第10話 いつかの京都市

文字数 4,294文字




――――あれ、眠ってしまっていた。


寝起きの目を(こす)りながら、ぼんやりした頭で周りを見る。
ようやく頭がはっきりしてきて、周囲のことがわかってきた。


バスの中だろうか?
その後方の座席に座っていた。

ゆっくりバスの外を見る。

京都駅前のバスターミナルだ。
他にも何台ものバスが停まり、このバスと同じように乗客を待っている。


最近は日が落ちるのが早く、もうすでに外は真っ暗だ。


バスの中の他の乗客も、静かに座席に着いている。
少し薄暗いバスの中、座席は3分の1ぐらいが埋まっているだろうか。

塾へ行き、その帰りのバス中で眠ってしまったようだ。


それにしても静かだ。
他に話をしている人もいなければ、車が走っている音も聞こえない。

自分の耳がおかしくなったのだろうか?
何も聞こえない。


…………み、耳が聞こえなくなった?

僕は不安になり助けを求めようとして、近くに座っていた女性会社員らしき人に話しかけた。

「あっ、あの……」

女の人はスマホの画面をみているのか、僕に気づかないようだ。

「あの…… あの、すみません」

はっきり女の人に届くような声で言った。
でも全く反応してくれない。

無視されているのだろうか?
あいかわらずスマホを見たままだ。


車内の通路をへだてて、女の人の斜め前に座っている男性サラリーマンに声をかけた。

「あの、すみません」

この男の人も、全く僕に気づく様子がない。


もう一度大きな声で話しかけようとした時、気がついた。
僕は自分の声を、自分の耳で聞いているじゃないか! 

さっきから女性や男性サラリーマンに話かけている僕の声は、僕自身の耳に届いている!

…………てことは、聞こえていないのは女の人や男の人の方ということ?


僕はゆっくりと、バスの前方に歩き出す。

参考書を見る男子学生。高校生だろうか?
さっきの女性会社員と同じように、スマホを見ている高校生ぐらいの女の人。
文庫本を開いている若い男の人。

一番前にいる運転手さんも、同じように椅子に座って動かない。


――――このバスの中の人、みんな止まっている。


ここまでくると、僕は落ち着いていた。

耳が聞こえなくなったと思った時は、正直びっくりした。
でも自分以外の人がみんな止まっているなんてことはあり得ない。

耳が聞こえなくなる可能性はあるけど、自分以外の人全てが、止まっている可能性はないと思った。

…………だから夢に違いない。
最近、疲れていたから夢を見ているだけだ。


外はどうなっているのだろうと興味がわいた。
このバスはターミナルの真ん中ぐらいに停まっているので、大通りの様子がよく見えない。

どうなっているのか確かめようと思った。


運転席そばのドアからバスを降りるため、ステップに足を降ろそうとした時…………

急に、目の前が真っ暗になった。


――――瞬間、体を支えるため手すりに掴まろうとしたが、その手は空を切る。

…………転ぶと思った。

でも、僕は前屈みになっただけで大丈夫だった。



何が起こったのかわからず、しばらくじっと地面を見ていた。
それからゆっくりと視線を上げてみる。


――――バスに乗っていたはずだ。

でも今、僕が立っているのは広い通りの交差点にかかる、横断歩道の真ん中だった。
横断歩道の信号の色は青。


周りをみると、ヘッドライトを点けたままの車がすべて停まっていた。
それ以前に、目の前を歩いている人も止まっている。

…………後ろを振り返る。
同じように、男の人も女の人も止まっている。

しかも姿勢が不自然だ。
歩いている途中で止まったように、みんな片膝を上げている。

自転車で曲ろうとしたのか?
その自転車ごと体が、地面に対し斜めになっている人。

話し中だったのか、隣の人に笑いかけたままの人。


自分以外が止まってしまった世界。
漫画とかアニメの見過ぎなのだろうか?

…………不思議と怖いとは思わなかった。
やっぱり夢でも見ているのだろう。


マネキンのように動かなくなった人達にぶつからない様に、そのあいだを()いながら、車道から歩道へ向かう。


周りの建物を見る限りでは、たぶん京都駅から少し北に離れた位置にいるのだろうか。

バスの中から大通りに瞬間移動した?
…………やっぱり夢? 

でも周りの人や車、建物はとても夢とは思えないほどリアルだ。
本当に細かい所まで、よく再現されている。


とりあえず京都駅に向かうように歩くことにした。

誰も彼もが一時停止したように動かない。
人はもちろん、車も――――

でも信号の色はときどき変わっている。


そもそも音が全く聞こえない。
音がしないということは、この世界で僕だけなのだろうか?

音のない世界を歩いていると、自分だけ取り残されたように思えてきた。
少しずつ心の中に不安が芽生え、それは徐々に自分を覆ってゆく。

その不安と闘いながら、ふらふら歩く。



――――自分の目の前にいた、会社帰りに見える女の人が黒い煙に覆われ、いきなりいなくなった。

…………と思ったら、その替わりにナイフが落ちてきた。
ナイフの刃が歩道のコンクリートに落ち、高い音を立てる。


目の前の人ばかりではない。
周りの人すべてが黒い煙になり、そこからナイフや包丁、カッターナイフなんかが落ちてきた。

「キン」とか「カラン」という音が、あちこちで聞こえる。


何が起こったのかわからない。

転がっている刃物の数を見て、初めて怖いと思った。
心の中が不安から恐怖に少しずつ塗り替えられる。

目の前で消えた女の人の替わりに、落ちてきたナイフを見る。
明らかに私生活で使うナイフではない。

刃の反対側がギザギザになったやつだ。
サバイバルナイフというのだろうか?


