Ⅲ.イギリス生活(真相)ー①

文字数 2,492文字


 七時半過ぎに三上邸を訪れると、インターホンには鍋島が応対に出た。
「──自分で入ってきてくれ。鍵開いてるから」
 忙しそうだな、カレーは期待できそうだと芹沢は少し嬉しくなって門扉を潜った。
 ダイニングのドアを開けると、食欲をそそるカレーの香りが鼻先に広がった。
「お、美味そうな匂い」芹沢は思わず笑顔になった。
 鍋島はキッチンでサラダを作っていた。「手伝ってくれ。テーブルセッティングまだやねん」
 芹沢はジャケットを脱ぎながらあたりを見渡した。「三上サンは?」
階上(うえ)で明日の準備。今夜から京都の──披露宴会場のホテルに泊まる手配ができてるんやて」
 芹沢はああ、と頷いた。「新婦の親族だもんな」
「美容室の予約まで入れてくれてるらしい」
「いつもながら至れり尽せりだな」芹沢は鍋島を見た。「おまえは行かねえのか、やっぱり」
「うん……やめとく」鍋島はリンゴを切りながらぼそっと言った。「俺なんて場違いやろ」
「まだそんなこと言ってんのか。ここまで来たら、見届けりゃいいのに」
「ええよ。今日こうやって一緒にメシ食って話聞いたら、それで十分や」
 芹沢は小さくため息をついた。「──ま、おまえの自由だけどよ」
「せやろ。大きなお世話や」
 鍋島は言うとカウンターに取り皿を置いた。「ええから皿、運んでくれ」
 芹沢は鼻のふもとに皺を寄せ、チッと舌打ちして皿を取った。


 八時ちょうどに麗子の自宅を訪れた中大路と真澄を、玄関で出迎えたのは芹沢だった。
「わぁ、芹沢さん」
 真澄はぱあっと明るい笑顔になり、ぺこりと頭を下げた。「こんばんわ」
「いらっしゃい──って、俺が言うのはヘンか」
 芹沢ははにかみながら言った。そして真澄の隣で少し戸惑った様子の中大路に視線を移すと、彼には極めて模範的な笑顔を見せて言った。「こんばんは」
「……こんばんは。あの、昨日はいろいろと──」
「その話はあとで」芹沢は中大路の言葉を遮った。「とにかく、中へどうぞ。カレーも出来てるし」
 中大路は小さく頷いた。昨日から自分がこの男に面倒がられているのを思い出した。
 真澄が訊いた。「麗子は?」
「明日の準備だって。今夜から京都に行くんだろ?」
「そうなの。明日は朝早いから、ホテルに部屋を用意して、泊まってもらうことになってるの」
「式は何時から?」
「十時。ホテルじゃなくて、神社で」
 へえ、と芹沢は頷くと真澄を見下ろしてにっこり笑った。「綺麗だろうな」
 真澄は嬉しそうに頬を染めた。「あ、そうや、良かったら芹沢さんも二次会に来て」
「え、俺はいいよ。明日は仕事だし」
「二次会は夕方からなの。そんなにあらたまったものじゃないし、遅れて来てもらっても大丈夫やから」
 真澄は言うと中大路に振り返った。「ね、寛隆さんいいでしょ?」
「ええ、もちろん。ぜひお願いします。ごく親しい人たちだけで気楽に開いてもらうものだから、遠慮しないでください」
「だったらなおさら遠慮しとこう」と芹沢は言った。「鍋島だって行かねえんだろ?」
 真澄は途端に表情を曇らせた。「……そうなの。勝ちゃん、どうしてもうんと言うてくれへんの。披露宴も二次会も」
「芹沢さんからも、鍋島さんに来てもらうようにお口添え願えませんか」中大路が言った。
「さっきも言ってみたんだけどね。なかなか頑固だから」芹沢は中大路を見た。「俺もしつこく言うの、嫌いだし」
「……そうですか」
「でも、芹沢さんが一緒だったら、二次会くらいは来てくれるかも」真澄が言った。
「俺はあいつの何なのよ」と芹沢は笑った。「それに俺、明日仕事のあとは横浜なんだ」
「あ──」真澄は芹沢を見た。「一条さんに会いに──?」
 芹沢は頷いた。「考えてもみてよ。世間はクリスマスだぜ」
「……そうか。そうよね」と真澄も頷き、中大路に言った。「彼女さん、横浜にいてはるの」 
「そうなんですか」中大路は芹沢を見た。「じゃあ当然そちらを優先ですね」
「まあね」
「だったら無理は言えません。残念です」
「思ってねえくせに」芹沢はふんと笑った。
「あ、いえ──」
 中大路は言葉を濁した。少し大袈裟だが、彼は困惑していた。昨日、場所が場所だったとは言えあれだけ無愛想で焦臭かった男が、今日はまるっきりフレンドリーで爽やかなことにさっきからずっと驚いていた。
 廊下を進み、ダイニングに続くドアの前に来ると芹沢は真澄に向き直って言った。
「……それにしてももったいねえなあ、こんな可愛いコをみすみすよその男に取られるなんてさ」
 またしても例の常套句である。しかも、今回はその『よその男』を目の前にして。
「え、そんな──」
 真澄がまんざらでもない顔をしてそう言いかけたところで、芹沢が声を上げた。
「ってっ──!」
「え?」真澄は顔を上げた。
「ちょっと、なに言ってんのよあんた」
 芹沢の後ろから麗子が顔を出した。奥にある階段から下りてきたところで、芹沢の言葉を聞いていたのだ。
「……なんだよ痛えなあ」芹沢は後頭部に手を当てた。どうやら麗子に殴られたらしい。
「ったく、油断も隙もないわね。節操もないし」
「ちょっと言ってみただけだろ」
「それがダメだって言ってんのよ。あなたみたいな顔の男が言うと、それだけで罪になるの」
「意味分かんね。だいいち、そっちが怒ってどうすんのさ」
「一条さんの代わりに言ってんのよ」
「は?」芹沢は眉根を寄せた。
「言っとくけどね、あたしも真澄も、一条さんと連絡先交換したんだから」麗子は腕組みをして真澄に振り返った。「ね?」
 真澄はうんうんと頷いた。
「だからどうだって言うのさ」
「外堀を埋められてるってことよ」麗子は不敵な笑みを浮かべた。「観念するのね」
「……何なんだよまったく」
 芹沢は面白くなさそうに言うと、中大路を見た。「とんだとばっちりだよ」
「あ、はぁ……」中大路は苦笑いを浮かべた。
 そのとき、ドアが開いて鍋島が顔を出した。
「いつまでごちゃごちゃやってんねん。早よ入ってこいよ」

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