Ⅰ.突きつけられた現実ー③

文字数 2,775文字

 静寂に包まれた病室のベッドで、二宮は寝付けずにいた。

 左肩の痛みは、薬が効いていて感じずに済んでいた。脳しんとうの方も大丈夫だ。
 精神的ダメージはあるかというと、それなりに打たれてはいたが、さほど深刻でもない。
 夕方にこの病院に運び込まれて、診察と処置を受け、医者の説明を聞き、入院の手続きをして山下署に明日の欠勤連絡を入れた。課長に嫌味を言われたが、それも特になんとも思わず受け入れた。そして最後に一条への報告を残していたのだが、もしかするとすでに芹沢経由で伝わっているだろうかと思っていたところに、その一条からメールが入った。

 ――課長から聞きました。骨折で入院って、どういうこと? 大丈夫なの?
  いったい何があったの? 無理をしたか、彼が無理させたんじゃないの?
  あなたからも彼からも一切連絡が来ないから、ずっと心配してたの。
  辛くないようなら、落ち着いてからでいいので連絡ください。

 その時点では、芹沢はまだ一条には連絡していなかったらしい。文面からは驚きが見受けられるし、かなり心配もしているようだ。
 二宮は早く連絡をして一条を安心させなければならないと思うと同時に、どうやらあれこれと問い詰められそうだと、ちょっと億劫にもなり、ずっとそのままにしていた。

 さて、どう説明すればいいか。あまり大ごとに受け取られるようなことは言いたくなかったし、疲れてもいるから、できれば手短に話を終えたかった。かと言って、あの一条を邪険にもできないし、できるはずがない。二宮は頭を抱えた。
 抱えながら、何でそんなふうに考えてしまうんだと自分に問いかけた。

 それは――
 今日一日で、すっかり思い知らされたからだ。
 自分という男が、ちっとも自分で満足のいく人間でないことを。

 自分なりに頑張ったはずだった。単独での張り込みと尾行に始まって、芹沢と合流してからも得意分野を活かし、要所要所で役に立った。芹沢もそこには驚いていたし、場合によっては呆れてもいた。個人的人脈も土地勘もない中、芹沢だけが頼りだったが、かと言って決して足手まといにだけはなるまいと、普段の仕事以上に身体を張った。
 その必死の努力の甲斐もあって、捜索人は無事、生きて見つかった。

 その結果がこれだ。

 ――いや、違う。違うんだ。
 怪我を負ってしまった自分に満足がいかないんじゃない。
 結局は――
 突きつけられたからだ。
 自分と、あの男との違いを。

 容姿については、それはもう最初から歴然としている。しかも、ただの造形の問題ではない。その完成された姿かたちから発せられるすべての表現において、あの男は完璧だった。だから当然のようにそこが自信になっているらしく、男としての魅力にも溢れていた。
 佇まい、仕草、話し方、ときにはため息に至るまで、いちいちが艶っぽいのだ。
 これはもう仕方がない。張り合う気すらない。だから、そこで愕然としているわけじゃない。
 刑事としての力量。性格や手法の違いということもあるだろうが、確かにあの男は一貫して落ち着いていてそつがなく、決断も行動も早かった。しかし、今日一日に限って言えば、飛び抜けて優秀な刑事だと思わせるほどの目を見張る場面があったわけではなかった。自分よりは確かに経験値は高いなと、そこを認めるにとどまった。
 だったら、人間としてのスケール――ちょっと大げさだが――はどうかというと――。
 正直、よく分からない男だと思った。
 話していても発言は適当だし、軽い。たまに真面目なこと、核心を突くようなことを言って聞いているこちらを唸らせたかと思えば、すぐにいい加減な物言いに戻り、へらへらと笑っている。細かいことにはこだわらないように見えて、実は物事の細部までよく見ているし、気配りもある。だからと言って、こちらが落ち込むほどの器の違いを見せつけられたわけでもなかった。

 ただそんな中、なんと言っても困惑させられたのは、真面目なときであろうがふざけていようが、あの男に終始一貫してまとわりついている、孤独感というか拒絶感というか、周りの一切を受け付けようとしない、強い排斥の空気を感じることだった。周囲との間に厚い壁を作っているというより、限りなく澄んではいるものの鋼鉄のように硬い、決して壊れることのない透明なケースの中にいるかのようで、それが二宮を戸惑わせた。この男には何かある。容易には触れ難い何かが。それが何かは分からないし、分かろうと思えばいつもの自分なりのやり方でそれも可能なのだろうが、そうする気にはなれなかった。なぜなら――あの男にそうするのはフェアじゃないと思うからだ。
 これまで散々アンフェアなことをやっておいて、今さらなにカッコつけてるんだ、と思ったが、二宮はそこにこだわった。中大路の件に関しては、自ら進んで首を突っ込んだとは言え、仕事でもない完全なボランティアで、時間に追われる中で結果を出すために手段など選んでいられなかったし、そこに何の抵抗もなかった。しかし、それとこれとは違う。あの男に卑怯な手は使いたくない。どうしても対等でいたい。二宮はそう強く思った。

 と言うのも――

 今日一日で今までやったことのない格闘劇を二回もやって、その二回ともで無様な姿を晒す結果に終わり、二宮は悔しがった。その様子が意外だったのか、あの男は警察官になった理由を訊いてきた。特に強い理由はなくなんとなくだ、子供の頃から多少は正義感の強い方だったし、警察官になれば自分みたいな人間でも役に立つことがあるんじゃないかと思ったからだと答えると、そのくらいがいいのかもなとあの男は言った。そういう曖昧さの方が、相手に合わせる柔軟性を持つことが出来るだろうし、それが意外と必要なのだろうと。
 二宮はそのときなぜか、あの男がそれを警察官に必要な資質として話しているのではなく、一条の相手としての意味だったように思った。なぜそんなふうに思ったかと、今思い返すと答えは出ないが――いや、もう出ているのではないか。

 俺は警部のことが――

 だから彼女に返信できないんじゃないか。

 だから、自分とあの男との違いを思い知って途方に暮れているんじゃないか。

 二宮は身体の向きを変えようとして、その瞬間に肩に痛みを覚え、慌てて元に戻した。

 ――どうする。負け戦に挑むか? ちょっとやそっとの負けじゃない。今日のチンピラ相手の無様な負けなんかとは比較にならない、圧倒的な敗北だ。いわゆるフルボッコというやつ。その覚悟があるか?

 まさか。そんな勇気、どこにもない。
 二宮は手にしていたスマートフォンを枕元のサイドボードに置き、電気を消した。


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