Ⅵ.悲しき逢瀬ー①

文字数 4,944文字

 茜の同級生・来島(きじま)真優(まゆ)は、今朝の時点で茜の両親に起こった出来事を知っていた。
 あと三日で冬休みという今日、登校してすぐに担任に呼ばれ、真優は内心ひどく怯えながら職員室を訪ねた。しかしそこで意外にも担任の口から知らされたのは茜の両親の事件だった。朝刊の三面記事を見せられ、出来れば今日の放課後、自分と一緒に茜を訪ねてみないかと誘われた。
 この担任はいつもそうだ。教師のくせに、不登校の茜の問題を自分一人で背負い込む自信がないから、いつも真優を巻き込もうとする。真優は呆れ返って、それでも彼女自身、茜のことは別の意味で気にかかっていたから、渋々ではあったが承知した。
 そして教室に戻ると早速茜にメールを送った。しかし、休み時間の度に何度メールしても茜からの返信は無かった。無理もないとは思った。新聞によると、両親が傷害事件の加害者と被害者であるらしい。しかも事件は昨日、茜が

で真優と外出をしていたときに起こっていたらしい。
 茜はどこまでも不運だなと真優は思った。自分もこれ以上深く付き合わない方がいいような気がした。

 ところが、六時限目が終わってケータイを開くと、茜から電話とメールの着信が一件ずつ入っていた。
 茜はメールで、今日の放課後に会いたいと言ってきていた。場所はどこでもいいが、出来れば人混みにして欲しいとのことだった。その方が真優にとっても都合がいいと思うと、何とも意味深なことが書いてあったので、真優はちょっと嫌な気分がした。おそらく昨日の件についての話だろうし、それでそんな言い方になるのだろうが、両親が新聞沙汰を起こしているくせに、その“上から目線”は何なのよ。不登校の引きこもりで、つまりは心に些かの問題を抱えているのだろうし、それでちょっと仲良くしてやったらこの思い上がりだ。運のない疫病神のくせに、生意気なヤツだと真優は思った。

 ホームルームが終わると、真優は職員室に戻った担任を訪ねた。茜から連絡があったことを告げ、彼女が自分に会いたいと言ってきたと正直に話した。ただ、わざわざ自分に連絡をくれたのだから、今日のところは自分だけが会いに行った方が良いと思うと言った。担任は二つ返事で了承し(やっぱり、責任逃れがしたいんだ)、あとで必ず連絡を入れるようにと言った。
「──あっそうだ、来島さん」
 用件が済んだので帰ろうとしたところに、真優は担任に呼び止められた。
「深見さんに、論文を提出してもらうことになるって言っといて」
「論文?」
「深見さん、先週の定期テストにやっぱり出てこなかったでしょ。成績の付けようがないんだ」
 担任は背中を預けた椅子の背をギコギコと鳴らしながら言った。
「全教科ってことですか」
「もちろん」と担任は即答した。「いずれ詳細を書いたプリントを郵送するって」
「……分かりました」
「よろしくね」
 そう言った担任に途中で背を向けて、真優は職員室を出た。
 なんていい加減なヤツだ。プリントを直接自宅へ持って行き、生徒の様子を見てこようという気がないのか。問題を抱えた生徒と接触する機会を自分から放棄して、何が教育者だ。物わかりの良い生徒だけを相手に、ただ受験に勝つための勉強を教えるだけ。こんな教師なら、進学塾の講師の方がよっぽどマシだ。

