文字数 2,434文字

 結局、新大阪から最終のひとつ前の新幹線に乗り、新横浜に着いたのは午後十一時を少し過ぎた頃だった。

 車内では到着ぎりぎりまで眠っていたので、いまいち頭もすっきりしておらず、しかも最後尾の車両に乗っていたためにホームに降りた場所からエレベーターは遠かったが、それでもやっと彼女に会えると思うと足取りは軽かった。

 普段、横浜に来るときの定宿は新横浜駅前のビジネスホテルだが、今日は一応、クリスマスを意識して、みなとみらいにあるシティホテルに予約を入れていた。在来線に乗り換えるため、いつもとは違う改札口に向かわなくてはならない。うっかりして在来線のダイヤを確認するのを忘れていたことに気づいた芹沢は、立ち止まってコートの内ポケットからスマートフォンを取り出し、ようやく慣れて来た操作で乗換案内アプリを呼び出した。

 ――菊名(きくな)東横(とうよこ)線に乗り換えて、その次は――

 芹沢は乗り継ぎルートと時間を確認した。大丈夫だ、まだ余裕はある。
 画面を見ながらゆっくりと歩き出した。ほとんどの乗客が去ったホームは、人もまばらになっていた。
 一条には大阪を出る際に新幹線の到着時刻だけを伝えてあった。みなとみらい駅に着く時間をメールしようと、今度はメールアプリを開く。もともとまめにメールを送るタイプではなかったので、要件だけを伝える味もそっけもない内容になった。
 まぁいいや、と芹沢は思った。三十分後には顔が見られるのだ。今度こそ二人っきりで、たっぷりイチャイチャしてやるぞ。どうせクリスマスの横浜はどこも人だらけだから、ずっとホテルの部屋で過ごしたっていい。

「――歩きスマホ、危ないわよ」

 前方で声がした。聞き慣れた声だった。
 顔を上げると、ほんの五メートルほど前に一条が立っていた。
「あ……」
「マナーを守らなきゃダメよ」
 純白のハーフコートの裾からシャンパンゴールドのチュールスカートを覗かせ、黒いタイツに同じく黒のドレスシューズを合わせた一条は困ったように言った。白と黒のツイード生地のバッグと、光沢のある紺色の紙袋を持っている。髪型は普段とは違って、裾から半分くらいを軽やかにカールさせ、その間からゴールドの小花のピアスを覗かせていた。ちょっと前から伸ばしていると言っていたが、どうやら今日のためだったようだ。
「……どうしたんだよ」芹沢は言った。
「何が?」
「その格好」
「え?」
 一条は微かに眉をひそめ、口許に手を当てて自分の格好を見直した。「やだ、どこか変?」
「……めちゃくちゃ可愛い」
 芹沢は溜め息まじりに言った。「クリスマスって、そんなにバージョンアップするんだ」
「もう……」一条は照れ笑いをした。「うん。ちょっと頑張ったかも」
 芹沢は嬉しそうに微笑むと、一条の前まで行き、黙って彼女を抱き寄せた。一条は戸惑いながらも、芹沢の胸にぴったりとその頰を付けた。
 ああ、五日間頑張ったご褒美ってやつだなと芹沢は思った。ボランティアを通り越してただのドMのお仕事プレイとしか思えないようなことをやって来て、もはや自分の馬鹿さ加減が理解できなかったが、それが今、この瞬間にすべて報われた気がした。

 そして――

「……渡さないから」
 芹沢は静かに呟いた。
 一条はその言葉に込められた意味が分かって、芹沢の背中に回した腕に力を入れた。

 ――大丈夫よ。わたしも決してあなたから離れない――

 身体を離すと、一条は芹沢と並んで腕を組み、 晴れ晴れとした表情で言った。
「決めたわ」
「うん?」
「実家を出て一人暮らしをするの。新横浜(ここ)の近くに部屋を借りるわ」
「大丈夫なのか?」
「何が?」一条は芹沢を見上げた。
「いろいろ。諸事情」
無問題(モウマンタイ)。何も問題ないわよ」
 一条は冗談ぽく言って肩をすくめた。「合鍵を渡してあげる。貴志はいつでも好きなときに、可愛いわたしに会いに来ていいからね」
 そして彼女はにこっと笑い、「ね?」と言って芹沢の顔を覗き込んだ。
 芹沢は眉を下げ、一瞬デレっとにやけ顔になったが、すぐにいつもの不敵な笑顔を浮かべ、「それはそれは」と言って彼女の手を取り、しっかりと繋いで歩き出した。
 一条が言った。「ごはん行きましょ」
「え、今から?」芹沢はちょっと顔をしかめた。「もういいんじゃねえか」
「ダメよ。二人で初めてのクリスマスなんだもの。お店も予約してあるのよ」
「こんな時間から?」
「今日は特別よ。と言っても、明け方までやってるカジュアルなフレンチバルだけど」
「へえ、みちるにしちゃめずらしいな」
「だって、あなたは今日仕事だったから、どうせ遅くなると思ってたもの。予約の難しいお洒落なレストランは無理だろうなって」
 一条は言うとふん、と得意げな笑みを浮かべた。「プレゼントも買ってあるのよ。あなたの職場に届いたのとは違って、わたしのは特別なんだから」
「……ちょっと怖い気がする」
 芹沢は言うと片目を閉じた。なによ、と一条は頰を膨らませ、くるりと瞳を動かして拗ねて見せた。芹沢はそんな彼女の肩を抱き、その髪に唇を寄せた。一条は満足げな笑みを浮かべると、さらに表情を明るくして言った。
「そうだ。夕方、野々村さんからメールが来たの。鍋島くん、披露宴会場までお祝いに来てくれたって」
「そうみたいだな」
「貴志のおかげだって。お礼言っておいてねって」
 すると芹沢は小さくかぶりを振った。
「いや。あいつの意志さ」
「……そうか。そうよね」
 一条はしみじみと頷いた。

 こうして二人は、エレベーターに消えて行った。

 誰もいなくなったホームに、透き通った冬の風が吹いた。


                                 <了>



 ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係はありません。


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