僕は走り出した。

どこへ行ってもナイフ、包丁、彫刻刀。
――――斧なんかもある。


いつの間にか全速力で走り出していた。
でもどこに行っても刃物ばかり…………


誰か、誰か自分以外の人はいないのだろうか?
夏が過ぎ、いきなり寒くなったように感じる季節だけど、さらに気温が下がったような気がした。


他の人を探すため、全速力で走っていると思いっきり転んだ。
包丁を踏んで滑ったのだ。

たまたま転んだ所に刃物がなかったので刺さらなかったが、手のひらの皮がむけてしまった。
――――膝も痛い。

ジーンズをはいているからわからないが、たぶん血が出ているのだろう。


泣きそうになるのを必死にこらえながら、今度は走らず、歩いて自分以外の人を探す。

「誰か? 誰かいませんか?」

声を張り上げるが、他の人は見当たらない。
さらに声を上げる。


すべての人が刃物に替わったのか、自分以外、人はいなくなったように感じる。
あいかわらず音も全くしない。

車やバスは停まったままだ。


もう夢だろうと安心してはいられなかった。
たとえ夢であっても、包丁なんかがゴロゴロしている世界にいるのは、とっくに不安を通り越している。


どれくらい声を上げて、他の人を探していただろうか?
それでもまだ人がいるのではないかという期待を捨てずに、大声を上げる。

その途中で道沿いのコンビニを見た。
弁当やおにぎりは普通に陳列されていた。

最悪、誰もいなくても数日分の食料はあるのかもしれない。

でも、その数日後はどうなるのだろう?
このまま誰にも会うことができず、飢えて死んでしまうのだろうか?



僕は一層強く声を張り上げた。

「誰か、誰でもええからいませんか?」

不安を消すために大声を上げた時だった。
大通り沿いの遠くの方に、よくわからないが人影が見えたような気がした。

歩道から車道に出て、さっきみたいに転ばないように注意して走ってゆく。


やっぱり人だ。僕以外にも人がいた。

グレーのスーツを着ている。サラリーマンだろうか?

ネクタイをだらしなく(ゆる)めている。
でもその人の服装なんて、今はどうでもいい。

この訳のわからない所に、自分一人しかいないかもしれないと思った所に、他の人がいたんだ。


僕は精一杯の力でその人の元へ走って行った。

「あのここはどこですか? さっきいきなり他の人たちが黒い煙に包まれて…… 刃物がそこら中にぎょうさん……」


そこまで言ってサラリーマンの様子に気がついた。

この人から生気が感じられない。
何だか脱力しているというか、無気力というか…… 表情も乏しい。

能面を被っている、そんな感じだ。


僕はしばらくそのサラリーマンの様子をみて、顔を下からのぞき込むように声をかけた。

「大丈夫ですか?」


――――今まで能面のような顔つきだった、サラリーマンの口の()が上がり、嬉しくてたまらないという表情で、いきなり右腕を上げた。

その人の顔をのぞき込むような恰好(かっこう)をしていたため、自分の上に振り上げられたそれを頭上で見ることになった。


反射的に顔の前に左腕をかざす。

――――次の瞬間、強烈な痛みが全身を走った。


――――腕が…………切られた。

サラリーマンが振り上げた手に、光を照り返したのはナイフだった。


テレビであるように、人が切られた時のような音は鳴らなかった。
でも言いようのない左腕の痛みは、明らかにナイフが自分の腕を切ったことを意味している。

そのまま3、4歩、後ずさりし尻餅(しりもち)をついてしまった。


サラリーマン、男はだらしなく頬をゆるめて、僕を見下ろしている。


痛みに気を配るよりさきに、どうにかしないと……という考えの方が働いた。
尻餅をついたまま後ずさるが、男との距離は広がらない。

――――自分の周りを素早く見る。
と、右手が何かに触れた。日本刀だ。

右手の指に日本刀の(つか)の部分が触れたのだ。
サラリーマンがゆっくりと歩いてくる。


僕は刀を握ろうとした。

…………が、重い。
右手の握力を目一杯引き出し、やっと刀を持ち上げた。


日本刀 打刀 刃長72センチ 重さ……

――――頭の中に声が響く。
でも、そんなことを今は気にしていられない。


僕はサラリーマンに向けて、刀を振り回した。

それに男は驚いたのか、半歩後ろに下がる。
でも、それは長くは続かなかった。

日本刀の重さに自分の手が耐え切れず、手の平から刀が滑る。
それはサラリーマンの斜め後ろに回転しながら飛んで行った。

…………男がにやりと、嫌な笑いを浮かべる。


次の瞬間、僕は切られた腕の反対側の手を地面について、後ろに駆け出した。
少しでも男から距離を置こうと、懸命に走る。

途中、後ろを振り返る。
男は走って追いかけてくるわけでもなく、ゆっくりと僕の方に歩いてくるのが見えた。


よそ見をしたせいか、また刃物を踏んで転びそうになった。
必死に踏ん張って、地面に転がるのを避ける。

今度は前を見て走り出した。

誰か……だれか他に人はいないの?


車の動いていない車道に出て、全速力で走ってゆく。

その途中で思いついた。
あそこなら助けてくれるかもしれない。


――――さっき歩いて通り過ぎた、その場所を目指した。


…………警察署に。








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