第23話 ファミレス会談1

文字数 5,278文字




自分の体の境界がよくわからない。

別の何かと混ざり合っている、そんな場所でゆらゆらと(たたず)んでいる。


変な心地よさに身をゆだねていると、急に自分の肌の質感を覚えた。
そして周りの空間と一緒に、自分の体が別の場所に排水されるかのような圧力を感じる。


…………遠退(とおの)いていた意識が無理矢理引き戻されるようにして、光の中に覚醒(かくせい)した。


少し()き込んで目を開けると、そこは白い箱の中。

ゆっくり首を動かすと、右手には窓ガラス、風に揺れるカーテン。
左手には点滴から自分の左腕までつながっているチューブ。

それらを見れば、病院の個室だということがわかる。
だが俺にはまだ生の実感がない。


右手で肝臓のあたりをさすってみる。
さっきまで言葉のまま、死ぬほどの痛みを発していたのに何ともない。

おそらくこの薄緑色の、病院支給だと思われる病衣の下には傷一つ無いんだろう……


――――そう思った時、廊下が騒がしくなった。

「…………困ります。こちらは男性専用の病棟でして女性は入れないんです! 自分の病室に戻ってください」


――――なんだ?
女性患者が夜這(よば)いでも、しにきたのか?

それにしては、こんな明るい(うち)から大胆だな……

窓の外を見ると、真っ昼間(ぴるま)だ。
真っ昼間だから、夜這いとは言わないのか?


パタパタというスリッパの音が大きくなっていく。
その音が身近に聞こえ、自分の病室を通り過ぎていく。

と思ったら、いきなりこの部屋の入口スライドドアが、(いきお)いよく真横に開かれた。

「困ります、河西(かさい)さん。自分の病室に戻ってください!」

やっと追いついたらしい看護師が、そう漏らす。


俺と同じ病衣を着た河西は、大きな眼で俺の姿を確認する。
そのまま内股(うちまた)になり、へなへなとその場に座り込んだ。

そして看護師に両脇を抱えられ、戻って行った。


――――俺の生死を確認しに来たのか?

もし仮に俺が死んでいたら…………
以前、新幹線で戦ったガキのように、鼻から血を流して死んでいたら……

河西はどんなリアクションをしたのだろう…………
やっぱりその場でペタリと座ったのではないだろうか?


そう考えてから、ぼんやりとサイドテーブルを見た。
テーブルの上には何もない。

引き出しを一段ずつ開けていくと、上から二番目の引き出しに財布とスマホが入っていた。

パチンコ店近くの国道で、捨てたはずのスマホだ。
充電が切れているということもなく、普通に使えるようだ。


…………時間を確認する。
まだ学校では5限目の途中だ。

日付を見るが、俺が教室で眠ってからどれだけ時間が経っているのかピンとこない。

…………考えてもわからないものはしょうがない。


あきらめて再び、ベッドの上で目を(つむ)る。

五月の心地いい陽気を感じながら、廊下の方から聞こえる喧騒(けんそう)に耳を傾けた。
見舞客への案内に関する放送や、ローラーのついたものを移動させる音など、様々な音が聞こえる。

自分とは違う別の人間が立てる音を聞いて、ようやく現実世界に帰ってきたことを実感した。


しかし俺の病室に看護師がやってくることはない。
さっき河西を連れていった看護師は、俺が目覚めていることに気づかなかったらしい。

…………やれやれ…………


俺は上半身を起こし、壁に手を伸ばす。
そして仕方なく、壁に埋め込まれたナースコールのボタンを押した。



今日は学校を大幅に遅刻した。
急いで登校したため、昨日の夜、ケースで買っておいた眠気止めのボトルコーヒーを持ってくるのを忘れてしまった。

そこで授業が終わると、急いで学食の自販機でコーヒー牛乳を買い、一年のクラスが多い中棟(なかとう)と特別教室棟をつなぐ3階の渡り廊下にやってきた。

風に当たりながらガラス窓の(わく)にもたれかかるようにして、わずかな眠気を払い考える。

…………学校で眠ると、また戦闘に巻き込まれるかもしれない。


これまではそれを、可能性の範囲で考えていた。
だが、学校に河西という同じ体質の人間がいることがわかった以上、それは可能性の話ではなく、確実に起こることとして考えなければならなくなった。

…………授業中うっかり寝る、なんてことは厳禁だ。


河西との戦闘の末、現実世界に戻ってきて日付の確認をすると、丸二日が経過していた。
二日間ほど眠っていたことになる。

目覚めてから病院で検査をし、どこに出しても恥ずかしくない健康体だということで、その日のうちに自宅に帰ってきた。
そして昨日まで入院していたにもかかわらず、今日こうして学校に登校している。


