第34話 賽が投げられた
文字数 3,439文字
MK760というサブマシンガンを抱え、俺は教卓横の引き戸へ向かう。
「
胸ポケットのスマホから、
引き戸までやってきて、その手前で屈んだ。
具合が悪くなるくらい、プロパンガスの
「今、田久井はどのあたり?」
「どのあたりって…………東側連絡通路の、中棟から窓ガラス3枚ほど進んだところよ。ゆっくり屈みながら歩いてる」
俺のいる家庭科室、その前の廊下を底辺と考えると、田久井がこちらに向かって進んで来ている東側連絡通路は右辺だろうか……
その真ん中は長方形の中庭となっており、
俺がこの引き戸から出て田久井を探したとすると、1時もしくは2時方向に、廊下の2枚の窓ガラス越しに田久井の姿を見ることができるというわけだ。
東側連絡通路は中棟と特別教室棟をつなぐ一本の廊下だ。
曲がり角はないので、田久井はこのまま止まらずに特別教室棟まで来るだろう。
だが罠を張った家庭科室に入ってもらうには、俺自身が
「今から引き戸を出るから、相手の位置を教えてくれ」
そう言って、静かに引き戸を開けた。
引き戸を開けたままにし、家庭科室前の廊下を右に進み、東側連絡通路の方へ向かう。
「田久井は東側連絡通路の真ん中近く…… まだあなたに気づいていない」
河西の声を聞いて、銃のセレクターをフルオートにセットし、トリガーを絞った。
サブマシンガンならではの比較的軽い銃声と、窓ガラスが派手に割れる音が廊下に重なる。
長方形の底辺から右辺へ……
2枚の斜めになった窓ガラスを割るように、弾丸は飛んでいく。
俺からは田久井がいる場所がよくわからない。
だから河西に言われた通りの場所に撃った。
一度トリガーを戻すと、窓枠の下から田久井の後頭部だけ見えた。
それがジョーズの背びれように、廊下を移動しているのが見える。
撃った場所は間違っていなかったようだ。
割れたガラスと移動する後頭部が、ほぼ重なっているように見える。
わずかな隙をついて田久井が撃ち返してくる。
だが、撃っている場所がでたらめだ。
俺がいる位置を確認せずにトリガーを引いたようだ。
一応、すぐに屈んだ。
しかし弾が自分に当たることよりもプロパンガスが充満している、うしろの家庭科室の方が
――――弾丸が変なところに着弾して、引火したらどうするんだ。
田久井がまだ撃っているにもかかわらず、相手の銃撃を止めるべく、廊下の窓枠から顔を出して銃口を向ける。
弾丸か、割れたガラスか、よくわからないものが自分の顔そばを通過する。
カッターナイフで切ったような痛みを感じながら、撃ち返した。
すぐに敵は屈んだ。
屈みながらも、窓枠の下を通り特別教室棟に近づいているようだ。
囮の役割はこのぐらいでいいだろうか……
このまま銃撃戦を続け、プロパンに引火しようものなら最悪だ。
家庭科室の引き戸の隙間から、廊下にガスが出てきていることを意識しながら適度に撃つ。
そして敵に背を向けないように後退する。
引き戸のすぐ外まで来て、弾がまだ残っているサブマシンガンを捨てた。
俺が家庭科室に入ったことを、印象づけるためだ。
家庭科室に入り、引き戸を閉める。
だがそのあいだに、相手がまた撃ってきた。
教室の壁を貫通したアサルトライフルの弾で、引火するんじゃないか?
