第12話 学校3

文字数 3,659文字




「……う…… ……じょう……」
「――――痛っ、痛たたっ」


思いっきり、耳を上に引っ張られている。
俺は痛みに耐えかねて立ち上がった。

ぼんやりした視界に映るのは教室の黒板。
耳に入ってくるのは笑い声。


自分の机のそばに立っている人物を見る。
うちの担任の馬場(ばば)だ。

どうやら耳を引っ張っていたのはこの人物らしい。
教室中の生徒が、俺と先生のやり取りを見て笑っている。


「はぁ……、お前な、九条……。 午前中の1限目から堂々と寝るっていうのはどういう了見(りょうけん)なんだ? そんなに俺の授業がつまらんか?」
「いえ、そんなこと無いです!」

俺は従順さを(よそお)うように、サーイェッサー的に答える。

「男子だからエッチな本を見たくなるのはわかるぞ…… でも睡眠不足になるほど、見るっていうのはどーなんだ?」


馬場先生らしく、他の生徒の笑いを取りながら話を進める。
実際、男子の中には爆笑している者もいれば、女子の中にはクスクス笑っているやつもいる。

この先生に人気があるのは、こういうところもあるからだろう。


笑いが取れたところで、馬場先生はさらに話を続ける。

「昨日の晩、なにしてたんだ? 正直に教えてくれたら(ゆる)してやるぞ。ほれ、何してた?」


昨日は、銃に関する本をずっと読んでいた。

…………だがそんなことを言えるはずがない。
真面目(まじめ)に応えて、ここまで馬場先生が築いたクラスの雰囲気を壊すこともないだろう。


「昨日はその……エロゲをやっていました。2人攻略したのですが、3人目が難しくて…… それで徹夜になりました」

そう答えたが、思ったほど笑いは取れなかった。
だが先生の作った雰囲気は維持できたはずだ。

「――――なんてゲームやってたんだ? タイトルは?」

先生がそう俺に聞くと、クラスメイトも俺の答えに興味津々といった感じだ。


「…………同級生5です」

今度はドン引きされた…………
主に同級生であるクラスの女子から。

当たり前だ。
俺が答えたゲームは、同級生の女子と仲良くなってHシーンに至るのが目的のゲーム。


クラスの女子が引いても仕方がない。
――――だが男子も引いているのは納得いかないが。

一人だけ手を叩いて爆笑している奴がいる。
……目の前の木場(きば)だ。


「あ~、あのシリーズ、まだ続いていたんだな。俺も学生時代にやっていたよ。まあそういうことなら座ってよし。だが、もう寝るなよ」

『同級生』というゲーム名を答えて、自らをおとしめたので、先生もこれ以上の罰を与えられないと考えたのだろうか?
先生は俺を座らせた。


そのまま先生は黒板に向かい、授業の続きをする。
馬場先生は漢文の教師なので、教科書の漢詩を黒板に書き写していた。

だが、そのまま黒板に向かって馬場先生が言った。

「あ~そうだ。この授業の後、職員室に来いよ、九条……」


そう簡単には赦してもらえないようだ…………



職員室にノックをして入る。
担任の馬場先生は授業が終わったところだからか、でっかい湯呑(ゆの)みでお茶をすすっていた。

遠目でもよくわかる馬場先生のトレードマークは、寝癖がついているのか、それともそういうヘアスタイルなのか、よくわからないボサボサ頭だ。

そのヘアスタイルが象徴するように、(おお)らかな性格で生徒からの受けもいい。


…………体育の先生でもないのに、なぜいつもジャージを着ているのかわからないが。


先生の机に向かっていくと、その途中で俺に気づいたのだろう。

プリントなどでほとんど空きスペースのない自分の机の上に、デカい湯呑みを置く。
そして俺に普通サイズの湯呑みを渡してきた。

先生の椅子の隣には、丸椅子が置かれている。
…………準備万端だ。


俺はあてがわれた丸椅子に座り、湯呑みを受け取ると茶をすすった。

「これ……旨いですね。なんて茶ですか?」

とりあえず飲んでみた茶が、思いのほか旨かったので素直にそう聞いてみた。

「おっ、お前にもわかるか? 300円程の昆布(こぶ)茶なんだが、この値段でなかなかこの味の茶はないんだよ。って、茶の話はいいんだよ……」


先生は自分の湯呑みを両手で持ち、椅子を俺の方に向けた。

近くで見ると、先生の湯呑みが思っていた以上に大きいことがわかる。
畳の上でシャカシャカやる、茶道用の茶碗よりもふた回りほど大きい感じだ。

その特大サイズ湯呑みには、よくわからない漢字が描かれている。

以酒為池、懸肉為林、使男女裸、相遂其間…………

…………これ酒池肉林のことじゃないか。


なんでそんなもの書かれた茶碗を有り難がっているんだ?
そもそもこんなもの、どこで売ってんだろう?


