第16話:早期退職とハワイ旅行

文字数 2,721文字

 秋宮を見学して、お参りすると、昼となり、門前にある「山猫亭」という蕎麦屋「そばや」に入り、全員が天ぷらそばを注文したが、ボリュームがあって、お腹いっぱいになった。そばは、さすが、信州そば、のどごしも良く、香り高く、非常に美味しかった。そば湯も、いただいて、天ぷらで油っこくなった口の中がさっぱりして、非常に助かった。

 その後、車で中央高速に入って、途中、サービスエリアで休憩したが、一宮インターチェンジあたりから、のろのろ運転となった。表示板には、笹子トンネルじゅうたい10キロと書いてあり、先が思いやられた。結局、笹子トンネルを抜けたのは15時過ぎていた。八王子インターチェンジに16時に着いて、16号線に入っても渋滞が続き、歌曲員居ついたのは17時半となったいた。

やがて、2003年も夏休みが終わり9月を迎えた。その後、11月に、熱海に1泊2日で温泉旅行に出かけた。それが終わると12月、今年も恒例のクリスマスパーティーを開いた。しばらくして2004年があけた。2004年は、長男の初男が、中学校に入学する年であった。

 初男は計算が早く、数学が好きであった。しかし、不器用で、機械いじりに、全く興味がなかった。それよりも、父、北川天一の株投資の方が興味があり、株の売買の話を良く聞いていた。そして、自分も単なるサラリーマンだけでは、大金はつかめないと考えていて、経済系の学部に行き達と考えていた。

 2001年9月4日、1株182万円で20株、3640万円で買ったヤフー株だったが、その後、3回の2分割をして、1株が8倍になっており、北川天一のヤフー株も160株に増えていた。そして2004年4月6日、証券会社から電話、140万円で気配値が出ているから成行売りしたらと言われ、成行売りを指示して、140万円で160株全株売却した。

 その結果、税引き後利益が18200万円となり、資産合計が35000万円となった。しかし、この話は、奥さんの清実だけに教えて、その他の人には内緒にしていた。その年は、12月、沖縄に年末年始、2泊3日で、沖縄旅行へ行き、那覇市内のホテルに泊まって、レンタカーを借りて、沖縄美ら海水族館に行き、大きなジンベエザメやマンタを見て、写真に収めてきた。

 その他、首里城見学に行き、3時間かけて、全部を見てきたが、豪華な作りの首里城を見て、日本とは違った、独特の文化があると感じた、糸満の沖縄件平和祈念資料館とひめゆりの塔を巡って、日本の戦時中に実際にあった、現実を見て、涙を流して、今を大切に生きねばと再確認した。その他、沖縄のステーキハウスに数回行って、安く美味しいビーフステーキを食べてきた。

 最終日は、午後15時発に飛行機だったので、那覇飛行場の近くの沖縄アウトレットモール・あしびなに立ち寄って、買い物と昼食ととった。その後、18時に羽田空港に到着して、高速バスで新横浜に19時過ぎに着いて、タクシーで家まで帰った。沖縄の年末年始の気候は、昼間日射しが良いときには気温が20度近くまで上がり、散歩していても、汗がでるくらい暖かかった。

2005年になると、大手3つのメガバンク「三菱UFJ、三井住友、みずほ銀行」ができた、しかし、実際には、日本中の金融機関の合併と言う名の銀行閉鎖が地方中心に大量に実施された。それは、信用金庫、信用組合でも同じ事だった。早期退職に応じれば、通常予定される退職金の最大2倍の退職金が支払うという名目で、多くの金融機関で実施されたのだった。

 株で、資産を作った北川天一は53歳で早期退職に応じた。退職金は3千万円だった。これで自由な生活ができると、内心、喜んでいた。奥さんの佐織さんは、既に、10年前に退職していた。そのため、73歳の母、米子さんが元気なうちに一緒に旅行したいと考えた。そして2005年は、早く過ぎ、2006年を迎えた。長男の初男は中学3年生になり、翠嵐高校を狙いたいので塾に入りたいと言うので父は了解した。

 進学塾は入って、夜遅くまで勉強して、中学3年生の1学期でクラス5番以内に入り、夏休みまでにベスト3になり、学年で12位まで来た。この位になると、数点の差で、順位が上がるので、ラストスパートをかけるように、徹底的に暗記をしていった。中学3年「2006年」の冬の一斉テストで、初めて学年6位まで順位を上げた。やがて2007年となり、1月に受験票を提出して、2月に受験して合格した。

 家からバスを使って20から30分で翠嵐高校へ通いだした。そして、長女の佐織が地元中学に入り、兄の受験勉強に刺激されて、勉強をし始めた。佐織は、国語と社会、英語と言った暗記物が得意で、理科、数学が、あまり得意ではなかった。クラス10位前後で、兄のように学年で10位、以内をめざしたいと宣言したが、理数系の成績が上がらなかった。中学2年から、進学塾に入った。

 しかし、中学2年の秋で、クラスでベスト5、学年で15から18番目であり、翠嵐高校は無理だと言われ、その下の平沼高校を目標として勉強を続けていた。2009年の冬の一斉テストで、学年12位であった。その時、落ちても良いから、平沼高校をめざすと宣言して、翌年、受験票を手に入れて、受験して合格した。家からバスと電車で40分かけて通い始めた。

 初男は、既に、大学受験のための予備校に通い始めて、模擬試験を受けていた。2009年秋の予備校での一斉テストの結果、橫浜国大・経済学部の合格確率が75%となり、もう一息とと言うところまで来ていた。その後も受験勉強を夜遅くまで続ける姿を見て、両親は、その熱心さに感心した。その後、初男も、橫浜国大。経済学部を受験して、合格を勝ち取った。

 これで、子供達が2人が受験を終え、北川天一は、母に、海外旅行では、どこに一番、行ってみたいと聞くと、ハワイ旅行に行きたいというので、2010年5月10日から4泊6日で、北川夫妻と母の米子さんと、ハワイ旅行に出かけた。羽田空港、深夜0時前、出発で、翌日、お昼前に着く便で、ホノルルへ飛んだ。ホノルル空港からタクシーでヒルトンハワイアンビレッジに向かった。

 その後、ホテルにチェックインして、少し仮眠してから、ワイキキの浜辺を散歩して、そして、アラモアナショッピングセンターを見て周り、19時に夕食をとって、ホテルに帰ってきて、明日のプランを考えて、母に聞くと、大きな波を見られるノースショアへ行って見たいと言うので、ツアーを調べて3人で予約した。その晩は、酒を飲んで、22時過ぎに床についた。
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