Ⅱ.身勝手な贈り物ー①

文字数 2,920文字

 レンタカーの殺風景なコクピットに身を沈めて、二宮はフロントガラスの先に広がる異国の空気をたっぷりと含んだ街並みを眺めていた。

 林淑恵は一時間ほど前に実家の輸入食品店に入って行ったきり、姿を現していない。彼女が建物に消えたあと車を降りて確認したが、そこは自社ビルのようだった。上階にはテナントは入っておらず、食品店の事務所や住居などに使っていると思われた。
 淑恵はどのような用件で実家に足を運んだのか、あたりまえのことだが二宮には分からなかった。それが分かればこの一件が少しは早く解決に向かうのかも知れないが、なにせもう時間がないらしいので二宮はじたばたするのをやめた。彼女の今回の関西行きが、中大路という男の失踪事件と何らかの関連が推測される中、わざわざ実家に足を運んだのにはきっと意味があるのだろう。だけどそんなことより、さっさと“未体験ゾーン”とやらに向かってくれさえすれば男を助け出せるのだろうし、それで解決、待っているのはハッピー・ウエディングだ。
 時間がないからとは言え、自分を含めて四人もの刑事が、仕事に忙殺される中、まったくのプライベートでこんなにも割の合わないお節介を買って出ているのだから、いい加減どうにかなって欲しいと思った。特に自分は、中大路という極めて迷惑な御曹司も、その婚約者のお嬢さんにも、従姉の美人先生にも何の思い入れもない。だから、とても不謹慎だが、たとえ男が生きて発見されなかったとしても、そいつの身体さえ見つかったならそれでいいとさえ思っていた。

 ──わかってるさ。冷たい男だって。昔から自覚はある。
   だけど、こうやって立派なボランティア精神だってあるんだし。

 ──立派か? 本当に? 何の邪念もない?
 
 どうでもいいことを考えていると、目の前に一台の乗用車が滑り込んできた。

 そのリアウィンドウには、アルファベットで、

 『Keifukudou Co., Ltd. KYOTO』

 と書かれていた。
 
 二宮は咄嗟に俯いた。駐車の理由を誰かに咎められた時の言い訳にと手にしていたスマートフォンに視線を落とし、カーナビで道順を調べているふりをして、前の車から降りてくる人物を確認した。
 三十代の洒落た身なりの華奢な男と、大柄で四十代後半、上品なスーツを着ていたが、二宮には一目でその筋の者と分かる男の二人。
 二宮は迷わずその男たちをスマートフォンで撮影した。そしてその画像を素早く作成したメールに添付して送信ボタンを押すと、おそらく林淑恵のもとへ向かったであろう彼らを追うべく車を降りた。
 片側二車線のやや広い道路を渡り、赤茶色の屋根の麓に「長安門」と刻まれた、背の高い石の楼門をくぐった。
 目指す男たちは人混みの中、二十メートルほど先を歩いていた。二宮は男たちを見失わないように注意しながら、その一方ではメールの返信を待っていた。
 男たちが誰なのか、予測はついていた。若いのはおそらくあいつで、もう一人はあの組の中の誰か。それを裏付けてくれる返信を、彼は待っていたのだ。
 やがて男たちは淑恵の実家の前で立ち止まると、若い男だけが中に入っていった。
 そのとき、メールの返信を告げる着信音が鳴った。二宮は立ち止まってメールを開き、内容を確認した。

 ──予想的中。一昨日のやつらだ。

 二宮はメールを閉じた。顔を上げると、通りを眺めながら待っていた年配の方の男と目が合ったような気がしたが、二宮が何食わぬ表情で男のそばを通り過ぎても、まるで気にかける気配もなかったのでほっとした。
 そして少し離れたところの煙草の自販機の前で立ち止まり、ジャケットの財布を探す振りをして男の様子を伺った。
 するとそこに、淑恵を伴った若い方の男が戻ってきた。
 林淑恵は身長約160cm、スレンダーな体格にストレートの黒髪を肩まで伸ばし、色白で面長の輪郭に顔のパーツが知的なバランスに配置された、見るからに頭の良さそうな女性だった。グレーの分厚いロングコートを着て、黒いジョッキーブーツを履いている。“未体験ゾーン”への完全武装のようだ。
「……待ってました」
 二宮は独り言を呟くと、ゆっくりと自販機の前から離れた。

  淑恵たちが表通りに向かって歩き出した。停めてある車に戻ると思われた。二宮は最初と同じように二十メートル間隔を保ちながらその後を追い、ちょっと待て、このままだと車に乗り込むときがけっこう難しいぞと考えた。この間隔だと、先に発車されて見失ってしまうかも知れない。ここは先回りした方がいい。
 歩調を早めたところで、内ポケットのスマートフォンが鳴った。
 発信者が分かっていた二宮は落ち着き払って電話に出た。
「はい」
《遅いわよ、報告が》
 一条は怒っていた。
「すいません。ちょっと取り込んでたもので」
《それで? さっきの写メの二人は?》
「林と合流して、すぐそばを歩いています。これから車に戻るものと思われます」
《わざわざ二人揃って車を降りてきたの?》
「ええ」と二宮は頷いた。「そう言えば、違和感がありますね」
《必ずしも互いを信用してないんじゃない》
「単独行動させないようにってわけですか」
《ええ。ただこっちは今、そこにこだわってられないけど》
「はい」
 二宮は溜め息をついた。
 電話がいいカムフラージュになったのか、二宮は特に淑恵たちに怪しまれることなく通りに出て、彼らよりも先に車に戻ることができた。
 エンジンをかけてスマートフォンを耳にあてたまま、淑恵たちが目の前の車に乗り込むのを迎えた。
「戻ってきましたよ」
《未体験ゾーンに向かうのかしら》
「おそらくは」
《あなたは? まだいけそう?》
「というと?」
《決まってるじゃない。一人で大丈夫なのかってこと》
「大丈夫なわけないじゃないですか。早くあの二人に合流して欲しいですよ」
《二人にはこのこと知らせた?》
「まだです。先に警部から電話もらったんで。このあと連絡して、合流を求めるつもりです」
《分かった、切るわ。邪魔したわね》
「すいません。また随時報告入れます」
 二宮は電話を切った。そのタイミングに合わせたかのように、淑恵たちの乗った車がゆっくりと動き出した。左車線を保ったまま、五十メートルほど先の赤信号で停止した。
 二宮もウィンカーを出してハンドルを切り、滑るように車道に出た。淑恵たちの車の間に別の車を三台挟んで停止し、信号が変わるのを待ちながら再びスマートフォンを取り出した。
「……ったく、まるっきり仕事じゃないか」
 発信履歴から番号を呼び出しながら、二宮は呟いた。電話を耳にあて、呼び出し音を聞いている間に青信号に変わった。

──さあ、どこへでも連れて行け。どこまでもついて行ってやる。
  御曹司の顔、とくと拝ませてもらおうじゃないか。
 
「──もしもし、二宮ですけど──」




(注:運転中の携帯電話使用は道路交通法違反です。赤信号で停車中とはいえ、警察官である二宮くんにはあとで作者より厳重注意しておきます。^^;)
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