Ⅳ.ベランダ越しの生存確認ー②

文字数 3,257文字

 その頃、鍋島と芹沢の二人は、真澄たちの新居マンション周辺の調査を一通り終え、冷めかけの缶コーヒーを飲みながら賀茂川の土手沿いを歩いていた。

 マンションに着いた二人はまず、コンシェルジュを訪ねた。
 思った通り、まるで交渉にならなかった。
 あたかもゴミにいたずらをするカラスを追い払うがごとく、けんもほろろにあしらわれた。
 ただ、今の自分たちがいかに無力かを承知している彼らはあっさりと引き下がり、次にマンションの周辺を一時間ほど回ってみた。そしてそこでも、近隣住民や周辺に住んでいると思われる格好の通行人、コンビニなどの店員からかなり訝しげな視線を向けられた結果、その甲斐もなく、昨日の一件についての目撃情報は出てこなかった。
 中大路がどうやって姿を消したのか、それを推測させる何かが起きていたのかいないのか、他の誰かが関わっているのか。分かったことなど無かったのだ。

「──まぁ、こんなもんやろ」
 煙草の煙を細長く吐き切り、鍋島は言った。
「そうだな。丸腰にできることなんてたかが知れてる。近隣住民に不審者扱いされて通報される、なんてことがなかっただけ御の字だぜ」
 冬の陽光をキラキラと反射(はねかえ)す川面を眺めながら落ち着き払って言った芹沢の言葉に、鍋島は面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。
「おまえの言うた通りやな」
「何が」
「中途半端もええとこやって」
 吐き捨てるように言った鍋島に、芹沢は苦笑した。
「……ったく執念深けぇな、おまえは」
「別に、おまえに怒ってるわけやない」
「自虐ネタか。それもめんどくせぇよ」と芹沢は呆れたように口元を緩め、コーヒーを飲んだ。「けどまぁ、事実だろ」
 鍋島は俯いた。「結局は──」
「あーもういいからよ。今さらぐだぐだと辛気くさい反省はやめてくれ」
 芹沢は眉間に皺を作った。
「…………」
「おまえの悪い癖だぜ。それより、こっからどうするかだ」
「おまえはどうしたい」
「……俺?」
 芹沢はちょっとむっとした表情で鍋島を見下ろした。「俺がどうしたいかってか?」
「ああ」
「俺は(ウチ)に帰りてえ。みちるを連れて」
「……そうやったな」
「いきなり自信無くなったからって、投げるんじゃねえよ」
 芹沢は溜め息をつき、少し先の道端に置かれたごみカゴに歩み寄って空き缶を捨て、その場で鍋島が追いつくのを待った。
「体勢立て直すしかないな」
 鍋島は言いながら近づいてくると、短くなった煙草を空き缶に入れた。微かに、缶の底でジュッと音がした。
 すると芹沢が言った。
「……ちょっと遅かったかもよ」
「えっ?」
 顔をしかめた鍋島に、真顔の芹沢は顎で後ろに振り返るように促した。
 鍋島はゆっくりと首を回した。そして小さく舌打ちした。
 二人の視線の先には、自転車に乗ってこちらに向かってくる警察官の姿があった。
「どうやら俺たち、つまんねえ置き土産をしてきたみてえだな」
「……めんどくさ」
 鍋島は呟き、その煩わしさを一緒に捨てるかのように無造作に空き缶を投げ入れた。
「どいつもこいつも、嫌味なくらい丁寧な態度だったくせに、あとでこの仕打ちか。奥ゆかしい連中だぜ、まったく」
「京都人は嫌いか」
「よそ者で好きなヤツがいたら、お目にかかりたいもんだ」 
 そう吐き捨てた芹沢に、鍋島は皮肉っぽく口元を緩めた。
「──そこのお二人、ちょっとすいません」
 制服警官が声をかけてきた。二人より一回りは年配と思われ、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべながら近づいてくる。逞しい体つきが、その笑顔と少しアンバランスだった。
「はい」と鍋島が返事をした。
 制服警官は二人の少し手前で自転車を降り、そのまま押して近づいてきた。ふうふうという荒い息づかいが、彼がそこそこの距離かもしくはスピードで自転車を漕いできたことを表していた。
「ちょっと話、聞きたいんやけど」
「何ですか」
「きみら、ここで何してんの」
「散歩」
「こんな寒い日に、男二人で?」
「あかんの?」鍋島はふて腐れたように訊き返した。
「いや、あかんことはないけどね。何でかなぁと思って」
「何かあったんスか」芹沢が訊いた。
「何、ってことはないけれども。ちょっと、ご近所さんから連絡もらったんやわ」
「どんな?」
「いやまあねぇ……」
 警官は困った、という表情を浮かべて笑った。しかし、細めた瞳の奥ではしっかりと目の前の二人を値踏みしていた。
「別に俺ら、人の迷惑になるようなことはしてませんよ」
「うん、分かってるよ。でもほら、最近は何かと物騒やろ。自分()の周りにちょっと見かけへん人がいたりすると、誰でも警戒するんやわ。それでほら、すぐにお巡りさんに連絡してきはるねん」
「だからって、ただ散歩してるだけの俺たちに──」
「散歩してるだけやないやろ?」
 芹沢の言葉を、警官はぴしゃりと遮った。もう笑ってはいなかった。
「……どういうことですか」
「向こうの新築マンションの何がそんなに気になるんや」
「新築マンション?」
「とぼけるな。いろんなとこから連絡もろとるねん。若いのが二人、あのマンションのことを嗅ぎ回ってると」
「それがどうして俺たちだと?」
「分かるに決まってるやろ、こうも毎日ウロウロしたら──」
「毎日?」と鍋島が片眉を上げた。「毎日って、どういうこと」
「今日だけのことやない、全部分かってると言うてるんや」
「今日以外に、いつのことを言うてはるん?」
「せやから全部やと言うてるやろ。かれこれ二週間になるなぁ、おまえらがあのマンションの周りをうろつき始めて」
「それって、俺らみたいな年格好のヤツやった?」
「いつまでとぼけるつもりや──」
「どうやねん。ハッタリかましてんのと違うやろな」
「おい、言葉遣いに気ぃつけろよ」と警官は鍋島を睨みつけた。
「知ったことか。それより俺の質問に答えろ」
「貴様……」
 警官の目つきがさらに険しくなった。しかし、その直後に何かに気づいたような表情になると、怪訝そうに目を細めて二人を交互に見比べた。
 やがて警官は言った。
「……同業者か」
 芹沢がふんと鼻を鳴らした。「おあいにくさまだったな」
「どこの管轄(シマ)のモンや」
「答える義務はねえな」
 そう言うと芹沢は鍋島に言った。「行こうぜ」
 二人は警官に背を向けて歩き出した。
「丸腰のところを見ると、よそモンか」
「だから、答える義務はねえ」
 芹沢は前を見たまま言って、ジャケットのポケットに両手を突っ込むと歩調を早めた。
 代わりに鍋島が立ち止まり、ちらりと警官に振り返った。
「あの