「そういえば、まだお前に言っていなかったことがあったな…… 今回は大変だったな」
「……いえ、お気遣いありがとうございます。もう大丈夫ですので……」

葬式のことを言っているのだと察して、すぐに切り返した。


「そういえば、お亡くなりになったのはお前のおばあちゃんだったな? 確か書類上はそのおばあちゃんがお前の保護者となっていたと思うんだが…… 今後は誰が保護者ということになるんだ?」

先生はズバリ核心をついて、聞きたいことをそのまま尋ねてくる。

…………普通はまだ日が浅いから、こういうことは後日聞くことにしようとか、質問するにしても婉曲(えんきょく)に聞いてくると思うのだが……ストレートに聞いてきた。

だが俺としては、それは嫌じゃなかった。
むしろ変に気を回されるより、よほど良い。

「え~と、保護者はまだ決まっていないんですけど……」
「ふ~ん、決まってないのか……」


話を聞いて馬場先生は、一旦、机の上に湯呑みを置いて、両手で包むように持った。
そして視線を(ちゅう)に向ける。

何か考え事をしているようだ。


両親のいない俺の保護者をおばあちゃんがしていた。

普通、おばあちゃんが亡くなった後の保護者は、親族の誰かがやるものだろう。
誰がやるかなんてすぐ決まりそうなものなのに、まだ決まっていないと言う。

…………それを聞いて、俺を取り巻く複雑な事情を考えたのかもしれない。


「うん。まあ、担任としても一度お会いして挨拶しておきたいしな。正式に保護者が決まったら、また教えてくれ」
「はい……」

馬場先生のような性格でも、その部分は触れない方が良いと判断したのだろうか。

…………正直、保護者が決まるのかどうかも怪しいが、適当に返事をした。



「それはそうと……」

もう一度重そうな湯呑みを持ち上げて、馬場先生は俺に向き直った。

「…………お前、先生たちの間で授業態度が悪いと評判になっているぞ。どうして授業中にいつも寝ているんだ? 一人暮らしが上手くいっていないのか?」


葬式から帰ってきて、再び登校を始めてからまだ一週間も経っていない。
にもかかわらず、そんなに俺の評判は悪いのか?

授業中、何とかして起きようとしていたはずなのに…………


そもそも生活リズムについてはどうすることもできない。

仮に俺の体質が、眠ってしまうと殺し合いをしなければならなくなるものだと、そう正直に言ったとして、誰が信じるというんだろう?


俺が黙っていると、先生がさらに話を進める。

「あまり(おおっ)ぴらに言えないが、授業中に生徒が勝手に自習することについて、この学校は問題にしていない。だが、寝ることを許しているわけではない」


学校側は生徒に、『授業中、自習してもいい』と言葉に出して、積極的な推奨(すいしょう)はしない。
しかし学生が授業そっちのけで、勝手に自習をすることを、学校側が認めているらしい。

俺たちにとって、授業に合わせて学習するよりもそっちの方が速いから……というのが理由と聞いている。
これについては、木場から聞いていた。


「入学早々、こうして職員室に呼ばれる奴なんてお前ぐらいだぞ。まあ、それについてはある意味、大物だと思うんだが。……だがこのまま続けば、まだ決まっていないという新しい保護者を呼び出して、注意させてもらうこともあり得るんだぞ」

それは勘弁(かんべん)してもらいたい。
そんなことになれば京都に帰らなければならないことになる可能性もある。

折角(せっかく)手に入れた、誰にも遠慮することなく生活できる権利が無くなってしまうかもしれない。
京都の実家にいた時のように、小さく(ちぢ)こまって生きていくのなんてゴメンだ。



会話が途切れたので、話を終わりにすべく、俺はお茶を一気飲みした。

「…………以後注意します。ご馳走さまでした」

湯呑みを先生の机の空いたところに置き、立ち上がった。


職員室を出ていこうと背を向けて歩き出した時、うしろから声がかかった。

「今後注意しろよ。……あっ、そういえばお前が今やってる同級生5、スマホゲームなのか? それともPCゲームなのか? PCゲームなら、終わったら俺に貸してくれ」


…………なんて平和な世界に生きている人なんだろう…………


背中で聞きながら、俺はそう思った。
そしてわずかに後ろを向き、馬場先生に言う。

「同級生5は、架空(かくう)のゲームで存在しません……」

先生が「は……?」と間抜けな声を出したのを聞いて、職員室を後にした。



2限目が始まった廊下を歩きながら考える。

…………早く、短時間睡眠に慣れなければならない。


学校生活と自分の体質、両方を賭けて綱渡りをしていくしかなさそうだ。 








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