Ⅲ.意外な接触者ー①

文字数 3,746文字


 二宮と芹沢の乗ったレンタカーは名神高速を東へ進み、大山崎(おおやまざき)ジャンクション付近を走っていた。
「──林はなぜ、関係の切れていた中大路に近付き、わざわざ引き込んだんでしょうね」
 前を見たままの二宮が、ハンドルに小刻みに指を打ち付けながら言った。
「さあな。他に頼れるところがなかったんじゃねえの」
 芹沢は素っ気なく答えた。
「それだけですかねぇ?」二宮は眉を寄せて口を歪めた。
「他に何かあるって?」 
「だって、彼女が何らかの違法行為を犯そうとしてるのなら、そこに音信不通だった他人を巻き込むのはそう簡単じゃないと思うんですよ。危険が伴います」
「何か弱みでも握ってたんじゃねえか」
「音信不通の相手の? そんなもんでしょうか」
「腑に落ちねえ?」
「どうもね」
「まあ、そりゃそうか」芹沢はふんと笑った。
「芹沢さんはそういうの気にならないんですか」
「別に。仕事じゃねえし」
「なるほど、はっきりしてますね」
「もっと手がかりの少ないときならまだしも、こうやって目の前走ってくれてんだからさ。あれこれ考えるのはもう終わってるかなってな」
「確かに」
「ま、それもあいつらがこのまま俺らを中大路んとこに連れってくれての話だけど」
「ええ。とにかく明日までに何とかしないと」
 そう言った二宮の横顔を芹沢はじっと見つめ、そして言った。
「俺はあんたが、無関係なのにやけに親身につきあってくれてることの方が腑に落ちねえけど」
「だから、それは正直に言ったでしょ。一条警部の恋人の顔を見たくなったんだって」
「聞いたよ。だったらもう見たんだし、テキトーにして帰ったっていいんじゃねえかと思ってさ」
「乗りかかった船です。それも言いませんでしたか」
「そっちは聞いてないような気がする」
「どっちにしろ、今さらいいじゃないですか」
 そう言うと二宮は芹沢に振り返った。「それとも、やっぱり迷惑ですか? 興味本位で自分の顔を見に来た男と行動を共にするのは」
「……まあ、それもどっちだっていいことか」
「でしょう。今はそう言ってる場合じゃないですよ」
「へいへい、分かりました」
 やがて前を走る淑恵たちの車がウィンカーを出して車線を左に変えた。
「え、次で下りるんですかね」
 二宮に言われて、よそ見をしていた芹沢は正面を向いた。
「早いな。まだ京都南インターだぜ」
「そこから滋賀には行けるんですか?」
「そりゃ行けるけど、滋賀だったら大津(おおつ)とか──湖西(こせい)方面に向かう場合は早めに京都東で下りることもあるけど、どっちにしたって次じゃ早すぎる」
「先に京都に用があるんですね」
「っていうか、俺たちが滋賀に行くって決めつけてるだけで、目的地は当初から京都かも知れないだろ」
「そりゃまあ、そうですけど」
「あんまり決めつけねえ方がいいのかもな」
 そう言いながら溜め息をつき、芹沢は淑恵たちの車をじっと見据えた。「どうもあいつら、ブレてる」
「迷ってるってことですか」
「うん」
 芹沢は言うと面白くなさそうに口許を歪めた。「物騒な連中使って中大路を拉致ったにしちゃ、その後の行動が地味すぎる。それは次の行動に備えて慎重になってるというより、何か考えあぐねてるような──おたくの言うとおり、迷ってるように見えてしょうがねえ」
「だとすれば、迷ってるあいだは中大路氏の身は安全と見るか──」
「逆に危険と見るか」
「……どっちにもとれるってわけですか」
 溜め息と共に二宮は言って、ハンドルを左に切った。
 高速を下り、淑恵たちの車を追って二宮はレンタカーを北へと走らせた。十五分も走ったところで、芹沢にとって見覚えのある場所へとやってきた。
「──え、ここって確か──」
「知ってるんですか」
「挙式カップルの新居の近くだと思う」
 芹沢は窓に顔を寄せ、周りの風景を凝視した。「間違いねえ。地下鉄の駅から上がってきて、この辺歩いたんだ」
「彼らも新居へ行くつもりなんでしょうか」
「この流れじゃ、そうなんだろうな」
「偵察ですかね」
「何の」
「新婦の。新居に居るんでしょ?」
「いや、実家に居るはずだけど──別に見張ってるわけじゃねえし、そこは分からねえ。たまには来てるかもな」
「まさか新婦まで拉致るつもりじゃないでしょうね」
「……今さらそんな。勘弁してもらいてえよ」
「ま、そうなったら追いかけていくだけですけど」
 あっさりと言った二宮を、らしくはないが確かにこの男も刑事に違いないのだなと芹沢は思った。
