第28話 邂逅、保健室

文字数 5,130文字




…………大きく引き戸を開く。

と同時に廊下を後退し、しゃがみながらアサルトライフルを室内に向けた。


――――動く気配はない。

それから俺は保健室の中に入り、後ろ手で引き戸を閉める。


正面の窓ガラスには、カーテンが引かれていない。
そのため窓の向こうに建っている(なか)棟の校舎から、この保健室の中が丸見えになっている。

保健室のカーテンは引かずに、右側にあるベッドの周りのカーテンを閉めた。
そしてその死角に隠れる。

……………わずかに安堵(あんど)の息を吐いた。



俺が現実世界で、睡眠薬を飲んで眠ったのも保健室だ。
しかし俺が眠った保健室と、今いるこの保健室は少し様相(ようそう)が違う。


現実世界では、入口右手にあるベッドには河西(かさい)が眠っていたはずだ。
だが、この目の前のベッドには、今誰もいない。

ベッドは3つあるが、どれも人が使った形跡がなかった。
シーツにはシワひとつなく、ベッドの周りにカーテンも閉められていなかった。


…………河西のクラス、4組の他の生徒が言うには、河西は5限目の起立の時に立ち上がらなかったらしい。

ということは、河西は自分の机に()()した状態で眠った。


その結果、この……もうひとつの世界では、河西は自分の机の上で目覚めたのだろう。

そして河西が目覚めるのと同時に、人が武器に替わるこの世界が構築(こうちく)され、現実世界と分岐した。


そう考えると…………

河西が4組の廊下を教師に背負われていたこと……
同じく、河西が保健室で寝息を立てていたこと……

これらの出来事は分岐後の現実世界で起こったことであって、こちらの世界では起こらなかったことになる。

だから保健室のベッドにはシワが一つもなく、河西はベッドを一度も使っていないということなのだろう。


…………それが保健室の様相の違い、その正体で間違いないだろうか……?



そこまで考えて勝手に納得した後、俺はカーテンから出ないように、ベッドとは反対側にあるガラス棚を見た。
俺が現実世界で、薬を飲むためのコップを取り出した棚だ。


治療に使えるものがないか探したが、棚には何もない。

保健の先生が使っていると思われる机の上を見る。
……救急箱らしきものがあった。

屈みながら早足で、机の上の救急箱を取り、滑り込むようにまたベッドの陰に隠れた。


おもちゃ箱を開けるのを我慢できないに子供みたいに、救急箱を開ける。

体温計、絆創膏(ばんそうこう)、ピンセット、はさみ、包帯、湿布、消毒液、テーピングテープ、ホワイトテープ……

……ガーゼは4枚しかない。
ガーゼの他に、それを固定するホワイトテープとはさみを取り出す。


ガーゼを切り始めてすぐ、はさみの音とは違うものを耳にした。
金属音のようにも聞こえた、それは保健室の外からのように感じた。


ゆっくりとはさみを床に置く。
そしてベッドの上に置いていたイスラエル製のアサルトライフル、タボールを手にする。

セレクターレバーをセミオートにセットし、3メートルも離れていない保健室の引き戸に銃口を向けた。


俺は保健室に入った後、ちゃんと引き戸を閉めている。
引き戸は今閉まったままだ。

だが引き戸の向こうに誰かいる…………
気配がする…………


…………敵か?

