Ⅱ.独り立ちー③

文字数 3,459文字

 その日の夕方、芹沢は二宮とともに京都駅に向かうタクシーの中にいた。
「──遠いところを迎えに来てもらってすいませんでした」
 二宮が言った。「しかも、わざわざ送っていただくなんて」
「遠いって、電車で四十分足らずだぜ」
 芹沢はギプス姿の二宮を眺めた。左肩から上腕にかけて固定されており、ジャケットもコートも腕は通せずに羽織っているだけだったので、なんとも動きにくそうだった。
「怪我人がよその土地で一人じゃ大変だろ。それなりに荷物もあるし」
「でも、仕事だってまだあったんじゃないですか」
「言ったろ昨日。一段落着いたって」芹沢は腕時計を見た。「そっちこそ、退院の時間を遅らされて迷惑だったろ。もっと早く帰りたかったよな」
「いえ、どうせ寮ですから、早く帰っても一人で不便なだけです」
「ならいいけど」
「それで、見つかった婚約者は事情を話したんですか」
「今夜、鍋島の彼女ん()に来て話すそうだ」
 そう言うと芹沢は二宮に振り返った。「あ、鍋島の彼女ってのは──」
「花嫁の従姉ですね」
 そう、と芹沢は頷いた。「知ってるよな、それくらい」
「調べたわけじゃありませんよ。警部から聞いたんです」
「そうか」
「芹沢さんも行くんですか」
「どうしようかなと思ったんだけどな。あんま興味ねえし」芹沢は二宮を見た。「けど、知りてえみたいだしさ」
「ボクはどっちだっていいですよ」
「いや、みちるが」
「あ──」二宮は言葉を切った。「……そうですよね。あの人なら知りたがる」
 そして二宮は俯いた。芹沢の口から一条の下の名前が出てきたことに、素直に動揺していた。
 その様子を見て芹沢は口元を緩めた。「あいつと組んでどれくらい?」
「いえ、最近ちょくちょくお互いの担当案件を手伝うことがあるだけで、正式には組んでません」
「手を焼くだろ」
「そんなことありませんよ……ちょっと強引でかなり高飛車なだけで」
「えれぇ言われようだな」と芹沢は笑った。「ダメじゃねえかそれ」
「好きなんじゃないですか? そういうとこ」二宮は振り返った。
「はぁ? なに言ってんだ」
「すべてはあの人の正義感から来るものでしょ」二宮は大真面目だった。「見習いたいくらいだ」
 そう言ってまた俯いた二宮を見て、芹沢は小さくため息をつき、腕を組んだ。
「それなりに正義感はある方だって言ってたじゃねえか。昨日」
「そりゃ人並みより少しはありますよ。警察官になろうってくらいですから」
「俺は全然無いけどね」
「そんなことないでしょ」
「いや、それっぽく見せてるだけでさ」
「そう言ってるだけで、ホントはあるはずだ」
「決めつけんなよ」芹沢は言って、窓の外を見た。「──外、寒いんだろうな」
「京都は特に寒いって言いますよね」二宮も窓に顔を近づけた。「ボクは平気ですけど。寒さに強いんで」
「北国出身?」
「鎌倉です。言ったと思うけど」
「そうだっけ」
「やっぱり九州は暖かいんですか」
「ここよりはな」芹沢は窓を向いたまま頷いた。
「大学は──東京でしたよね」
高田馬場(たかだのばば)に住んでた」
 二宮はああ、と頷いた。「『都の西北』ですか」
「うん。そっちは?」
横須賀(よこすか)線で渋谷まで通ってました」
表参道(おもてさんどう)のオシャレ大学ね」
「言い方に棘がないですか」
「別に。だってそうだろ」芹沢はようやく振り返った。「女の子、可愛いよな」
「……やっぱそこなんですね。重要なのは」
「あたりまえだろ。キャンパスライフの生き甲斐だろうが」芹沢は楽しそうに言った。
 やがてタクシーは京都駅八条口に到着し、二人はそのまま新幹線改札口に向かった。