まじめに登校しているあたりは自分を()めたいところだが、俺が登校してきたのは3限目の終わりごろ。
…………盛大に遅刻したわけだ。

家で目が覚めた時に散々、逡巡(しゅんじゅん)したはずなのに、こんなことなら家で一日休めば良かったと、今もまだ後悔している。


コーヒー牛乳パックに刺さっているストローを吸い、「はぁ」と息を吐いた。

憂鬱(ゆううつ)を抱えながらぼんやり考えていると、後頭部を本の背表紙か何かで叩かれた。
結構痛かったので、クルリと振り返る。

真後ろに立っていたのは担任の馬場(ばば)先生だった。
右手で教科書を振って、左手の平で、俺を叩いたのであろう背表紙を受け止め、まだ叩き足りない様子で直立している。

九条(くじょう)…… お前、今日かなりの重役出勤だったみたいだな」
「みたいですね……」
「遅刻したらまず職員室にこい。入学早々3限目から登校してきたのはお前ぐらいだ。もう記録更新すんなよ……」
「はい、すみません」

取りあえず下手に出て、謝っておいた。
先生は満足したのか、去っていく。


昨日まで入院していた俺に、優しい言葉はないのか?
……そう思ったが、さらに憂鬱な気分になったので、反抗したくなる気持ちは()えた。

担任には、ああやって謝ってはみたものの、この体質では今後二度と遅刻はしませんと断言はできない。
眠れば即戦闘という状況では、恐怖でまともに眠ることもできないからだ。

「はぁー」

卒業まであと3年もあるのに、どうしたらいいんだろ…………

気が遠くなるのを感じながら窓枠にぐてっと、もたれかかった時だった。
後頭部をさっきと同じく、本の背表紙のような物でカツンと殴られた。

「さっき謝ったじゃないですか。もう遅刻はしません。なるべく…………」

最後の『なるべく』という部分をかすれるような声でいい、俺は振り返った。


…………が、さっきいた馬場先生の顔の位置には何もなく、視線を下に向けていくと、最近見慣れた顔となった河西がいた。

「あなた、今日遅刻したの?」

なんで俺はコイツにまで、責められているんだろう?

「そうだけど、それが?」
「眠ったんでしょ? 腹立つわ。私は一睡もしていないっていうのに……」

それキレるとこ、間違ってるでしょ。
キレるべきは俺達の、この体質についてじゃなくて?

「で、何の用なの? もう授業が始まる時間だけど……」
「放課後、駅前のファミレス、遅刻厳禁」
「は?」
「まだ寝ぼけているの? 放課後、駅前のファミレスよ。遅刻したら承知しないから……」

そういって河西は、パタパタと特別教室棟の方へ向かっていった。


俺も授業のチャイムが鳴ったので、教室へ戻ることにした。
教室に入ると、クラスメイトの何人かが俺に視線を送ってきた。

俺がさっきいた連絡通路からこのクラス、1年3組が見えるということは、この教室の窓ガラスからも当然、俺の姿が見えたのだろう……
つまり、河西と会話をしていたところを見られていたということ。


あのナウシカにしか(なつ)かないことで有名な、キツネリスのような存在の河西と会話をしていたので興味津々といったところなのだろうか……

……だがそれについて誰も聞いてこない。
空になったコーヒー牛乳のパックを教室後方のゴミ箱に投げ込んで、そのまま窓側の自分の席に座った。

しかしもう授業が始まろうというのに、そのことについてツッコんできた奴がひとりいた。
…………前の席の木場(きば)だ。

「なあ、どんな話だったんだ?」
「何が?」
「河西が話し掛けてきた内容だよ」
「『今日はいい天気ね…… でも私は雨の日も好きよ』って内容だけど……」
「そんな訳あるか! 『私……あなたのこと好きよ。もう自分の気持ちを抑えておくことはできないの……』とかなんとか言う内容だったんじゃないのか?」
「それこそ、そんな訳あるか! お前が考えるようなロマンチックなものとは程遠いぞ。もう先生が来る。前を向け」