それとも河西か……


銃口を引き戸に向けたまま、俺はゆっくりとトリガーに指をかけた。

…………深く呼吸をする。

緊張によって、自分の体内時計の歩みが遅くなってゆくのを感じる…………


――――引き戸が抵抗を感じさせないように、するすると横に動き始める。

わずかに戸が開いた後、それはぴたりと動きを止めた。


(まばた)きをせず、じっと引き戸の間を見つめる――――


引き戸に注目していると、ズボンのポケットの中のスマホが震え出した。
静かな保健室でスマホの振動音が大きく聞こえる。


誰だ、こんな時に…………
仕方なく、スマホ画面を見る。

――――――知らない番号だ。


もう一度、引き戸を見た後、電話に出た。

「……………………河西よ……」


少し迷い、考えてから応えた。

「……………………………………九条(くじょう)だ……」


名乗ると、銃口の先の引き戸が少しずつ開いていく。

その隙間から屈んだぐらいの高さで、河西が片目だけでこっちをのぞいた。

「名乗ったのに、なんで銃口向けてるの?」
「………………河西が人質になっている可能性もある」
「……大丈夫よ。私の後ろには誰もいないわ」


俺は長く息を吐き出しながら、銃口を下ろした。

それを見た河西が保健室の窓ガラスを気にしながら、素早くベッドの陰に滑り込み、隣に座った。

「ひょっとして、俺の電話番号を知っているのって――――」
「そうよ。パチンコ店よ」

河西との戦闘で、パチンコ店からの脱出の際に、誰のものともわからないスマホに電話をかけた。

そのときのスマホに表示されていた電話番号を、河西は覚えていたらしい。

「いや……でも一回しか電話かけていないのに、それだけで電話番号を覚えないでしょ?」

「あとで必要になるかもと思って、戦闘が小康(しょうこう)状態になったときにパチンコ店に戻って、手の甲にマジックで書いて電話番号を残しておいたのよ」

そう言われたら、そうなんだ……と言うしかない。
俺は河西に、自分の電話番号を教えた記憶がないのだから……



しかし河西はどうして俺が保健室にいると思ったのだろうか?

引き戸越しに電話をかけてきたということは、俺が保健室にいると確信していたということだ。

「どうして俺が保健室にいるとわかったんだ?」
「どうしてあれだけ廊下に血の跡を残しておいて、わからないと思うの?」
 

河西は口を(とが)らせ、横目で非難めいた視線を向けてくる。
血の跡があったって、それが俺のものとは限らないだろう…… 


「いや……そうじゃなくて、どうして俺がこっちの世界に来ているとわかったんだ?」


河西がベッドの上にライフルを載せながら、話しはじめる。

「これまで敵との交戦は一度きりで、向こうもこっちも傷一つ()ってないからよ。たぶんだけど…… だから傷を負っているとすれば、三人目の誰かと思ったのよ。あなたは敵と戦ったの? それらしい銃声はしなかったはずだけど……」

河西がまじまじと俺を見てくる。

「いや…………まだこっちに来たばかり……」
「じゃあ、なんで怪我してるのよ?」


俺の左手を見て、河西が言う。

「えーと、これは自損(じそん)事故というか……」

河西が長い溜息をつき、『大丈夫なのこの人……』という残念な視線を俺に向けた。


だが手を痛めた俺に代わって、河西は床に置いてあったはさみでガーゼを切り始めた。



「…………確認したいんだけど、ここは俺たちの高校、校舎で合ってるよな?」

河西が小さく(うなず)く。

「もう一つ、ここは戦闘場所が選択された後の戦場ってことでいいんだよな?」
「相手が戦闘場所の選択はしたみたい。戦場に移動するための瞬間移動は起きたから……」


今回の俺みたいに、あとからやってきた3人目は、いきなり構築済みの戦場に送られるということか……


…………河西は切り分けたガーゼで、手早く俺の左手の治療を始める。


「…………相手はうちの高校という、ものすごい狭い空間を戦場に選んだみたいよ。よほど戦闘に自信があるみたいね」
「……銃撃戦になったってことだけど、相手の姿は見たのか?」

河西が気持ちを切り替えるように、背筋を伸ばして答えた。

「敵は田久井(たくい)よ。数学の……」
「は? 数学教師の田久井なのか?」

学校での田久井はどちらかと言えば物静かで、日和見(ひよりみ)な感じ。
どちらかといえば影の薄い人物といった印象だ。

しかし、そのあと俺の中で、(やつ)の印象が変わる出来事があったはずだ……


床に視線を落としている俺の思考を読んだかのように、河西が話をつないだ。

「さっき交戦した時、学校では考えられないほど機敏な動きで、なんか生き生きとしていたわ。まるで別人のように見えた。学校での、あの傍観者(ぼうかんしゃ)的な数学教師を想像していると、痛い目を見ることになるわ」

河西が言っていることに(うなず)きながら、思い出す。


田久井に対する印象が変わった出来事…………

それは昼休みにクラスの仲間で、学校の外にあるコンビニに行った時、田久井と接触しかかった、ニアミスがあった。

その時、クラスの木場(きば)が言うには、田久井は生徒の課外行動を監視しているような生徒指導室の先生であり、上級生からは異端審問(いたんしんもん)官と言われているとのことだった。


戦闘時に人が変わったようになる人間……
それと俺が聞いた、異端審問官という嫌な印象。

なにか私生活に、鬱屈(うっくつ)したものでも抱えているのだろうか?