 ──茜が不登校になったのは、家庭だけが原因じゃない。

 真優はやり場のない怒りをみぞおちのあたりに抱えたまま、学校を飛び出した。



 梅田のハービスプラザにある大きめサイズのホームメイドケーキが自慢のカフェで、芹沢と茜は真優の来るのを待っていた。
 アフタヌーンティーの時間は少し過ぎていたが、店内は混んでいた。クリスマスの時期とあってテイクアウトの客も多く、そのほぼ九割が女性だ。甘いもの全般が苦手で、デートでも滅多にスイーツの専門店を利用しない芹沢には、全体的に甘ったるい空気の漂う雰囲気と言い女性中心の客層と言い、まるで異次元に居るような感覚が拭えず、居心地が良くなかった。
「──女ってのは、どうしてこう甘いもんが好きなんだ」
 目の前でミルクレープを頬張っている茜を呆れ気味に眺めて、芹沢は溜め息をついた。
「好きだから」と茜は無愛想に答えた。「愚問よ」
「何だそりゃ。答えになってねえよ」
「いいじゃない。好きなことに決まった理由なんて無いもん」
 そこで、テーブルに置いた茜のスマートフォンが鳴った。茜は素早い手つきで操作し、耳に当てた。
「──もしもし」  
 芹沢はコーヒーカップを口元に運んだ。茜がうん、うんと相手に合わせて小さく相づちを打っているのを眺めながら、この少女はいったい何を隠しているのだろうと思った。
 友達が自分の代わりに援交の相手と会ったことを証明したら、自分のアリバイが成立するどころか、ますます自分は窮地に追い込まれるのだ。さっきはそのことに気づかないで友達に会わせると言っていたように見えたが、実際はそれも全部分かっていて、それでも敢えてこの方法をとった、本当のところはそうではないのか。だとしたらその理由は何なのか。
 この()は、何を知っていて、何をしようとしているのか。
 芹沢はとにかく、今しばらくはこの少女に付き合うしかないと思っていた。アル中で、記憶がなくなるまで飲んだくれた女に大の男が腹をひと突きされ、意識不明の重体とは不自然極まりない。しかしながら男が無抵抗だった点は身近な者の犯行を示唆しているように取れなくもない。
 琉斗が、今や蟻の心臓くらいに小さくなってしまったプライドを傷つけられても、父親に痛めつけられたボロボロの我が身をいとわず、この少女──つまり琉斗にとっての救世主──を守ろうとしているのなら──

 ──だったら俺は、あいつを守ってやるべきなんじゃないか。

「──近くまで来てるって」
 茜の言葉で、芹沢は考えごとを中断した。
「そうか」
「ねえ、気づいてた?」
「何を」
 茜は上目遣いで周囲を見渡した。「さっきから周りのみんな、代わる代わるあんたのこと見てるわ」
「そうかい」芹沢はふんと鼻を鳴らした。「それが?」
「……慣れてるんだ」茜はゆっくりと頷いた。
「まあな」
「琉斗が羨ましがってたんじゃない?」
「知らねえよそんなこと」
 そう言うと芹沢は入口に目をやった。「あ、あれじゃねえの」
 茜が振り返ると、レジカウンターのそばでスマートフォンを片手に店内を見回す、制服を着た一人の女子学生の姿があった。
 小さな丸顔に癖の強い栗色のショートヘアがよく似合う、一見してアスリートだと分かる引き締まった体格をした、健康的な美少女だった。
「真優」
 茜がやや声を張って呼ぶと、女子学生は茜に気付き、ちょっとだけ笑顔になって小走りでやってきた。
 しかし、途中で茜の前に座っている芹沢に気づくと、ぴたりと足を止めて芹沢をじっと見つめた。明らかに面食らっていた。
「来島真優さんですね」
 芹沢は立ち上がって会釈すると、真優をじっと見つめて言った。
「西天満署刑事課の芹沢と言います」
「刑事──」
「どうぞ、お掛けください」
 芹沢は丁寧な仕草で茜の隣の席を示すと、自分も腰を下ろした。
 真優は相変わらず虚を衝かれた表情のまま、ゆっくりと席に着いた。
「茜、どういう……こと……?」
「真優ごめん、あのね──」
「あたし、何も喋らへんから」
 真優は強い口調で茜の言葉を遮るとようやく芹沢から視線を外し、茜に振り返った。「何よこれ。あたしを騙したん?」
「えっと、まぁ落ち着いて」
 芹沢が言って、二人の後ろに立っていたウェイトレスに彼女が手にしていたメニューを要求した。ウェイトレスはメニューを芹沢に差し出し、真優の前に水とおしぼりを置いた。
「来島さん、とりあえず何か注文すれば?」
 芹沢はメニューを開いて真優に示した。「ケーキ、選んで」
 真優はケーキリストをしばらく覗き込んでいたが、やがてウェイトレスに振り返って言った。
「ホワイトアーモンドケーキ。それと、ロイヤルミルクティー」
「かしこまりました」
 ウェイトレスはメニューを下げて立ち去った。
「さてと。これでちょっと落ち着いたかな」
 芹沢は柔らかい笑みを浮かべて真優を見つめた。そしてジャケットのポケットから警察バッジを取り出し、テーブルに置いて言った。
「まず確認してくださいね。俺、間違いなく刑事だから」
 真優は恐る恐るという感じでバッジを覗き込み、それからその視線を芹沢に移すと、僅かに頬を紅潮させて言った。
「……分かりました」
 芹沢は満足げに頷き、バッジをしまった。
「実は、深見さんのご両親が巻き込まれたある事件について調べてるんだけど──」
「知ってます。新聞で読みました」
「……そうなの」茜が呟いた。
「うん。タニシが教えてくれた」
 タニシとは、例の彼女たちの担任教師のあだ名だった。“ミ

