文字数 1,342文字


 相変わらず、よそよそしい土地だと鍋島勝也(なべしまかつや)は思った。

 京都市のほぼ中心部、南北に走る河原町(かわらまち)通りを挟んで市役所と堂々対峙する老舗ホテルも、今はメインロビー中央に置かれた天井にまで届かんばかりの巨大ツリーをはじめとするクリスマスデコレーションのおかげで、落ち着いた中にも華やかさが感じられた。
 その一階のカフェで、鍋島は表通りの賑やかな往来を眺めながら熱いコーヒーを飲んでいた。
 十二月も半ばを過ぎ、あと十日もすればこの国のほとんどが休暇に入る。
 自分はここ七年ほどそういう世間の習慣とは無縁の生活をしていたが、そのあいだに誕生日を迎えることもあって、この時期特有の慌ただしさや、どこか浮ついた期待感のようなものを、一応はちゃんと意識するのだった。

 そんな年の暮れの一日、しかも完全なる休日を、京都の一流ホテルのカフェなんかで過ごしている。
 外は寒そうだが、全面ガラスを通してテーブルに降り注ぐ目映い日射しと薫り高いコーヒーのおかげで、こちらは体の隅々まで暖かい。
 昨日までとは考えられない、なんとも贅沢な時間だった。

 京都は学生時代を過ごした街だ。
 昔から、関西人の間でよく言われる言葉に、「京都で学び、大阪で働き、神戸に住む」というものがある。
 学生の街・京都で学び、商都・大阪で職を得て、住環境の良い神戸に住む、これが関西人の理想だというのだ。
 その(いわ)れ通りにまずは京都の大学に通ったからというわけではないが、四年間が楽しくてあっという間だった。
 世の中は不景気で、自分たちにも金はなかったが、若い身体と無鉄砲とも言える心意気があったから、思いつくままにバカをやって、ときどき勉強して、かけがえのない友をたくさん得たし、最愛の女性とも出会った。
 けれども、彼にとっては、そんな宝箱のような毎日を過ごしながらも、ここはどうにも窮屈な街だった。

 確かに、人口に対する学生の割合は約一割と、他の都市に較べて群を抜いている。だから人々は学生に親切で、学生にとっては心地よい土地なのだろう。
 だけど京都人は、学生と観光客以外のよそ者には異様に厳しい。
 それに京都人は、未だに京都が日本の都(首都)だと思っているフシがある。
 その上京都人は、他から大阪や兵庫と京都をひとくくりにされると、
「あんなとこといっしょにせんといて」
 とあからさまに気分を害する。
 挙げ句に近畿二府四県の残りの滋賀、奈良、和歌山に至っては、
「ああ、そういうたらなんや、そんなとこもありましたなあ」
 くらいの認識だ(さすがにここまでくると大っぴらに口には出さないが)。
 こんな話、いまさら別に珍しくも何ともない。アホらしくてたちまち目くじらを立てるほどの理由にもならかったし、実際、生まれ故郷の次に馴染みのある場所ではあったので、そこそこ親しみはある。
 それでも、とにかくよそよそしいところだという思いは拭えない。
 それは何故だろう。
 やっぱり、先述の京都人気質のせいか。いや、きっともっと単純な話だ。
 つまり、自分が生粋の大阪人で、ここが京都だから。

 ──ま、どうでもいいわ。よそよそしかろうが窮屈だろうが、俺にとっては、今日という日をここで迎えたことに何よりの意味があるのだ。
 何故なら、今日は真澄(ますみ)の結婚式なのだから。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み