「…………俺が聞いた話だと、田久井は陰湿(いんしつ)な性格らしい。今回の戦闘はけっこう面倒なものになるのかもな。それに田久井の正確な年齢は知らないが、仮に30代前半と考えても相当の修羅場を(くぐ)ってきているはずだ。()めてかかると死ぬのはこっちになりそうだ……」


河西が救急箱から包帯を取り出し、俺の左手のガーゼの上から巻き始めた。

その河西の……真意を確かめるために、目を見て聞いた。

「とにかく、今回は共同戦線ということでいいんだよな?」
「…………私自身の生存率を考えると、そうするのが一番良いわ」


そういう河西が器用に包帯を巻いている。

「…………田久井と組んで俺を殺すという選択肢は? その後に田久井と戦うとか……」

河西が盛大に溜息を吐いて、力を込めて包帯を巻き始めた。

…………かなりイタイ。


「もうドンパチやってるのよ。いまさらそれはないでしょ!」

それを聞いて、少し安心した。

河西を助けるためにこの世界にわざわざ来たのに、その河西に殺されたのでは笑い話にもならない。

でも…………田久井を殺したあと、そのあとはどうなるのだろう?


「ところで、さっき河西が戦った場所はどこなんだ?」

「特別教室棟の3階と西側連絡通路3階の間での銃撃戦。今、その場所は割れた窓ガラスの破片があちこちに落ちていて、あまり行きたくないわね。その戦闘後すぐ、北棟に来て階段で血痕(けっこん)を見つけ、その血を辿って保健室に来たというわけ……」


戦闘後すぐ、河西は北棟の階段で俺の血を見つけた。

それが本当なら、まだ田久井は血痕を見つけたわけではないということか……?

「俺がこっちの世界に来ていると、そう田久井が考える可能性はあると思うか?」

「ゼロじゃないと思うわ。前回私達が戦った時、二人同時にこの世界から生還(せいかん)してる。その時点で私たちの体質については、田久井にバレてると思う。つまり今眠っているのは私と田久井だけと思っているかもだけど、あなたが眠ってこっちの世界にくる可能性は想定されていると思う」

たしかに、いずれ俺がこちら側の世界に来るかもしれないと、田久井は考えているかもしれない。


…………だとしたら、田久井にとっては戦う相手が二人いるのにもかかわらず、わざわざこんな学校という、狭い場所を戦闘場所に選んだということになる。

さっき河西も言ったが、戦闘に自信があるのだろうか?

それとも何も考えていない、ただのバカなのか?

あるいは、この学校を戦場にしたかった理由が、何か他にあるのか?


しかし、今それについて考えても答えは出ない
この問題は一度棚上げだ……


今、大事なのは――――

田久井がまだ、廊下の血痕を見つけていない可能性が高いこと。
俺がまだこの世界に来ていないと、田久井が考えている可能性があること。

…………だろうか?


「よし、完成……」

そう言って河西が包帯を巻いたあと、止め具を付けてくれた。


「…………さっきの戦闘後、田久井はどこに向かったんだ?」

「田久井は特別教室棟3階、教室前の廊下を東側連絡通路の方へ向かったけど…… 階段にあるあなたの血痕と田久井が向かった方角は、校舎で考えると、点対称の位置になるわね。あなたの血痕はまだ見つかってないんじゃない?」


俺は救急箱を片付けて、ベッドの下に隠すように滑り込ませた。
そして黒い血で濡れたハンカチをポケットにつっこむ。


「河西と同じく血痕を辿って、田久井もこの保健室にやって来るかもしれない。すぐに移動しよう」
「…………なにか考えはあるの?」

「対策はある。だがそれを話す前に、とにかく移動しよう。ここを出た廊下の右端、突き当りの会議室に隠れる。遅かれ早かれ、田久井は必ず保健室前にやってくる。その前に移動だ」

右端の会議室は、北棟1階廊下と東側連絡通路が交わる(かど)の、外側に位置するでっぱりの教室だ。


説明はあとでと言った俺に、納得いかない顔をした河西が自分のアサルトライフルを手にする。

俺もライフルを持って、セイフティーに戻していたセレクターレバーを、セミオートにセットした。


保健室の窓ガラスを意識しながら、ベッドの周りに引いてあるカーテンから思い切って出る。
そして保健室の引き戸を大きく開けて、すぐに屈んだ。

しばらく待ったが、銃声はない。


うしろでライフルを構えている河西に振り返り、目で合図する。

そして二人で、同時に廊下に出た。








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