に河西が身を隠す場所に合わせた。

相手の5~6メートル先、歩道にあるベージュ色のベビーカーに……


…………予想通りに河西が動く。

…………その先も予想できる。
俺が放った弾丸はベビーカーを貫通し、河西の胸に突き刺さる。


ベビーカーの日除(ひよ)けとなる、(ほろ)の部分が開いている。

だから河西の最期を見ることができるかもしれない。


…………あと2メートル。

ライフルの銃口を地面に向けて、歩幅を短く小走りしてくる河西。


――――――――――――――――さよなら。


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