に言うといてんか。また来るってな」 
 そう言うと鍋島は芹沢の後を追った。
 警官は、それっきり何も言ってこなかった。

 芹沢に追いついた鍋島は、不満げに言った。
「なんでもうちょっと食い下がらへん」
「同業者だぜ。あっさり喋るとは思わねえな」
「……そうか」
「だろ」と芹沢は言うと鍋島を見下ろした。「熱くなんなって」
 その時、芹沢のジーンズの後ろポケットで携帯電話が鳴った。芹沢は電話を取り出し、ディスプレイを開いた。
「もう一人の同業者からだ」
 芹沢は通話ボタンを押して右耳に当てた。「もしもし」
《何か分かった?》
 一条が訊いてきた。
「うっすらとだけ」
《こっちも同じ。それで、今から京大に行くの》
「きょうだい? 京都大学のことか」
《ええ。中大路さんの同級生に会いにいくのよ。講師なんだって》
「ふうん」
《だから、向こうで落ち合いましょ》
「場所は?」
《図書館の前。そこからだと三十分で着くはずよ》
「分かった」
 芹沢は電話を切り、待っていた鍋島に言った。
「セレブマンションの次は一流大学だ。てっぺんばっかり見せつけられて、何だか面白くねえな」
 口元を歪めて歩き出す芹沢に、鍋島は苦笑して後に続いた。

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