「…………昼飯一回分で、手を打て」

一瞬、考えてしまった……
しかし河西とファミレスで会うことを話すと、たぶん木場はこっそり付いてくる。

河西とファミレスで話す内容は、向こうの世界のことに違いない。
昼飯一回は惜しいが、俺達の体質についてバラす訳にはいかないだろう。

「昼飯一年分なら考えてもいいぞ」

そういった時、先生が教室に入ってきた。
小さく舌打ちして、木場は黒板の方を向いた。



――――放課後。
河西に言われた通りに駅前のファミレスに向かった。


店内に入ると、まだ河西は来ていないようだった。

店が一部ガラス張りのため、歩道から丸見えになる席を避けてもらうように、店員さんにお願いした。
そして店の奥まったテーブルに着いた。

それからドリンクバーを注文する。

…………3度目のメロンソーダを()んできたところで、ようやく河西がお出ましになった。

「……遅いだろ」
「待つのも、楽しみの1つでしょ?」
「容姿がいい奴がそれを言うと、すごく嫌味に聞こえるんだが……」

テーブルに着いた河西が、タブレットを操作して注文する。
河西が注文したのは、いちごミルフィーユパフェと丸ごと白桃パフェ、それからドリンクバーだ。

河西がパフェを大量に頼んだのを見て、俺も今日の晩飯をここで取ることにした。
河西の入力のあと、照り焼きハンバーグと香草(こうそう)チキン唐揚げ定食を注文した。


河西が席を立ってドリンクを汲みに行き、戻ってくる。

河西の手元にあるグラスを見た。
…………どう考えてもミルクティーにしか見えない。

このあいだ俺が死に(さい)して、河西に投げたミルクティーのペットボトルは飲まなかったくせに、ファミレスでは自分で汲んできて飲むんだなと思った。

「いつもこんなにパフェを頼むのか?」
「そんなわけないでしょ? そもそも普段ファミレスなんて来ないし……」

そう言って、河西はじっと俺の目を見つめた。

河西の意図を察し、俺は慌てて制服の後ろポケットに入っている財布を出した。
千円札が三枚……

「大丈夫よ。3千円以内に収まるように注文したから……」
「……お前、初めッッから俺におごらせる気だったのか? 自分で払う気ゼロ?」
「何言ってるのよ。あなたの男としての面目(めんぼく)を立たせてあげたんじゃない。それにこのあいだ、あなたの命を助けてあげたじゃない。そう考えれば安いでしょ?」
 
…………俺の命って、パフェ2つぶんなの?

安いな、俺の命…………

「俺の命を助けたっていうけど、あの時たまたま……本当に偶然のタイミングで何かが起こって向こうの世界から戻ってこれただけで、何も起こらなかったら俺は死んでただろ? それは河西の意志で助けたと言えるのか?」
「それなんだけど……あなたこっちの世界に戻ってきてすぐに時計を見た?」
「見たけど…… 午後1時半頃……確か5限目の途中の時間だった」
「うん。でもそれって、私たちが眠った時間とほぼ同じじゃない? 日付は丸二日過ぎてるけど……」
「つまり現実世界の時間で丸二日、48時間経つと戻ってこれるってことかもな。向こうの世界の時間は約5、6日経っていたように思うけど……」

現実世界で二日経つと帰って来られるということは、河西と話さなくても、なんとなくだが確信があった。

24時間ある一日の中で、眠った時間と同じ時間に戻ってきたのは偶然じゃないだろう。
河西も同じことを考えていたようだ。

しかし向こうの世界の時間経過はよくわからない。
太陽はいつも同じ位置にあるし、相手と銃口を向け合いながらじゃ、時間を正確に測っている暇はない。

だから大まかな感覚として、向こうの世界の時間は2日間の3倍の長さ、6日間くらいで帰ってこれるってことなんだろう。


「…………で、さっきの話ね。あなたが丸腰で私に向かってきた時に、私があなたをフルオートで撃っていれば、こうして今あなたとテーブルをはさんでいることはないわ。私がセミオートで一発ずつ、肩と太ももだけ撃ったから、あなたは今生きている。そうよね?」

河西がじっと俺を見ている

「つまり私の慈悲(じひ)のおかげで、現実世界で48時間経ち、あなたはわずかな傷で帰ってくることができた。さっき、私があなたの命を助けたことになったのは偶然だと言ったけれど、その偶然を引き当てたのはまぎれもない、この私ってことにならない?」


それは違うだろ……
それを言うなら、その数日前にショッピングモールで、俺が停戦を言い出したから48時間経ったんじゃないか?

…………そもそも人を撃っといて、慈悲ってなんだ?

しかもこの女、俺が()ったのはわずかな傷だとぬかしやがった。
死にそうなくらい痛かったのに……

傷を負わされた相手にたいしたことないと言われるのは、納得いかないものがある。


俺は何も言わずにメロンソーダを飲んで、ドリンクバーまで飲み物を汲みに席を立った。






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