 そうこうしているうち、案の定前の車が中大路と真澄の新居マンションの前に着いた。芹沢たちは一旦その脇を通り過ぎると、一つ前の角を曲がってUターンし、戻ってきて通りの向かい側に停車した。
「……うわ、凄いマンションですね」
 二宮が目を見張った。
「二人とも由緒あるセレブだってよ」
「へぇ。じゃあいっそSPでも雇ってれば良かったのに」
 二宮が皮肉っぽく言ったとき、向かいの車の後部座席が開き、淑恵がスマートフォンで話しながら下りてきた。
「あ、下りてきた」二宮は独り言のように呟いた。「偵察にしちゃ大胆ですね」
「…………」
 芹沢は黙っていた。直感的に、何か不本意なことが起きそうな気がしていた。
 すると、マンションのエントランスの自動ドアが開き、中から紺色の着物姿の中年女性が出てきた。年齢は六十前後、やや小太りの体型が背筋の通った姿勢と相まって、堂々とした風格が感じられた。上品なグレイの髪もその佇まいに似合っている。右手に和装のコートと手提げ鞄、左手にルイ・ヴィトンの大きなボストンバッグを提げていた。
 淑恵はスマートフォンを片付け、その女性に近付いた。互いに相手を認めると、両者とも軽く頭を下げ、穏やかな表情で歩み寄った。
「……えっ、誰ですか」二宮は芹沢に振り返った。
「分からねえ」芹沢は首を振った。
「分からないって、この期に及んでそりゃマズいでしょ」
 そう言うと二宮は自分のスマートフォンを取り出し、両手で横長に持つと素早い操作で中年女性の写真を撮った。
「どうするつもりだ?」芹沢が訊いた。
「着物の女性の、ボストンバッグを持ってる方の腕を見てください。かなり高そうな時計をしてます」二宮はスマートフォンを操作しながら言った。「あれはたぶん、そうそう数のある物じゃないはずです。あのおばさんならちゃんとしたところで買ってるでしょうし、識別できたら、購入者の身元が割り出せると思うんです」
 芹沢は口元を緩めた。「捜査でもないのに?」
「今さら言いっこなしですよ」
 二宮もふんと鼻で笑った。「今の時代、こういうことが出来るのは警察や国税だけじゃないですよ」
「例の、おたくなりの情報網ってやつね」
「そうです」二宮はスマートフォンの画面を見たまま頷いた。「いちいち訊くの、やめてもらえますか。そこを咎められるんだったら、もう協力はできません」
「咎めちゃいねえよ」
「そう聞こえますけど」
 そう言うと二宮は顔を上げた。「すいませんけど、今のうちに運転代わってもらえませんか。調査報告が入るかも知れないんで」
「了解」
 二宮が車を降り、助手席側に回った。芹沢は車内で助手席から運転席に移った。
「新婚カップルのどちらかの母親ってところが妥当でしょうか」
 助手席に乗り込んできた二宮が言った。
「だろうな」
 淑恵と中年女性は立ち止まり、ぎこちなく挨拶を交わしていた。
「顔見知りのようですし……中大路氏の方ですかね」
「そうか? 初対面かも知ンねえぞ」
「車に誘ってますよ」
 二宮の指摘を受けて、芹沢がギアを入れた。それと同時に、二宮の内ポケットで着信音が鳴った。
 スマートフォンを取り出し、画面を見た二宮はぼそりと言った。
「……あの時計、ショパールってブランドですね。三百五十万だそうです」
「ふうん」
「文字盤に七個のダイヤが施されてるんですって」
「分かったよ。それで?」
 芹沢は二宮に振り返った。「どっちのおふくろさんだって?」
「中大路千帆子(ちほこ)、五十九歳。新郎の母親ですね」
「……面白くねえな」と芹沢は目を細めて淑恵たちを見た。「挙式前に、こういう隠しごとってどうなんだ」
 二宮はスマートフォンをしまうと、彼もまた不服そうに眉根を寄せ、声を落として言った。
「……この一件、意外とタチの悪い話かも知れませんね」
 芹沢は小さく頷いた。そしてうんざりという表情で顔を曇らせ、吐き捨てるように言った。「……また鍋島が面倒臭ぇことになりそうだ」 
 するとそのとき、淑恵たちの間で悲鳴のような声が上がった。芹沢と二宮が顔を上げると、車に乗っていたはずの大柄の男が、中大路の母親と思われる女性の腕を掴み、後部座席のドアを開けて押し込もうとしているところだった。淑恵はそれを阻止しようとしているのか、男の腕を後ろから引っぱろうとしていた。
「何だよ、あれ」芹沢が言った。「母親も拉致るってか」
「どうします?」
「……とりあえずほっとけねえな」
 芹沢の言葉で、二人は車から飛び出した。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み