その恐怖は、直接自分を追う弾丸よりも切実だ。
教卓とホワイトボードの間を、必死で駆け抜けた。
ホワイトボードに、穴が開く鈍い音が聞こえる。
ヤバい、ヤバい、ヤバい……ヤバい。
ガス爆発に
窓ガラス手前、教室の床にあらかじめ置いていたアルコールランプを手にした。
そして窓枠に足を掛け、外に飛び出した。
地面に足を付けた時、田久井の銃声は聞こえなくなっていた。
「――――河西、田久井の実況できるか?」
…………あ、思い切り舌打ちされた。
同じ音楽室内とはいえ、足を怪我している河西に、特別教室棟の一階廊下が見える場所まで移動しろと言っているわけだ。
なので、申し訳ないと言えばそうなんだけど……
「田久井が…… 今、特別教室棟に辿り着いたわ。家庭科室前の廊下に落ちている銃を、顔だけ出して確認しているみたい」
前もって校舎の外に出しておいたアサルトライフル、F2000タクティカル。
その銃を、落ちていた芝生の上から、少し離れた場所に持って行く。
アルコールランプを手にし、それをシェイクするように4、5回振って止める。
そしてポケットのマッチを取りだし、箱から1本マッチを取り出した。
「――――田久井が家庭科室後ろの、引き戸のそばに体をつけてる」
河西の実況が続く。
…………マッチ、
プロパンガスは空気より重いので、床を
だからさっき乗り越えた、教室の窓枠を越えてここまでは来ないハズ。
頭でわかっていても、ここまでガスが
だが……
震える手でマッチ持ったまま、こうしてじっとしてるわけにはいかない。
思い切ってマッチを擦った。
「ふーっ」
――――――何も起きなかった。
すぐにアルコールランプに火を移す。
その時、カランカランと家庭科室内から音がした。
「田久井が引き戸を開いた! あ、でも何かにびっくりしたみたいに、体を少し引いた。 ……なに?」
1つ目の罠が作動したみたいだ……
今の音は、包丁が振り子のように天井から引き戸に落ちてきたものだろう。
だがそれは、あくまでブラフだ。
包丁は二つ目の罠への警戒心を無くすためのもの……
だから包丁が顔に当たるようにはセットしていない。
――――――問題はここからだ。
ガスの元栓を開いたのは、自分がしゃがんでいる場所から一番近い、家庭科室内のコンロだけだ。
ガスが一番多く滞留しているのはそこだろう。
しかし教室の中にどれだけ、ガスが充満しているかわからない。
――――それにタイミングをどう取るのかも難しい。
火のついたアルコールランプを持ちながら、じっとその時を待つ。
それにしても遅い。
今この状態で、俺から河西に話しかけるわけにはいかない。
田久井に声が聞こえるかもしれないからだ。
失敗か……そう思ったとき、河西の声が聞こえる。
「ゆっくりと引き戸を……さらに開けて、田久井が家庭科室に入っていく……」
俺は火の点いたアルコールランプを右手で振りかぶる。
左足を前にして、いつでも投げられる体勢だ。
「田久井が家庭科室に入り、私からは見えなくなった……」
息を殺して待ち、心の中でカウントを始める。
1……2…………
5!
田久井が家庭科室に入ってから5秒目――――
思い切って、アルコールランプを投げた。
投げたアルコールランプは火を
アルコールランプを最後まで確認することなく、俺はなるべく校舎から体を離すように横っ飛びし、芝生に伏せる。
ガラスから首を守るために、首の後ろに両手を回した。
その瞬間、
――――地面が揺れている。
家庭科室の方を見ようとして視線を横に向ける。
手のひらほどある三角の窓ガラスが落ちてきて、芝生の上でバウンドした。
それを見た俺は
地面が揺れたのは一瞬だけだった。
でも特別教室棟の窓ガラスの多くが割れたらしく、日光を照り返しながら、屋根から落ちる雨水のように降ってくる。
飛び退いたのはいいが、伏せていた場所にアサルトライフルを置きっぱなしにしてしまった。
俺は校舎から離れた場所でしゃがんで、ガラスの雨が止むのを待った。
今ので、田久井は死んだのだろうか…………
プロパンガスを爆発させ、ビーカータワーを倒す。
それにより机の上の漂白剤と塩酸が反応し、塩素が発生。
ガス爆発により床に倒れ、気絶した田久井はその塩素を鼻から吸う…………
――――これが仕掛けた罠の全容だ。
しかし俺は、自分が作った罠の不確実性を考えていた。
ガラスの雨足が弱くなったのを見て、アサルトライフルを手にする。
そして家庭科室を見ながら、後ろ向きで歩き始めた。
このまま特別教室棟を
胸ポケットのスマホに話しかけた。
「…………河西、聞こえるか?」