ンタロウ”の短縮形だ。
「だったら、話は早いかな」茜は自嘲的に笑った。
 芹沢はそんな茜を一瞥すると、真優に訊いた。
「それで、これはあくまでも形式的な質問で、深い意味はないんだけどね。事件のあった昨日の午後──だいたい一時から五時頃までかな──深見さんはキミと一緒にいたってことらしいんだけど、そのことに間違いはない?」
「えっ──」
 真優は茜に振り返った。茜は肩をすくめた。
「真優、この人ね、あたしのアリバイが知りたいんだって」
「……そうなん」
「アリバイなんて言い方するとさ。何だか犯人捜しみたいでちょっと嫌なんだけど」
 芹沢の言葉に茜は鼻白んだ。「刑事がそんな白々しいこと言ったってダメよ」
「でも、新聞記事やと茜のお母さんが……」
 真優は遠慮がちに言って茜を横目で見た。
「そこが報道の危ういところでね。警察としては、断定したわけじゃないんだ」
「ふうん」
 そこへ真優の注文したケーキと紅茶が運ばれてきた。三人は会話を止め、ウェイトレスが去るのを待った。
「美味しそ」
 真優は嬉しそうに言うと、ケーキにフォークを沈ませ、すくい取ったケーキを口に運んだ。
 やがて真優は、フォークの代わりにティーカップを手にすると、ゆっくりと一口啜り、その口元を曲げて言った。
「──要するに、あたしに昨日やってたことを白状しろって言うわけ」
「真優……」
 心配そうに自分を見つめる茜を耳のあたりで感じながら、真優はやれやれと思った。ついさっきまでは茜のことをウザったく思っていたけれど、実際、こうやって両親の事件について刑事に疑われ、友達にアリバイ確認されている彼女を目の当たりにすると、何とも特異で、哀れに思えてきた。
 茜も自分も、まだたったの十四歳だ。世間で十四歳というと、部活や恋、友達との遊び、そして少しは勉強もと、自分のことで精一杯で、他のことは何も考えられない、たぶん考える気すらない年頃だ。
 確かに、人に言えない危なっかしいこともやっているけれど、警察に友達を紹介しなければならないなんて、そこに親が同席していないなんて、茜の置かれている境遇は──少しくらいは彼女自身にも原因があるのかも知れないが──本当に絶望的なんだなと思った。
 そんな彼女の心の中でどんな暗闇が広がっているのか、真優には想像もつかなかった。でもそれでいて、朝に考えていたような茜に対する排除感はなくなっていた。
 真優は芹沢に言った。
「あたしが証言することで茜の疑いが晴れるんですか?」
「内容によるけどね。だいたいはそういうことかな」
「そんなら、しょうがないか」
 真優はふんと笑うと、早くも平らげてしまって空になったケーキの皿を指さして言った。
「もう一つ頼んでいい?」
「どうぞ」芹沢はにっこりと笑った。
 真優は満足げに頷くと、すいません、とウェイトレスを呼んだ。
「バナナクリームパイひとつ」
 そして茜に振り返り、
「茜は? あんたも頼みぃな」
 その言葉を聞いて、茜は束の間にしろ、少しだけ救われたような気がした。


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