 すっかり暗くなって空気の冷たい新幹線の上りホームに上がってきた芹沢と二宮は、五分後に到着する乗車予定ののぞみを、乗降口から少し離れて待った。
「──じゃあこのあと、従姉さんの家に行くんですね」
「ああ。どうせだしな。鍋島が美味いカレー作るって言ってるし」
「へえ、鍋島さんって料理するんですか」二宮は純粋に驚きの表情を浮かべた。
「そこいらの定食屋やレストランなんかよりはるかに美味いぜ。あいつのどこにそんな才能があるのかいまだに分からねえけど」
「それは食べてみたいな」
「機会があったら、お勧めするよ」
「よろしくお伝えください」
 二宮はにっこりと笑った。そして、あらためて芹沢に向き直ると丁寧に頭を下げて言った。
「いろいろとお世話になりました」
「こっちこそ。何の義理もねえのに助けてくれて、ホントに感謝してる」
 芹沢は言うと二宮の左肩を見て表情を曇らせた。「怪我までさせて、申し訳なかった」
「結局は足手まといになっちゃって」
「そんなことないさ。心強かったよ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
 すると芹沢は少し困ったような顔をしたかと思うと、戸惑いがちに言った。
「……面倒かけると思うけど、よろしく頼むよ」
「えっ?」
「俺が言うのって、違うとは思うけど」
「……警部のことですか?」
「ああ」
「いいんですか、そんなこと言って」
「そうだな、やっぱ筋が違うよな」芹沢は首をひねった。「忘れてくれ」
「そういうことじゃありませんよ」と二宮は小さく笑った。
「え?」
 顔を上げた芹沢に、二宮はたっぷりと間を取って言った。「ボクにそんなこと頼んでいいんですか、ってことです」
「と言うと?」
 芹沢も笑みを浮かべて二宮をじっと見た。

顔だった。
「……いえ、別に」
 芹沢の射るような視線を受けて二宮は怯んだ。思わず目線を外し、俯いて小さく咳払いをした。自分から挑発したくせに、すぐに挫けてしまった。我ながら情けなく思った。
 二宮の乗車する新幹線が、まもなく到着するとのアナウンスが流れた。二宮はそばのベンチシートに置いた荷物を持った。
「気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
「じゃ」芹沢は踵を返してその場から離れようとした。
「芹沢さん」
 芹沢は振り返った。ボリュームを上げたアナウンスが流れ、新幹線がホームに滑り込んできた。
「──あの、実はボク、ひとつ嘘をついてたことがあるんです」二宮が少し声を強めた。
「嘘?」
「ええ、あの──」
 言い出したものの、結局二宮は言い淀んだ。荷物を持ったまま、俯いて鼻を掻く。「えっと、あの──」
「彼女なんていねえんだろ」 
「えっ」二宮は顔を上げた。
 芹沢はその口元に微かに笑みを浮かべて、じっと二宮を見ていた。しかしその目は、勝ち誇ったようにも、戸惑ったようにも見え、ひとことでは言い表せない、複雑な色をしていた。
「言った瞬間に嘘だって分かってたぜ」
「……そうですか」
「今んなって白状するのは気に入らねえけど」
「あの──」
「じゃあな」
 芹沢は言うと、今度こそ二宮に背を向けて立ち去った。
 
 窓側の座席についた二宮は、片手による慣れない動作で荷物を棚に上げ、コートを脱ぎ、無造作にたたんで同じように棚に預けた。シートに腰を下ろしてテーブルをセットし、スマートフォンと切符を置いてふうっと長い息を吐いた。
 背もたれに体を預け、二宮はしばらく(くう)を見つめていた。列車が静かに動き出した。
 やがて突然、自由の利く右手で拳を作り、窓枠の下の部分にドンと打ち付けた。隣席の初老の男性が驚いて振り返り、怪訝な眼差しを向けてきた。
 ゆっくりと目線を上げると、暗い窓に、暗い表情の自分が映っていた。

 改札を出て在来線の大阪方面行きホームに向かいながら、芹沢は買い換えたばかりのスマートフォンで一条に電話を入れた。
「──俺」芹沢はエスカレーターを下りた。「今、見送ってきた」
《──二宮くんのこと?》一条が訊いた。
「ああ。九時半くらいにはそっち着くんじゃねえか」
《今からだと、それくらいでしょうね》
「迎えに行くのか」
《そんな予定ないけど》一条は軽く笑いながら言った。《どうして?》
「いや、何となくそうかなと思っただけ」
《ふうん……》
「何だよ」
《妬いてるんでしょ、やっぱり》
「そんな風に聞こえたか?」
《はっきりとは聞こえないけど、そうじゃないかなって》一条の声は楽しそうだった。《いい加減、正直に言ったら?》
「そうか」芹沢は俯いて口元を緩めた。「──ああ。たぶんそうだな」
 ホームに電車が入ってきて、芹沢は電話を切った。


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